教育3法成立関連社説集
教育3法改正 威圧の法にさせてはいけない 『毎日新聞』社説 2007年6月21日付
教育3法成立 制度の具体化をぬかりなく 『読売新聞』社説 2007年6月21日付
教育3法―現場を画一的に縛るな 『朝日新聞』社説 2007年6月22日付
教育改革3法成立「実効性確保へ厳格な運用を」 『陸奥新報』社説 2007年6月22日付
教育3法成立 これで「再生」できるのか 『新潟日報』社説 2007年6月21日付
教育3法改正 教える意欲がそがれる 『信濃毎日新聞』社説 2007年6月23日付
教育3法成立 現場を委縮させるな 『中日新聞』社説 2007年6月21日付
教育3法成立  「百年の計」見えぬまま 『京都新聞』社説 2007年6月21日付
教育三法/やはり性急過ぎたのでは 『神戸新聞』社説 2007年6月22日付
【教育関連3法】 統制強化に使うな 『高知新聞』社説 2007年6月22日付
なぜ今、教育改革か 『宮崎日日新聞』社説 2007年6月23日付


『毎日新聞』社説 2007年6月21日付

教育3法改正 威圧の法にさせてはいけない


教育関連3法(学校教育法、地方教育行政法、教員免許法)が改められた。教育現場をどう変えるのか。とことん詰めて問題認識や理解、運用基準などを共有するのが当然だ。しかし、迫る参議院選挙で与党の実績として掲げるべく「今国会で成立」を至上とされ、論議未消化の印象を強く残したまま成立してしまった。

改正の骨子は、「我が国と郷土を愛する態度を養う」を義務教育の目標に規定▽副校長、主幹教諭、指導教諭の創設▽国の教育委員会への指示・是正要求権の新設▽私学行政への教委の助言・援助規定▽教員免許の10年更新制と講習義務▽不適切な教員への指導改善研修−−などだ。先の教育基本法改正を受けたもので、安倍晋三首相が唱える「戦後レジームからの脱却」の一環と位置づけられる。

私たちはこれまで、いきなり法改正ありきではなく、教育の現状の何が問題なのか、それをどう変えるのか、現行制度でなぜそれができないのか、などを徹底的に検証し、そこから方策を探るべきだと提起してきた。実際、現行法や制度、学習指導要領が壁になって、今回の改正の目的としていること(教育委員会の責任明確化、教員の資質向上など)が阻害されてきたという実情はない。

しかし、国会では現状を掘り下げた審議が不十分だったばかりか、法改正がどのように現場に適用されるのかも明確にされなかった。例えば、教委への国の介入は限定的、自己抑制的であることが求められるが、どんな場合に「発動」するのか、想定も定義も具体的にできていない。教員免許更新制の「教員の資質向上や不適格教員のチェックという意味でも実効性が乏しいうえに、教員だけ更新制にする合理的根拠もない」という批判にも答えきれていない。

このままでは、教育現場が得心しないまま威圧感のみを与えることになりかねない。そうなると、マイナス評価を恐れ、不祥事や問題を表に出さない傾向がますます強まるだろう。相次いだいじめ自殺や履修ごまかしで露呈した隠ぺい体質や無責任体制が法改正論に追い風となったが、改正が逆効果になっては何にもならない。なのに拙速批判をものともせず通した改正が「首相の指導力」を示す方便というのでは「教育改革は最重要課題」という言葉も泣こう。

改まった法とどう向き合うか。どのようにプラス効果を上げるか。「上」から「下」への監視、締め付けの弊害発生をどう避け、過度の管理に陥らないようにするか。法がそれを決めるのではない。運用し、適用される当事者にそれはかかっている。学校や教委のみならず広く論議し、腐心して共通認識や運用ルールをはぐくむ必要がある。

それでなくても「安倍教育改革」は教育再生会議など各種有識者会議や審議会などで意見、提言が入り乱れ、具体像を結びにくい。首相側が整理と十分な説明の責任を果たすべきである一方、その論議の方向を国民も見据え、身近に引きつけて考えたい。

