時事通信配信記事 2007年9月25日付 特集・教育再生を検証する(3) ★再生会議に一定の評価も=「第3次報告」には冷ややか 安倍内閣発足後程なく、首相が政権公約に掲げた教育改革を実現するため、教育再生会議が設置された。議論にまとまりがなく、「井戸端会議」「単なる放談」などとやゆする声さえあったが、安倍政権下で乱立した他の官邸の会議と比べると存在感があったのは事実。また、再生会議がまとめた第1次、第2次報告の内容は政策として着実に推進されつつあり、一定の評価もある。ただ、25日に発足する次期内閣が、「教育再生」をどのように引き継ぐかは未知数で、教育再生会議の動向も不明。文部科学省内では「もう議論が尽きているのでは」と、存在意義を問う声も出ている。年末にまとめると再生会議が宣言している「第3次報告」についても、期待度が高いとは言えない状況だ。 ◇意外なバランス 教育再生会議が発足した当初、マスコミなどでは、文科省、中央教育審議会(文科相の諮問機関)との確執を予想する論調が強かった。首相肝いりの再生会議に対し、文科省や中教審が既得権を手放すまいとし、「教育行政の二重構造化の弊害」を危惧(きぐ)する関係者もあった。 従来、官邸主導を実現するための政府の会議は、所管官庁を「抵抗勢力」とし改革推進を図るという側面が強い。世間では、再生会議の改革路線に対し、文科相、文科省が抵抗するという構図を予想した。 しかし、ある文科省幹部は、再生会議発足以降の約1年間を振り返り「(文科省、文科相が)抵抗勢力にならなかった」と強調する。第1次、第2次報告に至る再生会議の議論でも、文科省との確執が目立つようなケースは無く、同幹部は「文科相がうまくバランスを取った」と分析している。 実際、再生会議との関係において、伊吹文明文科相が果たした役割は大きい。文科相は、「再生会議は首相のアドバイザリーボード」と繰り返し、決定機関ではなく、アドバイザーとしての再生会議の位置付けを明確化していた。例えば「いじめ」問題をめぐり、再生会議の一部委員が「出席停止」を主張したことが議論になった際も、「アドバイザリーボードの意見」であることを強調。文科相が「法律的な手続きを経なければ政府としての決定にはならない」という原理原則を貫き、いわば「聞きおく」的な対応を崩さないことで、「対立」には至らなかった面も強い。 教員免許更新制をめぐって、再生会議が中教審の答申と異なる見解を示したこともあった。長く更新制について議論していた中教審は、更新制を「不良教師の排除」のために使うことに否定的。一方、再生会議は、「だめ教師には退場していただく」とし、そのために更新制を導入すべきだと主張していた。 ここでは、文科相が、法律上の考え方を整理することで調整を図った。更新制については、中教審の答申通り、あくまでも教員のスキルアップなどを目標に導入し、その趣旨に沿って教育職員免許法を改正。一方で、教育公務員特例法という別の法律を改正し、指導が不適切な教員の認定制度を新たに設けることとし、両者の主張を組み入れた。 時事通信配信記事 2007年9月25日付 特集・教育再生を検証する(4・完) ◇「迷走」で自滅? 当初の予想に反し、うまくバランスが保たれた教育再生会議と文科省の関係だが、別の大きな要因として再生会議自体の「地盤沈下」も指摘されそうだ。 鳴り物入りで発足した教育再生会議だが、発足と前後していじめ自殺や高校必修科目履修漏れなど教育をめぐる問題が相次いだ。文科省には「いじめ自殺」を予告する手紙も届いた。当時再生会議のメンバーだった「ヤンキー先生」こと義家弘介氏らが「死ぬな」と訴え、再生会議は早速、いじめ防止へ緊急提言を行った。 もちろんいじめ防止は重要課題で、義家氏らの訴えにも一定の効果はあったとの見方はある。しかし、いじめ防止の緊急提言をめぐっては、委員が思い思いの意見を言っただけで、現場の運用の困難さなどが配慮されていない印象はぬぐえない。 そもそも再生会議が当初、論点として挙げていたのは「公教育の再生」。「いじめ」という国民に訴えやすいテーマが現れ、それに飛びついた「軽い」イメージも否めなかった。 また、再生会議の「迷走」を決定的に印象付けたのが「親学」をめぐる議論だ。再生会議の分科会のうち、規範意識などに関する第2分科会が、乳幼児のいる両親らが子育てを学ぶ「親学」について緊急提言を計画。提言案は、母乳による育児や、三世代同居による子育ての重要性などを訴える内容で、山谷えり子首相補佐官が中心になって作成した。 しかし、政府が家庭生活の在り方に介入することに、与野党から反発が出た。例えば「母乳が出ない人はどうすればいいのか」などの声も上がり、伊吹文科相も「人を見下した訓示のようなものをするのは、あまり適当ではない」などと苦言を呈した。そして結局、世論の批判に配慮する形で、提言は見送られた。 「教育に関しては、誰でも一家言あり、誰でも評論家になれる」というのは一般的に指摘されることだが、再生会議ではそれをそのまま実行してしまったように見える。迷走続きの会議は国民の信頼を失い、いわば「自滅」した形だ。 ◇「議論しなくていい」が本音 議論の経過にはこのように問題があったとしても、教育再生会議がまとめた第1次報告は、教委制度改革などを柱とした教育改革関連3法の改正、第2次報告は教員給与の見直しや大学9月入学の推進などの改革に結実している。文科省側から見れば、「そもそもが検討していた課題ばかり」(初等中等教育局幹部)という面もあるが、官房幹部の1人は「やはり報告があったことで物事が速やかに進んだ」と評価する。 さらに、再生会議は年末に「第3次報告」をまとめる方針を決めており、07年7月には同報告に向けた議論を開始している。そこで検討課題として挙げているのが、「6・3・3・4」の現行の学制の見直し、教育バウチャー制度の導入などだ。 別の官房幹部は「これらを2、3カ月でまとめるというのは壮絶」と話す。同幹部は、教育再生会議について「最後まできちんと絵を描き切ってもらいたい」と言う一方で、「今後残っているのは難しい問題ばかり」と指摘した。 学制の見直しには、義務教育の在り方の見直しが伴う。仮に義務教育の年限が拡大すれば、国が負担する教育費として莫大(ばくだい)な財源が必要となり、税制改革の議論と不可分だ。自由な学校選択を可能とする「教育バウチャー制度」も、文科省から見れば「学校が少ない過疎地では難しい話で、大都市の理論」。「制度の影の部分を見なくては」などと検討には極めて消極的だ。 教育再生会議の今後に対して、文科省側からは「もう議論しなくていい」という思惑が透けて見える。いずれにしても、首相の辞任により、再生会議がさらに求心力を失うのは必至で、会議が存続するにしても、具体的な成果が得られる公算は小さい。 ただ、裏を返せば、文科省が消極的なこれらの事案こそが、真に検討が必要な分野とも見える。大局的な立場でこうしたことを議論をするのが、実は再生会議の本来の役割だったのかもしれない。(了) |