『AERA』2007年7月30日号

東大法学部に就職異変 キャリアより大学職員


10年前まで、官公庁に就職する東大法学部生は、100人を超えていた。

それが今春卒業生では66人。官僚の輝きが減ったのか。それとも−−。

(AERA編集部 大滝敏之、森慶一)

  ◇

7月5日。東京・霞が関の中央官庁では、来春入省予定のキャリア官僚(国家公務員1種)として採用が決まった学生たちの内々定式が開かれた。

「未来の仲間として心から歓迎します。内々定、おめでとうございます」

各省庁では、人事担当者が内々定が決まった学生一人ひとりと握手し、写真を撮る省庁もあった。夕方からは、簡単なパーティーが開かれた。ビールやワインを片手にしたその場の話題はもっぱら、財務省の内々定状況だった。

「財務省は今年も定員割れだったようだ」

財務省の来春のキャリア採用予定数は18人だった。ところが内々定を出したのは16人。関係者によると、官庁訪問で最後まで財務省と経済産業省との「二股」をかけていた東大生2人が、最終的に経産省を選んだという。

財務省は昨年も「痛い思い」をしている。内々定者のうち、東大生1人が辞退し、外資系企業に就職したという。他省庁の人事担当者はこうつぶやく。

「以前の大蔵省では、こんなことは考えられなかったんですがね」


●農水省でも衝撃

国の予算を一手に握り、「官庁のなかの官庁」といわれ、かつては東大法学部のなかでも成績最優秀の学生が集まったといわれてきた、財務省(旧大蔵省)。そこでの定員割れは、東大生の「官僚離れ」を象徴している。

財務省だけではない。2005年の夏、農林水産省の人事担当者に衝撃が走った。06年度入省予定の内々定者に、東大法学部の学生が1人もいなかったのだ。表向きには、

「出身大学にこだわらず、人物本位で採用した結果」

と説明したが、ある幹部は、

「採用したかった学生の多くが、新しく始まった法科大学院(ロースクール)への進学や、外資系企業などへの就職を選んだ」

と打ち明ける。

国家公務員試験の受験者数はここ数年、減少の一途をたどっている。キャリア官僚の採用試験となる国家公務員1種試験(法律、経済、行政の文系職種)の受験者数は、1996年の2万2208人をピークに、07年は1万4058人と、約4割減少している。

減った分の行き先は、農水省の幹部が指摘するとおり、外資系の企業や法科大学院に流れているようだ。

国家公務員1種試験に合格しても、必ずどこかの官庁に採用されるわけではない。今年の1種試験合格者数は計1581人。各省庁の採用予定数は計約620人で、2・5倍の倍率だ。

今年は6月19日に1種試験の合格発表があり、翌日から希望省庁への官庁訪問が始まった。多くの学生は第一志望の省庁を、初日に訪れる。

ある省庁に内々定した東大法学部4年のAさん(22)は、財務省も訪問した。

「2日目に訪問してみましたが、やはり魅力を感じられませんでした。昔の大蔵省は金融行政も持っていて、権限が大きかった。けれど、財務省になって金融部門がなくなり、経済財政諮問会議ができて予算編成も政治主導になった。周りを見ても、財務省に魅力を感じる学生は減っています」


●人々の役に立ちたいが

キャリア官僚志望の東大生のなかでも、志望官庁はかなり分かれてきているという。

約2週間をかけて人事担当者らによる面接などがあり、7月5日に内々定の解禁日を迎える。4月下旬の1次試験から数えると、2カ月を超える長丁場だ。

その一方で、民間企業の採用活動は年々早まっている。外資系企業のなかには、早い場合は3年生のうちに内々定を出す企業もある。遅くとも4月中には、内々定が出るという。今年は好業績を背景に、民間企業は採用人数を大幅に増やし、完全に「売り手市場」だ。

厚生労働省に内々定した東大法学部4年のBさん(21)は、公務員の1次試験の前の4月中旬に、民間企業1社から内定をもらった。

「世の中のために役に立ちたいと公務員を志望しましたが、労働条件は悪く、世間からもたたかれている。民間から内定をもらった時は、少し悩みました」

実際、民間から内定をもらうと、公務員試験への意欲をなくす学生も多い。さらに、大手銀行や証券会社のなかには、公務員試験の前日に「懇親会」と称した飲み会をしたり、公務員試験当日に泊まりがけで研修旅行に連れて行ったりと、内定した学生の囲い込みに躍起になる企業も多いという。

