『日本経済新聞』2007年12月27日付 あらたな大学問題――関西大学教授・竹内洋 大学院生が急増して、行き場がなくなっている大学院(博士)ワーキングプアについて最近はよく知られるようになった。最近の大学教員の公募では、1名採用のポストに100人の応募者はざら。300人もきたという話もある。 大概の応募者は不採用になるから、一部のあきらめる者を除いては、研究をさらに深めようとする。必死に努力をするから、学位をもち、業績は多い。外国語の論文発表もある。 応募者の業績をみていると、こんなりっぱな業績だったら、昔なら十分教授になれるのにとおもって、いまの時代の若手研究者の不運が可哀想(かわいそう)になる。 審査する老教授たちのほうはどうなのか……。 かれらが採用されたのは大学の高度成長時代だったから、教室の教授のつてで就職できた牧歌的時代だった。わたし自身、博士課程を終えて大学に就職したのも、つてだったが、その時点で論文は3つだった。いま3つの論文だったら、採用されないことはもちろん応募者の中での研究業績順では下位になる。 もちろんパソコンもなく、復刻版という手軽にアクセスできる資料も少ない当時だから、いまと比べて論文生産数が少ないのは当然だったとはいえる。指導教官から論文はやたらに書くべきものではない、よいものを書くこと、といわれていた時代のせいもあった。まして学位論文などは、もっと年輩になって、研鑚(けんさん)をつんでから請求すべきものだった。 だから当時の水準でいえば、論文3つはまあ普通レベル。3つどころか査読なしのお手軽論文ひとつで専任講師や助教授になった人も少なくなかったのだから。 そんな時代は、若手の研究業績は少ないから、年長教授が採用審査や昇進審査しても、「(審査する)あなたはどうなの」などという不信感はほとんどなく、審査教授の言葉や審査結果にそれなりの権威があった。しかし、これからはどうなのだろうか……。 いまの年長教授たちは、大学高度成長時代にのって、ぬるま湯の大学で過ごしてきた。就職という入り口で、厳しいチェックを受けていない。それだけではない。就職してしまえば、同じ釜の飯を食べている仲間ということで、甘い審査で教授に昇進もしてきた。学位はおろか著書ひとつもないままで、大学院担当教授にさえ成りあがっている者もいる。 そんな研究者の世代環境の違いが大きな問題を生むことにならないだろうか。昔と今は違うというだけで、終わるだろうか。 いまの若手研究者が首尾よく大学教員(助教や准教授)になっても、准教授や教授昇進審査がある。あるいは大学院を担当できる研究業績があるかないかの審査もある。激烈な競争をくぐりぬけた業績ある若手教員にぬるま湯世代の年長教授が審査の範を示すことはできるのかどうか……。 昭和戦前期には、2.26事件のように若手軍人が暴走する下剋上が頻繁におこった。下剋上は昔軍隊、これから大学という悪い予感さえするのである。 ◇ 次回は興福寺貫首の多川俊映氏。 |