『読売新聞』2007年8月30日付

文理超え 真の知探る
大阪大学 鷲田清一学長
外大と統合、国際化に弾み


医学、理工系出身者ばかりだった大阪大学の学長に、哲学者の鷲田清一さんが就任した。秋には大阪外国語大学と統合し、学部学生数では最大の国立大学となる。多様な言語の専門家を擁し、グローバル社会に打って出る“新”阪大はどのような道を歩むのか。関西復権への秘策は。改革の哲学を新学長に聞いた。

(聞き手は本多宏・科学部長)

――阪大では初の文系出身の学長、しかも哲学を専門にされてきました。

人に言われるほど自分では文系とは思っていないんです。哲学はヨーロッパの古い原書を研究するだけでなく、学問や科学がどうして成り立つのかという基礎的な問題を考える学問です。自然科学や社会、芸術といったあらゆるものを対象に論理的に考える態度や思考の作法とも言えます。

――哲学者としての蓄積を大学の運営にどのように生かしますか。

「知」の在り方や仕組みを考え、学問の融合や新しい展開について比較的柔軟な視野を持つ者として、文系、理系という研究の枠組み自体をもっと溶解させていきたい。教育面では、すべての「知」の基礎である科学的・哲学的な思考法、数学や歴史の素養を学生に身につけさせ、阪大を真の総合大学にするのに役立ちたいと思います。

――大阪外大との統合で何を期待しますか。

大学の国際化にとって非常に大きな意味があります。学生の語学力を高められるのはもちろんですが、英語だけでなく、アジアやアフリカの諸言語の教育も行えます。例えば、ベトナムの政治や経済を研究する大学院生が学部時代からベトナム語を習っていれば、現地で住民らに直接インタビューできる。そんな国際的な研究者を育成できるのは日本では阪大だけです。

――近年、「成果主義」の導入で大学の基礎研究が軽視されていませんか。

競争的研究費を配分する国のプログラムの審査員をした時、「審査の基準を是正すべきだ」とかなり議論しました。日本の学術行政の中枢に阪大から様々な発言ができる人を送り込むのも重要です。確かに短期間に成果が期待できるプロジェクトには大型の研究費が配分されやすいのですが、大学全体で使える補助金もついてくる。基礎研究の充実を図ることもできます。それが「知の経営」です。

――少子化を背景に大学間競争が激化しています。

勝ち負けには関心がありません。大事なのは本物か偽物かです。大学の社会貢献を考えてみても、首都の真ん中にある東京大と地方大学の優劣は比べられません。「質」こそが重要で、点数稼ぎのための教育や研究、社会貢献になっていないかどうかを見分けたい。強い弱いが嫌いなのでなく、本物は強いはずです。

――副学長時代から、大学と社会を結ぶ「社学連携」を重視してきましたね。

地域や環境、医療など様々な問題を市民が自ら判断し、最終的には提言できるように「市民力」を高めるのが目標です。大学の専門家は市民を啓蒙(けいもう)するのでなく、議論をサポートする。そんな場として来年度から「21世紀懐徳堂」を始めます。江戸の大阪人が学び、徳を積んだ懐徳堂が今あったら、という発想です。

――大阪の魅力アップにもつながりますか。

大阪の人々は昔から高い文化を培ってきたのに、ひったくりや迷惑駐車が名物だという「露悪趣味」があります。近松門左衛門や井原西鶴らを生んだ江戸時代、大阪には文化水準では東京は目じゃない、京都にも負けない自信がありました。大阪の市民に再び、あの力を発揮してほしい。

阪大が優秀な学生を集めるには、大学側の努力とともに、「学生時代を大阪で過ごしたい」という高校生が増えることが必要です。任期の4年間で大阪の街の魅力を高めるのは難しいでしょうが、市民や行政、経済界と協力し、その道筋をつけたいと思います。

――都心部から郊外に出た阪大が今後、大阪の街で存在感を増しそうですね。

旧医学部跡地に中之島センターができた翌年の2005年、天神祭の船渡御に大学として初参加した時のキャッチフレーズは「帰ってきました!大阪大学」でした。阪大は地元産業界や市民が強く要望し、官民が資金を出し合って創設されました。懐徳堂と適塾の伝統もあります。学長として大学を「変える」というよりも、建学の原点に「帰る」ことを目指します。

――今の阪大生には何を望みますか。

まじめだけれどダサイ学生を指して「いかはん(いかにも阪大生)」と呼ばれますが、もてる阪大生「もてはん」というのが僕の理想です。男女間のことではありません。人間としての魅力や輝きを持ち、ユニークなことを考える学生になってほしいですね。

わしだ・きよかず

京都市出身。京都大文学部倫理学科卒。関西大教授、大阪大文学部教授、同学部長などを経て2004年から約3年半、大阪大理事・副学長。専門は臨床哲学。「分散する理性」「モードの迷宮」(サントリー学芸賞)「『聴く』ことの力」(桑原武夫学芸賞)など多数の著書がある。57歳。

「学問を市民に」使命感

「聴く」「待つ」「働く」「治す」。鷲田さんの唱える「臨床哲学」は、日常の行為や思考にひそむ問題について市民が自らの言葉で考える力をサポートする。対象は、旧来の哲学が論じる精神や身体、国家にとどまらない。ファッション、介護、医療にまで及ぶ。

「フィロソフィー トゥ ザ ピープル(哲学を市民に)」。研究室と外部とのつながりを重んじ、哲学をみんなのものにする。ジョン・レノンが権力の集中を批判した「パワー トゥ ザ ピープル」のシャレだそうで、研究者の独占でない哲学をめざすという。

「ソフィア=知」を「フィル=愛する」のが哲学、「ピープル」は人々。強引かもしれないが、「世のため人のために、知恵を絞るのが大好き」と意訳してみた。「学問の市民性」を憲章に掲げた阪大の使命を言い当てていると思うが、いかがでしょうか。

(本多)