『読売新聞』社説 2007年6月21日付

教育3法成立 制度の具体化をぬかりなく


安倍首相が掲げる「教育再生」への足がかりが出来たということだろう。教員免許更新制や、「副校長」「主幹教諭」ポストの新設などを盛り込んだ教育改革関連3法が成立した。

教員免許法の改正で、教員の資格制度は一変する。現在は大学の教職課程で所定単位を修得すれば生涯有効な免許がもらえるが、2009年度からは10年の有効期限が設けられ、更新時に30時間の講習が義務づけられる。

問われるのは講習の中身だ。現在ある「10年経験者研修」と似たようなものになっては、実効が上がらない。実際の講習と評価は各地の教員養成系大学で行うが、文部科学省による明確な認定基準の作成は必須である。

教員免許更新制は、当初、指導力不足などの不適格教員を教室から「排除」することを目的に検討された。しかし、中央教育審議会は、教員の知識・技能の定期的な「刷新」のための制度とするよう答申し、その旨法案化された。

不適格教員については教育公務員特例法の改正で対処し、「指導改善研修」の義務づけと、改善の見られない教員の免職などを明文化した。教育委員会には厳正な運用を望みたい。

学校教育法の改正では、校長と教頭の間に「副校長」、校内の教師の取りまとめ役としての「主幹教諭」、他の教員の模範となり、給与面で優遇される「指導教諭」を置くことが可能になった。

学校の組織運営力を強め、教員の意欲を高める効果が期待される。

ただ、教員数を増やすことが難しい現状では、新しいポストに就く教員に過重な負担がかからないよう配慮が必要だ。能力と働きに見合った教員給与体系の再構築も、文科省の喫緊の課題である。

この改正を受け、学習指導要領の改定作業も加速する。小学校英語の必修化の是非、教育再生会議が提言した授業時数10%増の具体化策など課題は多い。拙速を避け、じっくりと議論してほしい。

地方教育行政法の改正で、いじめ自殺や履修漏れの放置など教育委員会に法令違反や著しい怠慢が見られた場合、文科相が「指示」や「是正要求」を出せることになった。

「国の統制が強まる」と批判する声もある。しかし、地方に見過ごせない落ち度があった場合に是正に乗り出すことは、むしろ国の当然の責務だろう。

文科省には、それぞれの制度を具体化する作業をぬかりなく進めてもらいたい。教育再生を実効あるものにするためには財政面での配慮も必要だ。首相の指導力にも注目したい。

『朝日新聞』社説 2007年6月22日付

教育3法―現場を画一的に縛るな


文部科学省がこれまで以上に教育現場に口をはさみ、画一的な考え方を押しつけることにならないか。

そんな疑問が解消されないまま、教育関連3法が成立した。

安倍首相にとっては、「愛国心」を盛り込んだ半世紀ぶりの教育基本法改正に続く教育改革である。

文科相が教育委員会に是正要求や指示をすることができる。教員の免許を更新制にする。学校に副校長や主幹教諭を置くことができる。こう並べていくと、今回の法改正が上意下達の強化を狙っていたことが改めてわかる。

これが本当に教育の再生につながるのか。学力を引き上げ、不登校やいじめを解決することになるとは思えない。

それどころか、教育委員会や学校、教師が萎縮(いしゅく)し、新たな試みをしなくなるのではないか。それが心配だ。

法律が成立したとはいえ、どのように運用するのか、あいまいなところが多い。文科省は現場の判断を重んじ、創意工夫の芽を摘まないようにしなければならない。

教育委員会に対し、文科相が指導などだけでなく、是正要求や指示までできるよう改正されたのは、いじめ自殺と必修科目の履修漏れがきっかけだった。

しかし、今後、どのようなときに指示などを出すのかははっきりしない。文科相は国会答弁で「私が判断した時」「(どんな状態かは)定義はあらかじめできない」などと答えた。これでは文科省の権限が際限なく広がりかねない。

文科省には慎重な運用を求めたい。万一、発動する場合には、なぜ、是正要求や指示が必要なのかをきちんと説明しなければならない。

講習を条件に教員免許を10年ごとの更新制にしたことも、現場への影響が大きい。だが、どんな講習を受け、免許を取り上げられるのはどういう場合なのか。具体的な内容が示されていない。

