教育再生会議第二次報告関連社説集

教育再生報告*競争をあおるだけでは 『北海道新聞』社説 2007年6月2日付
教育再生第2次報告/日程優先の拙速な内容だ 『河北新報』社説 2007年6月2日付
教育二次報告 『修身』復活はごめんだ 『東京新聞』社説 2007年6月2日付
教育再生2次報告 首相の持論の追認では困る 『愛媛新聞』社説 2007年6月2日付
再生会議2次報告 これでは教育は悪くなる一方 『しんぶん赤旗』主張 2007年6月3日付

『北海道新聞』社説 2007年6月2日付

教育再生報告*競争をあおるだけでは


政府の教育再生会議が、第二次報告をまとめた。公立学校の土曜日授業の再開や、小中学校を父母が選ぶ学校選択制の拡大、道徳の教科化などが柱だ。

「学力向上」と「規範意識の育成」を重視する安倍晋三首相の意向を強く反映した内容ばかりだ。

週休二日制が定着している中で、土曜日授業は時代の流れに即しているのだろうか。生煮えの提案としか思えない。

土曜日授業の再開は、授業時間を増やして学力向上を図る狙いだ。再生会議は先に「授業時間の10%増」を提言している。

だが、土曜日を使ってまで授業を増やす必要は本当にあるのだろうか。

日本の子どもの学力は、国語の読解力は低下しているが、機械的な計算力などは他国に比べて劣ってはいないという国際学力調査がある。

「考える力」を育てることが課題だが、授業時間を増やせば簡単に向上するものでもないだろう。むしろ詰め込み教育に陥る心配がある。

従来の月曜日から金曜日までの授業で、何が足りないのか。土曜日返上でどのような教科の授業を増やす必要があるのか。再生会議が報告に先立って十分に分析したとも思えない。

再生会議は、土曜日授業について、表向きは学校や教育委員会の裁量を認めている。しかし、結果的に父母の競争心をあおり、事実上の強制になる可能性は否めない。

本来は国会の場で審議するべき問題だろう。再生会議のような場で簡単に結論を出すような問題ではない。

学校選択制の拡大は、すでに一部の自治体で導入されている。とくに都市部では、人気校に子どもが集中する半面、子どもが集まらない学校もあるなど問題点が指摘されている。

再生会議は、人気校に教員を多く配置し、図書の充実などの重点的な予算措置を講じる提言をしている。

学校間の格差が広がることを、多くの父母が望むだろうか。むしろ、「優秀」とは見なされていない学校の子どもを、どのように支援するかが重要なのではないか。

再生会議は、道徳を国の検定教科書を使って教える方針だ。何を、どう教えるのか。内容が不明確のまま、再生会議が「教科化」だけを決める手法も危うさを感じさせる。

官邸に設置された再生会議の本来の役割は、縦割り行政の壁をこえ、官僚の発想にとらわれずに教育再生の道筋を提言することにあるはずだ。

例えば文部科学省と環境省が提携した環境教育プログラム策定など、省庁の枠を超えた発想こそ期待したい。

首相の意向をなぞった提言をまとめるだけでは、多くの父母の共感は得られないだろう。

『河北新報』社説 2007年6月2日付

教育再生第2次報告/日程優先の拙速な内容だ


政府の教育再生会議(野依良治座長)が1日、1月の第1次報告に続く第2次報告を安倍晋三首相に提出した。

学力向上と規範意識の育成を柱に(1)授業時間数10%増に向け土曜授業の実施(2)徳育(道徳教育)の教科化(3)めりはりのある教員給与体系の実現―などを掲げている。

このほか、保護者や児童が就学先を選べる学校選択制の導入促進、小学校に英語教育の導入、高校での奉仕活動の必修化など、盛りだくさんな内容だ。

だが、第1次報告と同様、徹底した検討を重ねた末にまとめられた報告とはとても言えない。議論が生煮えのまま盛り込んだ内容が多すぎる。

第1次報告は、教育改革関連3法案の提出に向けた通常国会の政治日程に合わせて提出された。今回は政府が今月策定する「骨太の方針」に間に合うようまとめられた。日程を考慮することは必要としても、拙速であっては何にもなるまい。

例えば、土曜授業。報告は学校週5日制を基本とした上で、必要に応じて行えるようにするとしているが、学力向上の強い圧力がかかっている今日、事実上、土曜授業の復活につながるものと言える。

学校が隔週5日制から完全週5日制になった際、減った授業時間数が7%だった。今回の10%増はそれを勘案した数字というが、10%増が必要な根拠はあいまいだ。増やした分を何に充てるのかも明確でない。それでなくても、「ゆとり」のない学校現場で、どのように対応していけるかも不明だ。

