『南日本新聞』社説 2007年6月14日付

[国立大交付金] 公平さを欠く成果主義


国立大学の運営費交付金について、政府の経済財政諮問会議は教育・研究の成果や大学改革などへの取り組みに応じて「適切に配分」することを了承した。

すでに成果に応じて配分されている競争的研究費だけでなく、人件費も含めた学校運営経費にも成果を反映させることで資金の選択と集中を促し、大学の国際競争力を高めようというものだ。

財務省が行った試算結果によれば、競争的経費である科学研究費補助金の配分実績で運営交付金を再配分すると、87国立大のうち、東大や京大など大規模な総合大学で交付額が増える一方、74大学が減額になった。

しかも鹿児島大や鹿屋体大など50大学は軒並み5割減になるという。これでは大学の運営はできない。地方の大学の切り捨てである。

国立大学側は提案が実行されれば、成果の見えやすい分野だけが評価されることになり、基礎研究や自由な発想による研究の芽がつぶされると反論している。確かに、成果を求めすぎれば、すぐに実用化が可能な応用研究ばかりに目が向くようになり、基礎研究がおろそかになることは十分予測できる。

試算による減額幅が最も大きいのは教員養成が目的の教育系大学であるということも問題だ。教員の養成は成果が目に見えるものではないものの、大学の重要な仕事の一つである。

私立大学が数多く存在する大都市圏に比べ、地方の国立大学が担う役割は大きい。医師や教員など地域を担う人材育成や地場産業を支援する研究などのほか、地域の知の拠点としての貢献度は計り知れないものがある。

文部科学省が地方の中堅国立大4校の地元経済に与える影響を検証したところ、一大学当たり年間400億円から700億円近くの経済効果と、最大9000人の雇用を生み出しているという結果が出た。

財務省の試算は、財政資金を減らしたいという意向ばかりが強く、地方の国立大の目に見えない役割を反映していないことが致命的な欠陥といえる。

教員数などに応じて配分される運営交付金について、非効率な利用が指摘されているのも事実であり、さらなる経営努力は必要だ。だが、効率だけで大学経営を論じるのは短絡すぎる。

国立大が今後、地域に対しどのような貢献ができるのか、地方分権への展望も含めた幅広い論議が必要だ。