これでは教師の不安が増すのも無理はない。優秀な人材が集まらなくなる恐れもある。講習の内容や判定の基準を公開し、透明性を高めてもらいたい。

学校に副校長や主幹教諭を置くことも、画一的に進めない方がいい。中間管理職が増えて、子どもたちに向き合う教師が減るのでは、なんにもならない。この制度を使うことを教育委員会や学校に無理強いしてはいけない。

それにしても、安倍首相の教育改革では、不思議なことがある。教育予算については、何ら手だてが講じられていないことだ。

国会審議でも教育予算の増加について与野党を問わず要求が相次いだが、首相の歯切れは悪かった。骨太の方針に盛り込まれた内容もあいまいだった。教育への公的支出を見ると、日本は先進国の中でも低いレベルにとどまっている。

これで教育が改革の本丸だと胸を張るのは、なんともちぐはぐだ。

『陸奥新報』社説 2007年6月22日付

教育改革3法成立「実効性確保へ厳格な運用を」


安倍晋三首相肝いりの教育改革関連三法が成立した。教員免許更新制の導入や教育委員会への国の関与強化などが柱で、教育現場に大きな影響を与えることは必至だ。

まず改正教育職員免許法では、現在終身有効の教員免許に10年の期限を設け、全国に約109万人いる教員に2009年4月以降、順次各30時間の更新講習を義務付けた。

「時代に応じた資質の確保」を導入の根拠としているが、社会情勢に即応した教育を実践するための知識や能力は、日々の業務の中で培っていくのが本筋であるはず。医師や看護師、弁護士らに資格の有効期限がない中、教員だけに更新制を適用する合理的な理由付けは見当たらない。

指導力不足の教員を現場から排除、または資質向上への再教育を施すことに主眼を置くなら、併せて成立した教育公務員特例法で、その趣旨は十分に達成できるだろう。

10年に一度、しかも「普通の先生なら普通に合格するレベル」が想定されているとあっては、実効性には疑問を抱かざるを得ない。せめて、講習を行う全国の大学に良質のプログラムを提供してもらい、認定には厳格な基準をもって臨むことを願うしかない。

また現場の混乱は避けられず、身分が不安定になることで教師のなり手が不足する事態も懸念される。

ここ10年間の国公立大教員養成課程志願倍率は、若干の増減はあるものの総じて低下傾向にある。景気回復や団塊世代の大量退職を背景に新卒者の雇用が好転する中、教員確保の足かせになるような法改正では本末転倒のそしりを免れない。

また、改正学校教育法では副校長、主幹教諭の設置を可能にしたが、増員を伴わない限り意味をなさないとの共通認識が欠かせない。このほか、同法には規範意識や「国と郷土を愛する態度」といった理念を盛り込んだ。

規範意識を高めることには、もとより異論はない。が、国への愛情は人によって解釈が違って当然だし、国から押し付ける筋合いのものでは決してないはずだ。政治家は愛を強要するより「愛されるに足る国づくり」に心血を注ぐべきと考える。

一方、改正地方教育行政法では、いじめで教育委員会に「法令違反や怠り」があり、児童生徒の生命・身体を保護する必要が生じた場合、また履修漏れの放置などに文部科学相が是正や改善を指示できる権限が規定された。

ただ、指示権発動の明確な定義や想定されるケースの基準は示されていない。教委への国の介入は、地方の措置に看過できない明らかな落ち度があった場合など極めて限定的であるべき。単に文科相の権限強化にとどまるようなら「地方分権に逆行する」との地方自治体の不満が高まるばかりだ。

このように改正教育関連三法には問題点も多く、これを補い実効性のある法とするためには厳格な運営が不可欠となる。国会での審議も消化不良だった感は否めず、これを与党の拙速と取るのか安倍首相の指導力と見るか、参院選ではっきり判断を示すべきだ。