授業時間数の増加を強く求めるためには、児童生徒の学力の状況や「ゆとり教育」の功罪について徹底して検証するのが先決だろう。

児童生徒の基礎学力や学習意欲を向上させることが極めて重要なのは言うまでもない。それでも、求められる学力水準をめぐって国民の共通認識はないのが現実だ。その状況のまま授業時間数を増やすのは、児童生徒や学校間の競争を過熱させることにしかなるまい。

再生会議が学力向上とともに強く主張しているのが徳育の充実・強化だ。

当初は正式教科にする方針だったが、既存の教科と同様の扱いをすることは困難として正式教科化を断念し「新たな教科」と位置付けた経緯がある。

現在も、道徳教育は小中学校で教科外活動として「道徳の時間」が設けられ、週1回程度の授業が行われている。現在と何をどう変えるのか、もっと十分説明する必要があるだろう。

再生会議は首相の肝いりで設置されたが、当初から権限や役割があいまいだった。

再生会議の報告について、伊吹文明文部科学相が「実施に移すかどうかは政府側の判断」と述べているように、政府が都合のいいところをつまみ食いして利用しているのが実態だ。

12月には予算編成に合わせて第3次報告が予定されている。日程優先で拙速な報告が続くなら、再生会議の存在意義すら問われるのではないか。

『東京新聞』社説 2007年6月2日付

教育二次報告 『修身』復活はごめんだ


「徳育」は教科とし、教科書もつくれという。教育再生会議がまとめた第二次報告は、提言の柱の一つに「徳育の充実」を掲げた。教材の例に偉人伝を挙げるが、戦前の「修身」復活ならごめんだ。

二次報告は「学力向上」「心と体−調和の取れた人間形成」「大学・大学院の再生」「財政基盤のあり方」を四大テーマとし、「心と体」の冒頭の提言で「徳育の充実」をうたっている。

社会の規範意識や公共心を身につけさせる教科に道徳があるが、再生会議の議論ではいまの道徳教育は十分ではないとし、さらに発展させた教科として徳育を位置づける。国語や社会科、体育、総合学習の時間なども関連付けて充実させるとしており、重要視している姿勢がわかる。

ことし一月の一次報告は子どもの規範意識を高める方策として「民話や神話・おとぎ話、茶道・華道・書道・武道などを通じて徳目や礼儀作法、形式美・様式美」を掲げた。復古調が目立ち、諮問した安倍晋三首相が絶賛した内容だった。

この具体的手段が徳育の教科化だが、教材には「教科書と副教材を使う」という。「その際、ふるさと、日本、世界の偉人伝や古典などを通じ、他者や自然を尊ぶこと、感動などに十分配慮したものが使用されるようにする」と補足説明も付く。

教科書とは文部科学省の検定を受けたものを指す。すでに小学校では副教材「心のノート」が使われているが、これには一定の考え方や感じ方を教え込むものではないかとの批判が出ている。検定を受け、一定の枠にはめられた教科書で徳育を教えることはその傾向がさらに強まる。ましてや、偉人伝などとくると、戦前の教科書を思い浮かべてしまう。

徳育の評価方法に報告は「点数」を外した。規範意識の習得度を数値化するのは困難であり、当然だ。ただ、教科である以上は評価が伴う。記述式も検討されたという。

具体的には中央教育審議会でも議論されるだろうが、教科化そのものをもっと慎重に吟味すべきだ。徳育が昔の「修身」のような授業として復活を目指すのなら、批判は相次ぐだろう。

徳育の教科化に会議メンバーの間では意見が分かれていた。まとまらない段階で座長と座長代理に結論が一任された。七月の参院選を前にして出てきた二次報告は、これを「美しい国」の土台にしたい首相の意向に再び沿う内容だ。会議は公開されておらず、結論までのプロセスが見えにくい。子どもの将来にかかわる重要なことをこんな手順で進めていっていいものだろうか。

『愛媛新聞』社説 2007年6月2日付

教育再生2次報告 首相の持論の追認では困る


教育再生会議が第二次報告をまとめた。

第一次報告にある授業時間の10%増のため土曜授業を可能にし、学校週五日制を事実上廃止する。徳育を点数で評価しない「新たな教科」にする。大学・大学院の九月入学を促す。教員評価を踏まえメリハリのある給与体系とする。それらが柱だ。

再生会議は安倍晋三首相の肝いりで発足した。それを反映して、ゆとり教育見直しや規範意識の植えつけ、市場原理導入といった首相の持論に沿う内容が今回もずらりと並ぶ。賛否の分かれるものばかりだろう。

一方、国内総生産(GDP)比で先進国中、最低水準にある教育費の公的支出の拡大には触れていない。口は出すが金は出さないとは都合のいい話で、首相の意気込みも問われる。