それでも、

「この日から短期留学に出かけます」

などと偽って、公務員試験を受ける要領のいい学生もいる。


●外資系は若くても高給

民間企業のなかでも、ここ数年、東大法学部の学生に人気が高いのは、外資系コンサルタントや外資系金融機関だ。

外資系金融機関から4月に内々定をもらった法学部4年のCさん(22)は、父親が経産省の元キャリア官僚で、母親は外資系金融機関に勤める。小さい頃から午前2時、3時に帰宅する父親を見て育った。

「官僚はコマのように使われ、給料は労働に対して見合わないから、退職後の天下りがあるのだと思っていました。いまは天下りに対する風当たりも厳しい。自分は、若いときから給与水準が高いところを目指しました」

民間企業5〜6社から内々定をもらったが、結局、外資系金融機関に決めたという。

キャリア公務員の大卒初任給は、約20万円。東大生への説明会などで、ある若手官僚が、残業時間も含めて初任給を時給換算したところ、800円だったという。一方、外資系の金融機関では、大卒の初年度の年収が1000万円を超えるところも出てきている。

こうした学生たちの志向の変化には、バブル経済崩壊後の不安が色濃く作用しているようだ。

元文部科学省のキャリア官僚で、現在は公務員専用の転職支援サイトを主宰する山本直治さんは、バブル崩壊を境に、若者の職業観が大きく変化していると指摘する。

「公務員は、若いうちは給料が安く、20年、30年で元を取る給与システムでやってきました。しかし、天下りを含む終身雇用や年功序列がいずれ薄まっていくと感じている若い公務員ほど、働いた分に見合った給与をいまもらいたいと考えています」


●めざせロースクール

外資系企業と並び、東大法学部生にとって人気の高いのがロースクールだ。以前の司法試験よりも合格率が高くなって、志望する学生も増えている。

弁護士を目指して法学部卒業後、東大のロースクールに通う学生(24)は、こう話す。

「プロフェッショナルなものを提供して感謝される仕事だと思うので、弁護士の道を選びました。ひとつの目安として、45歳になったとき別の進路に行けるだけの蓄積が欲しかった。民間企業にしても公務員にしても、他人に人事権を委ねざるを得ないものばかり。今は安泰でも将来どうなるかわからないと、(破綻した)山一証券、長銀の話を聞いて思いました」

将来は高収入の大手弁護士事務所に籍を置き、企業の合併、買収といった企業法務を担いたいと思っている。いわゆる冤罪に苦しむ人を救うといった弁護士になることは想定していない。収入は仕事への評価の指標だというプライドがある。


●滅私奉公できる人

友人にも、ある省に就職したキャリア官僚がいる。3カ月に一度のペースで会うが、その都度やつれているのがわかるという。期待されて、省内で多忙な部署に配属された。朝の7時に省を出て都心から遠い官舎に帰り、10時には再び働き出す生活を送っていた。

「外資系に就職した友人も激務だと聞きますが、羽振りはよく、霞が関よりはましそうでした。官僚になった友人は権力志向もなく、人のために役立ちたいという一心で働いています。自分は、そこに踏み入ることができなかったのです」

エリートと呼ばれる東大法学部生の公務員離れに、官庁は危機感を抱いていないのだろうか。

「確かに受験者数や志望者数は減っているかもしれないが、優秀な学生は採れていますよ」

財務省をはじめ、複数の官庁の幹部はこう口をそろえる。

それでも、民間との人材獲得競争を意識し始めた。黙っていても優秀な人材は集まると思っていた官庁も、ここ数年は大学2、3年生を対象とした説明会や懇談会をこまめに開くようになっている。

ある公務員試験の予備校の担当者はこう話す。

「昔は、こちらから説明会への出席をお願いしてもきてくれなかった省も、最近では積極的に参加してくれるようになりました」

公務員バッシングを背景に、東大生の官僚離れが言われるが、東大法学部の現役学生はこう話す。

「不況のときは民間とのかけもち受験が多かったのが、景気が良くなって、かけもち派が減っただけではないでしょうか。コアな公務員志望者は結構います。それでも東大法学部は、ほかの大学、ほかの学部に比べて、公への意識は高い方だと思います」