『新潟日報』社説 2007年6月21日付

教育3法成立 これで「再生」できるのか


これで教育の将来像を提示したといえるのか。参院本会議で可決、成立した教育関連三法のことである。

安倍晋三首相は「教育再生」を内閣の最重要課題と位置付けている。今回の法改正で再生への方向付けができたとは、とても思えない。

審議もずさん過ぎた。成立を急いだのは、政府、与党が参院選の目玉政策として打ち出したいがためだ。「百年の大計」を政治の都合でいじり回しては、教育の未来はゆがむばかりだ。

三つの法律に共通するのは、教育現場への管理強化と規範意識の強調である。昨年成立した改正教育基本法の「公重視」の理念を踏まえてのことだ。

国が教育委員会に対して是正指示・要求権を持つことや教員免許を十年ごとの更新制にすることが、生き生きとした学校づくりにどう役立つのか。

義務教育の目標として掲げられた「愛国心」や規範意識は、いじめ撲滅とどのような関連を持つのか。文部科学省は、これらの点を丁寧に説明すべきだった。教育や道徳の領域に、法律がどこまで踏み込めるかの論議も深まったとは言い難い。

法律の完成度が低いことは、参院委員会で二十二項目もの付帯決議が付けられたことからも明らかだ。三法だけでは、教育再生の展望が見えないということだろう。

決議に盛られたのは(1)教育予算の拡充(2)少人数教育拡充と教員定数の改善(3)学校評価ガイドラインは序列化を招かないように(4)学校耐震化の促進―など、いずれももっともな内容である。

どれも予算の裏付けが必要だ。しかし、安倍首相は、教育予算の増額について言質を与えず、「真に必要な財源の確保を約束する」と述べただけだ。「真に必要なもの」とは何か。それを明示するのが首相の役割である。

最も残念なのは、教育の混迷を招いている元凶は何かという本質論議が置き去りにされたことだ。学校や子どもは社会を映す鏡である。政界や官界、産業界で続発する不祥事が教育に影を落としてはいないだろうか。

三法が学校現場の管理強化だけをもたらすようでは、教育は委縮し硬直してしまう。求められているのは、教育に力を注ぐ国の姿勢である。大胆な予算措置を講じ、少人数学級の実現や教員の拡充に意を用いるべきだ。

教育とは未来を担う人材を育成することである。本来、党利党略で語るべきテーマではない。それが、参院委員会では強行採決された。基本法や今回の法案に自分の価値観を持ち込んだ安倍首相の責任は重大である。

国民は首相の「本気度」を注目している。「美しい国」を百回繰り返すより、来年度予算で示すことだ。

『信濃毎日新聞』社説 2007年6月23日付

教育3法改正 教える意欲がそがれる


教える立場にある人は「あこがれを強く持つ必要がある」。教育学者の斎藤孝さんが、著書「教育力」(岩波新書)に書いている。

何かを価値あるものと認め、目指し、心ひかれるからこそ努力する意欲がわく。教育の基本は学ぶ意欲をかき立てることである。教える者があこがれの気持ちを失っている場合には、人はついてこない、と斎藤さんは指摘する。

いまの学校で何かにあこがれ、学ぶ意欲を持ち続けていられる先生がどれくらいいるだろうか。

「教育改革といってさまざまなことが変わろうとしているけれど、じっくり考える時間も心のゆとりもない」。ある小学校教諭の言葉だ。

忙しさに加え、保護者との対応、職場での人間関係などに疲れ果てる教員も増えている。2005年度にうつ病などの精神性疾患で休職した公立校の教員は約4200人に上った。過去最多である。この10年で約3倍になった。

こんな状況下で、さらに学校や教員の負担を増す教育関連3法が改正された。学校に新たな管理職を置ける。教員免許を10年ごとの更新制にする。文部科学相が教育委員会に是正を求める権限を持つ。

いずれも内容が生煮えなまま決まった。運用面での検討を十分に重ねる必要がある。

免許更新制は09年度から始まる。講習の詳しい内容も評価基準もこれからだ。対象者は毎年10万人余に上り、手続きは大変になる。約30時間の講習で、本当に教員の質の向上になるのか、疑問符がつく。

学校教育法の改正では、学校に副校長や主幹などを置けるようになる。校長を補佐したり、他の教員への指導ができるポストだ。ただ、管理職が増えても教員の数が増えるわけではない。安易にポストを増やすと、教員が子どもに向き合う時間を奪う結果になりかねない。

