『高知新聞』2007年11月20日付夕刊 話題(夕刊記者コラム)

「裏の顔」


25日の投開票に向けて県知事選が展開されているが、肝心の選挙の焦点は、いまひとつはっきりしない。

今回の知事選で問われるべきは何なのか。1つの見方として、新知事の任期となる向こう4年間に起きることを想像してみた。おそらく、小泉政権以来、国が推進してきた「規制緩和」と、地方に「自立」「自己責任」を求める流れは加速し、本県の歩むべき方向が問われる場面がくるだろう。

橋本県政は、国に物を申すことはしたが、これからの県の道筋を示すには至らなかった。それは、幅広い知識と知恵に裏打ちされた状況分析や、将来展望を描く力が不十分だったからではないか。

実はそうした知識や知恵は、行政だけで集約・蓄積することは難しい。多くの県民が納得できる道筋を示すには、地味であっても学問や芸術、調査研究といった、きっちりとした裏付けが必要になるからだ。そして、その一翼を担うのが「地域の大学」だ。

ところが、その地域の大学が本来の研究に没頭できなくなる厳しい状況に置かれている。国立大学法人法は、規制緩和の名の下に、大学の学長に権限が集中する仕組みをつくり、企業のワンマン社長のようになりかねない状況を招いた。一方で、財布のひもは国がしっかり握り、官僚が次から次へと天下りしてきて“遠隔操作”する。これでは大学の自治能力が高まるはずはない。

国が進める規制緩和には表と裏の顔がある。高知大の学長選考をめぐる混乱にも、それが少なからず影響している。不気味なのは、そうしたことが、わたしたちの気付かないところでひたひたと進んでいることだ。
(岡林直裕)