◆東大卒→東大職員に 就職異変、意外なところにも

「法学部→財務官僚」というコースが揺らいでいるだけではない。

「東大職員」が、東大生の新たな就職先になっている。


「大学職員の社会的ステータスは低かったですね。でも母校に貢献できるから職員を選びました」

小野里拓さん(23)は昨年東大法学部を卒業後、東大職員になった。今年7月からは東大秘書グループに配属され、総長や役員のスケジュール管理に追われている。

大学職員といえば、事務作業を淡々とこなす地味なイメージがあるが、東大職員になる東大卒業生が増えているのだ。

1970年から2004年まで東大卒業生の職員就職者はわずか3人だったが、04年の国立大学の法人化の後、05年に1人、06年は4人、今年は16人(大学院生5人を含む)と年々増えている。

以前は国家公務員2種試験に合格し、職員として採用されるのが一般的だった。法人化により各大学の人事の裁量も広がったことで、東大は05年度(06年春)から「東京大学職員採用試験」で独自に職員採用を始めた。


●変わる母校に好奇心

この1期生にあたる小野里さんは、

「東大が独自に採用するということで受けてみようと思ったのがきっかけでした」

と言う。

「もともと官僚になるのはちょっと違うなと思っていましたから」

この独自採用の導入に携わった上杉道世東大元理事は、

「教員の下働きという従来の職員の仕事に、東大生は魅力を感じませんでした。今は、受け入れる東大自体も公務員的な部・課の組織から、グループ制にして、若くても有能な人は責任者に登用していく制度設計を進めています」

と話す。

初任給は約19万4000円。初年度年収は約350万円。勤務時間は、時期にもよるが、午前9時ごろから午後7時ごろまで。

小野里さんの同期で、業務改善グループで働く関根真理さん(23)は、文学部出身。大手化粧品メーカーの内定を蹴って東大職員になった。働き続けるための東大の環境整備も、魅力に映ったようだ。

「これから保育園も整備され、職場のワークライフバランスもしっかりしていると思います。安定していることと、今後の母校への好奇心で決めました」

リクルートワークス研究所の大久保幸夫所長は、東大卒→東大職員という就職について、こう話す。

「東大という慣れた場所、同じ知的レベルのコミュニティーは居心地もよく、そのまま残ることは、そうそうおかしくはないことです。大学院への進学も年々伸びており、大学が、4年間の仮初めの場ではなくなってきているのです」


■東大法学部卒業生の主な就職先

(東京大学新聞社のデータを基に作成)

◇99年春(98年度卒) ※大学院進学は発表せず

1 官公庁     83人

(〈1〉外務省10人〈2〉旧通商産業省8人〈3〉旧大蔵省、旧自治省、警察庁各7人) 

2 銀行      56人

3 司法研修所   55人

4 保険      19人

5 電気機器    18人(日立製作所など)

6 商社・卸売   13人(丸紅など)

7 陸運      11人(JR東日本など)

 放送・新聞・出版 11人

9 経営顧問    10人(アクセンチュアなど)

10 地方自治体    9人(東京都など)


◇03年春(02年度卒)

1 官公庁      86人

(〈1〉外務省、総務省各13人〈3〉警察庁10人) 

2 大学院      65人

3 司法研修所    55人

4 銀行       38人

5 情報・通信    20人(NTTデータなど)

6 保険       17人

7 精密・電子機器  14人(NECなど)

8 放送・新聞・出版 13人

9 輸送用機械    11人(トヨタ自動車、三菱重工業など)

10 商社・卸売    10人(三菱商事など)


◇07年春(06年度卒)

1 大学院        150人

2 官公庁         66人

(〈1〉厚生労働省、総務省各9人〈3〉警察庁8人) 

3 銀行          43人

4 司法研修所       31人

5 保険          14人

  商社・卸売       14人

7 証券          13人(ゴールドマン・サックス証券など)

8 放送・新聞・出版    12人

9 経営顧問・シンクタンク 11人(マッキンゼー・アンド・カンパニーなど)

  電力・ガス       11人(東京電力など)