最も大きな問題は、お金も人も増やさず、現場の頑張りだけを期待する“改革”になっていることだ。

3法の審議で教育予算の増額を求める声が与野党から相次いだ。しかし安倍政権初の「骨太の方針」では「効率化を徹底しながら、真に必要な予算は財源を確保する」とあいまいな表現にとどめた。

行政改革の名のもとに、政府は教員定数を減らし、評価に基づいて給与に差を付ける方針だ。授業時間の増加、小学校での英語必修化なども検討課題とされている。

教員の負担を増し、国の管理を強めるだけでは、教員の意欲をそぐ結果になる心配が大きい。これでは、教育はよくならない。

『中日新聞』社説 2007年6月21日付

教育3法成立 現場を委縮させるな


教育関連三法改正が今国会で成立したことで、現場の管理体制は一層強まる。公権力が過剰に介入する懸念もあるが、教師は委縮することなく、現場に向き合ってその職責を全うしてほしい。

参院での教育三法の審議をみても参考人や中央公聴会の公述人からは問題点や否定的意見が多く出た。

地方教育行政法の改正では、文部科学相による教育委員会への是正の指示・要求権ができた。地方分権一括法では文科相の是正要求権や教育長任命承認権が削除された経緯があり、国の権限が復活させられた。

いじめ自殺などに教委が適切に対応できなかったことが改正の理由とされているが、主な教委には国からキャリア官僚が出向しており、国の指導や通達にはこれまでも従ってきたはずだ。教委が国の意向に従うだけの組織になりはしないか。

国が教委に指示や要求をしたからといって、いじめ自殺が減るかどうかは疑問だし、地方分権の流れからは逆行する。一方、教委は私学の教育内容に対し、知事から求めがあれば助言できるようになった。私学の自主性は尊重されなければならず、この運用は慎重であってほしい。

教員免許法改正では十年に一度、三十時間以上の講習が教員に義務づけられ、免許が更新制となる。管理強化の手段にされる懸念があり、講習に出る教員の穴埋め問題というなおざりにできない課題もある。

教員に免許更新制が必要かという根本的な疑問はぬぐえない。専門性でいうなら医師や建築士はどうなのか。不適切な人を外すことは現行制度でも十分にできる。教員管理の手段と批判されないよう、手続きの公正さと透明性を確保すべきだ。

学校教育法改正では、副校長や主幹などが置かれ、学校の運営体制が強化される。東京都はすでに主幹制度を導入しているが、希望者が少なく、うまく機能していないという。任務が過重のためらしく、中間管理職を増やしてマネジメント効果を上げようという企業的な論理だけでは公立学校の運営は難しい。

教育の再生には、管理強化よりも現場への支援ではないのか。人や予算の手当てをしないままの改革で効果はあるのか。

指導力不足や問題を起こす教員は少なくないが、問題が起きた背景を分析し、総合的な対策を講じなくては根本解決はない。教師の一日の残業時間は平均二時間といい、過酷な労働状況から精神的疾患にかかる人もいる。管理強化で現場の士気が低下し、教職に就くことを敬遠する若者が増えはしないか、気になる。
『京都新聞』社説 2007年6月21日付

教育3法成立  「百年の計」見えぬまま


「教育改革関連三法」が、参院本会議で可決され、成立した。今回も衆院と同様、委員会での与党強行採決を経た末の成立だ。

わが国の教育の今後を考える時、今回の法改正が明るい展望を開くかは、疑問符が付く。三法成立で国の管理が強化される中で、教育現場が委縮しないよう、運用には十分な注意が要る。

安倍晋三首相は、今回の三法案について、「すべての子どもに高い水準の学力と規範意識を身につける機会を保障しなければいけない」と提出の目的を語り、法の成立で「教育現場が一新されていくと確信する」と語っている。

だが国会の審議を振り返っても、国際的に見て現在の日本の教育のどこに問題があり、その原因は何で、必要な制度的改善策は何か、といった「百年の計」に資するような議論は乏しかった。

