『日本経済新聞』NETアイ プロの視点 2007年7月11日付

清水正巳編集委員
大学改革の行き着く先は?


政府が6月中旬に決定した経済政策運営の指針「骨太方針2007」には大学・大学院改革が盛り込まれた。決定までの過程で是非の議論が盛んだったのは国立大学の基盤的経費、運営費交付金の見直し問題である。地方大学などでは見直しで旧帝大優遇、地方切り捨てにつながると反発も起きた。具体的な見直しの方向性は今年度内に決まるが、国立大学の改革ではいずれ再編統合の問題も浮かんでこよう。地方大学にはこうした問題に備えるつもりなのか、文部科学官僚に妙におもねる兆候も出始めている。研究で勝負する大学人の気骨は薄らいできているのだろうか。

研究助成は抜本改革が必要


大学改革に関連して運営費交付金の見直し問題は、教育再生会議や経済財政諮問会議、規制改革会議など、様々な諮問機関で議論された。財務省は、科学研究費補助金の配分比率で運営費交付金を配分すると増額は旧帝大など13校、全国の国立大の85%に当たる74校が減額となり、5割以下になるのが50校という試算を発表し、見直し議論に一石を投じた。骨太方針はどう見直すかについて結論を先送りしたが、財務省試案のような極論もあるから配分ルールをめぐっては最後まで熱い議論が展開されよう。

研究助成については一律配分という悪平等が研究者の意欲を削いでいるとの批判があり、政府は競争的資金を増やしてきている。科学研究費補助金、科学技術振興調整費などはその趣旨に沿って配分されている。競争的資金の拡充は大学をぬるま湯体質から脱却させる手だてになっているが、特定研究者に資金が集中し研究費の流用やデータの捏造といった不正も起きている。計画や成果の評価が甘いままやみくもに研究費を注ぎ込んでいるからで、すべてを競争的資金にすればうまくいくという話でもない。

しかも巨額の研究費をもてあます研究者がいる一方で、地味な研究ではわずかな研究費さえ確保できない研究者も出るという格差問題も起きている。成果主義に徹すれば、将来性があっても地味に見える研究はないがしろにされ、科学技術の芽をつんでしまう恐れもある。だから、それを救う運営費交付金の配分にはそれなりの配慮も必要だろう。ただ、問題の核心は研究助成のあり方だから小手先の見直しでなく、省庁再編の際に手をつけなかった研究助成制度、資金配分機関すべての見直し、整理統合が必要とも言えよう。


考えさせられる官僚出身学長


競争的資金の拡充に伴って最近は旧帝大に研究費が集中する傾向が強まっている。有力な研究者が集っているから当然でもあるが、地方大学に優秀な人材がいれば引き抜こうとする東大のような大学もあるから、地方大学は気が抜けない。特色をどう出すか知恵を絞る大学は多いが、気になるのは文科省にすり寄るのが得策とばかり同省官僚OBを学長に選ぶ動きが出ていることだ。

すでに官僚OBを学長に選んだ地方大学もあり、6日付で退任した結城章夫文部科学事務次官も山形大学の学長選に出馬するという。国立大学は3年前に独立法人化し、独自色を出すよう求められている。だから、研究助成制度を熟知し、文科省ばかりか資金配分機関にも人脈のある官僚に大学運営を任せるのは強みになるだろう。

しかし、研究の内容で勝負すべき大学人が研究費をとりやすくなるからと安易に官僚を招くようになったのなら、憂うべき事態である。国立大学を独立法人化する際に、文科省による大学支配が強まるとの議論があった。大学は中期計画の作成・評価、研究費配分などで文科省に干渉されやすくなるし、ひいては大学運営に官僚が口出しするようになるともされた。

大学は学問の自由、アカデミズムの独立を掲げて少なくとも運営に関しては政府の介入を嫌ってきた。しかし、その大学が官僚を学長に据えようというのだから、地方の大学がそれだけ追い込まれているということでもある。優れた経営能力で大学が活性化するのなら、それも悪くないが、かつての利権を生かして大学に利益誘導をするのなら、政府が発注する工事、調達品などの受注を有利にしようと官僚OBを受け入れる民間企業と変わらない。

かつて「駅弁大学」と称されたごとく、国立大学の数は多い。少子化のなかでその再編は避けられまい。生き残りのかかる再編では学長の手腕も重要になるだろう。だから力量のある人材を学長に選ぶのは当然のことだが、忘れてはならないのは「大学人は研究の善し悪しだけで評価される」ということだ。キラリと光る研究もせずに経営手腕だけに頼った大学はイノベーションの拠点にもなれないし、いずれじり貧に陥って淘汰されかねまい。