『高知新聞』2007年11月24日夕刊 話題(夕刊記者コラム)

「思考の方向」


「例えば、『削れるところ』を子どもたちに見付けさせ、文章を再構成させるのは乱暴でしょうか?」

「いや、面白いですね。ただ、どんな説明文でも、内容の読み取りに終わらせず、筆者の思考をくぐらせることが大事。『ここは要らない』として、なら、なぜ筆者はここを入れたのだろう?と一回、筆者の側に立って考えさせることです」

先生たちと特別講師のやりとりは、うーん、そうか・・・とうなずけた。児童数の減少で統廃合も検討されている高知市の小学校。来春の入学がなければ、今いる六人の先生が半減する恐れもあるが、現場ではひたすら、複式学級での授業をいかに工夫し、子どもの心に響かせるかに心を砕いている。のぞかせてもらった「国語」の研修会に、それは十分表れていた。

講師から「筆者の思考をくぐらせる」ことの重要性を指摘された先生たちは、「情報過多の時代に、自分の意見をはっきりと持つことの大切さを訴えることにもつながる」「別の見方もあるんだよ、と示唆できる」「指導要領や教科書は完ぺきだと思っていたけど・・・(違うんやね)」とそれぞれに手応えをつかんだようだった。

聞いているうち、場面は全く違うが、学長選考問題で揺れる大学のキャンパスが重なった。選考会議はなぜそう決定したのか? 教授らはなぜ無効を唱えているのか? そもそも国立大学法人法はなんのために定められたのか?・・・二千人を超える署名を集めた学生有志に会う度、彼女たちの「素朴な疑問」が段階を踏んで膨らんでいることを実感する。それはきっと「相手の思考をくぐらせて」いるからこそで、思考の方向として間違っていないと思う。
(広末智子)