また、改革のため、欧米各国と比べ見劣りする文教予算を増やすのかについても、首相は言葉を濁したままだ。十九日に閣議決定した「骨太の方針二〇〇七」でも玉虫色の表現で逃げている。

昨年の臨時国会で教育基本法改正をなしとげた首相にとって、今回の三法は教育版の「戦後レジームからの脱却」を形づけるものと位置づけられようが、具体策では説得力に欠ける。

たとえば成立した改正地方教育行政法では、都道府県教委や市町村教委に対する文部科学相の指示権限を強めた。緊急性が高い事案に限るとはいえ、地方の教育行政は、そこまで信用できないのか。分権時代に地方への権限移譲を進める全体の政策方針にも逆行している。

教員免許法改正では、教員免許の効力を十年と定め、更新講習を行うことなどを定めたが、一部の人は講習免除も可能とした。免除者選定をめぐり学校現場にあつれきをもたらしかねない。

全国には約五百万人の教員免許保持者がいる。「ペーパー教員」も含めて、原則全員に講習を施すだけの予算と態勢と意味があるかも疑問だ。いったん取得した職業資格を、教職に限って時限制に変える以上、他の資格との違いを国民に納得させ、理解を得る必要がある。

教員免許更新制の導入は、不適格教員の排除などに一定の効果はあろう。だがやり方しだいでは学校現場を委縮させ、自由度を失わせる結果も招きかねない。もろ刃の剣であることをよく自覚して運用しなければならない。

結局、今回の三法改正は国や教委の学校管理を強化するという側面ばかりが目立つ。結果的に学校教師が報告書づくりに追われ、児童生徒に向き合う時間が減ることにならないか。そんな本末転倒の事態を防ぐためにも、人員増を含めた予算的配慮が要る。

法の成立で具体策は今後、文科省が定める政省令などに盛り込まれる。省益がらみの関与には、厳しい監視が必要だ。

『神戸新聞』社説 2007年6月22日付

教育三法/やはり性急過ぎたのでは


安倍内閣が、今国会の最重要課題と位置付ける教育改革関連三法が成立した。

改正教育三法案は、参院に移ってから年金記録不備問題もあって、審議がかすんでしまった感が否めない。教育は関係者や保護者だけにとどまらない問題だが、国民の目に論議を尽くしたと映っただろうか。

改正三法とは、十年ごとの教員免許更新制を盛り込んだ「教員免許法」と、教育委員会に対する国の権限を強化する「地方教育行政法」、公立学校に副校長などを配置できる「学校教育法」である。

重要な法改正であり、教育現場への影響は極めて大きい。だが、それほど大きな変化を伴うものでありながら、具体的影響や功罪が、いまだによく見通せない。

とりわけ教員免許更新制は大改革といってよい。十年ごとに三十時間の講習を義務付け、修了の可否を判定するが、対象者は毎年十万人規模になる。教員の技量向上を目指すことに異論はないが、この内容では費用や労力の負担が尋常でない。経験十年の教員も、三十年のベテランも、一律に課す必要が本当にあるのだろうか。

教委改革は、いじめ問題などが引き金になった。一連の教委の不手際を見ても、改革の必要を認めないわけにはいかないが、問題は中身だ。国は教委へ改善指示できる権限強化を打ち出したが、地方分権に逆行するとの批判を受け、児童・生徒の生命にかかわる緊急事態に限定した。真の教委改革の青写真を示せず、国の権限に頼る手法と指摘されても仕方ないだろう。

一方、学校教育法の改正で授業以外の校務に携わる「副校長」や、校務、授業を補佐する「主幹教諭」などを置くことが可能になる。先行導入する自治体も増えているが、有効性はまだ未知数といっていい。

新職種を導入し、学校の内外で起きるさまざまな問題に対処する態勢の強化が狙いだろう。理解できないことではないが、「管理職より一般教員こそ強化が要る」という声があることも忘れてはならない。

教育現場は、国の「改革」に振り回され続けてきた印象がぬぐえない。「ゆとり教育」の導入と排除をめぐる近年の目まぐるしい動きは象徴である。問題があれば、改めるのは当然だが、過去の改革の検証が不十分なままでは現場が混乱するだけだ。

改正三法の成立経緯にも、同じことがいえる。教育は経済改革とは異なる。やはり、性急に過ぎたといわざるを得ない。

成立した以上、これからはどう具体化するかが焦点となる。教育現場から課題を見つけて施策を練り上げることだ。

『高知新聞』社説 2007年6月22日付

【教育関連3法】 統制強化に使うな


成立した教育関連三法は、安倍首相のいう「教育再生」の切り札となり得るのか。

答えは「否」だろう。国による統制強化が学校現場などの委縮や混乱を招き、自由で生き生きとした教育からさらに遠ざかりかねない恐れさえあるといってよい。

「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げる安倍首相は、戦後教育について「豊かになる中、価値の基準を損得に置くきらいがあった」と総括する。首相流の答えが、義務教育の目標に「愛国心」や規範意識を盛り込んだ改正学校教育法だ。

だが、「損得優先社会」の原因を学校教育だけに求めるのは筋違いだろう。「学校は社会を映す鏡」と受け止めるべきだ。

「愛国心」にせよ、「公の精神」にせよ、どうとらえるかは人によって異なる。教育目標を通じた国による一つの考え方の押し付けは、多様な価値観を否定し、内心の自由を脅かすことにつながりかねない。

国は国会審議などでの厳しい批判を真摯(しんし)に受け止める必要がある。運用に当たっては、価値観の強制を排し、自制的に対応していくよう強く求めたい。

慎重な運用が求められるのは他の二法も同様だ。

改正地方教育行政法には教育委員会に対する文部科学相の是正指示、要求権が盛り込まれた。ただし、どういう場合に権限を行使できるのかは、国会審議を通じても明確になっていない。

運用によっては地方の教育行政に混乱を生じさせる恐れがある。統制強化の手段に使うようなことがあってはならないのは当然だ。

改正教員免許法で導入された免許更新制にも、恣意(しい)的な運用への懸念がつきまとう。管理強化が教員の委縮などを招けば、しわ寄せは子どもたちに及ぶ。

こうした数々の疑念が解消されないのは、安倍流の「教育再生」が参院選向けの目玉として優先されたからだろう。現状分析とそれを踏まえた論議が不十分なままでは、当然の結果ともいえる。

参院文教科学委では二十二項目もの付帯決議が採択されたが、その一つに教育予算の拡充がある。国内総生産(GDP)に対する教育費の公的支出の割合が先進国では最低の水準、というのが日本の現実だ。

教育を「国家百年の大計」と考えるのであれば、安倍首相の最優先課題は明らかだろう。

『宮崎日日新聞』社説 2007年6月23日付

なぜ今、教育改革か


国の将来を担う子どもを教師は預かる。教育改革関連法が成立し教員は10年に一度、免許更新が義務付けられた。これで問題教師がいなくなると単純には受け止められない。

国公私立の幼稚園から高校までの現職教員の数は約110万人。毎年10万人が受講するが、座学中心の30時間の講習で資質を見分けることができるのだろうか。一人3万円の費用をだれが負担するのかさえ決まっていない。認定試験に落ちたら再受講すればよい。

だいたい「ダメ教師には辞めていただく」という政府首脳の鶴の一声で決まった。都道府県教育委員会が掌握している不適格教員は総数の0・1%。教育委員会で十分に指導できる。命を預かる医師には更新制はなくこの差は何だろう。

新たに校長と教頭の間に「副校長」、教頭と一般教員の間に「主幹教諭」と「指導教諭」を設ける。上意下達しやすい組織構図は、利益追求の会社と変わらない。上役より子どもを向いている教師を保護者は求めている。ベテランが少なくなっては元も子もない。

教育委員会についても根本的な審議はなかった。教育委員は地元有力者の名誉職となっており、教育長は校長退職者であることが多い。教育行政のトップでありながら、予算権限は与えられていない。一方で国の関与は強められている。

改革と言いながら予算や教員を増やす根拠は示されなかった。教育が抱えている問題は教育改革関連法とは別の次元にある。空理空論で法改正ばかり先行し、細部の詰めは後回し。猫の目教育行政で一番被害に遭うのは子どもたちだろう。