いずれであれ、いまの仕組みを大きく転換する以上、客観的に現状分析し、有効な方策を理論的に練り上げていく作業は不可欠となる。ところが提言は結論ありきの印象で、各委員の言いっ放しを文科省の出向者が占める事務局が恣意(しい)的に拾い上げているとの批判も聞こえる。

今回も、たとえば週五日制への完全移行はまだ五年前だが、功罪についてどれほど議論がなされたのかは不明だ。

第一、当然の事実のように語られる学力低下も見方は一様でない。文科省が二年前、全国の高校三年生を対象に行った学力調査では、数学と理科で想定正答率を大幅に下回った半面、全体的な学力や学習意欲は改善がみられた。この結果をどう考えるのか。四月に行った全国学力テストの分析もこれからだ。

経済協力開発機構(OECD)の国際学力テストで世界一となったフィンランドの授業時間が日本より短い現実もある。学校や自治体への権限移譲、少人数教育、充実した教員養成課程などが要因とされ、これをみても単純に授業時間を増やせば学力が伸びるとはいえない。

徳育は中央教育審議会の山崎正和会長などから異論が相次いだのを受け、正式教科化を断念した。それでも一面的な価値観の押しつけには今後とも厳しく目を光らせないといけない。

教員評価に基づく給与体系は不適格教員の排除手段とされる免許更新制などとともにアメとムチとして作用しよう。現場を委縮させないか心配される。一方では社会人を大量採用するという。これで教える力を高められるのか、展望が見えない。

ちぐはぐさは、わざわざ授業時間を増やしながら英語を必修化する点も同じだろう。

第一次報告からは免許更新制などがすでに法案化され、衆院を通過した。いかにも性急だ。

首相が「物議を醸すのを恐れず議論してほしい」と語ったように大胆な意見はあっていいとして、それを強引に押し通すのは認められない。国民に説得力のある根拠を示し、再生の道筋を描いてみせるべきだ。

再生を要するほど教育は崩壊状態なのかといった根源的問いも聞かれるようになった。地に足のついた論議に努めたい。

『しんぶん赤旗』主張 2007年6月3日付

再生会議2次報告
これでは教育は悪くなる一方


政府の教育再生会議が第二次報告をまとめました。「競争とふるいわけ」の教育を助長し、教育への国家統制を強める改悪教育基本法のいっそうの具体化をはかろうとするものです。安倍内閣は、一月の第一次報告に盛り込んだ教育三法改定案の今国会成立をねらい、さらに第二次報告で打ち出した「徳育の教科化」や「授業時数の10%増」について学習指導要領などの改訂を来年三月までに行う方針です。

特定の価値観押し付け

現行の「道徳の時間」を「徳育」として「教科化」するのは、国が検定する教科書などで特定の価値観を子どもに押し付けるねらいがあるからです。憲法が保障する「思想、良心の自由」に真っ向から反します。マスメディアも、「教科にすれば文部科学省による統制が強まり、微妙な価値観を含む道徳教育が硬直し、画一化する懸念がある」(「日経」二日付社説)と批判しています。

しかも、政府が押し付ける特定の価値観が復古調であることにも「徳育が昔の『修身』のような授業として復活を目指すのなら、批判は相次ぐだろう」(「東京」同日付社説)ときびしい目をむけています。

日本共産党の石井郁子衆院議員が国会質問でとりあげたように、過去の侵略戦争を「アジア解放の戦争だった」と賛美する「近現代史教育プログラム」が文部科学省の委託事業として採用され、学校に持ち込まれています。

「戦争賛美の教育を押し付けるな」という声があがっているように、侵略戦争を支えた戦前型の教育にもどることは許されません。市民道徳の教育は、憲法にもとづき基本的人権の尊重を中心に、自主的にすすめるべきであり、現場の創意工夫がかぎです。特定の価値観をおしつける「徳育の教科化」は必要ありません。

「子どもが規範を学ぶのは、教室だけではない」(「朝日」同日付社説)との声もあります。「政治とカネ」をめぐり多くの疑惑につつまれた故松岡前農水相の説明責任とかばい続けた安倍首相の態度をあげて、自らの規範を正すよう求めているのです。

学力保障に一番有効な少人数学級には背をむけて、授業時数一割増で学力向上をめざすというのも納得がいきません。学力世界一のフィンランドの授業時数は、日本より短いのです。教育再生会議の委員からも、授業時数と学力の関係は「実証的に検証されていない」と批判がでており、科学的根拠も示さず提言すれば現場の困難がますだけです。

報告は柱の一つに「財政基盤」をすえましたが、教育予算を増やすのではありません。「効率化」をあげて差別的な配分に徹しています。「メリハリある教員給与体系」は、上からの評価で給与に格差をつけるもので、教員の目を行政や管理職にむけさせ、子どもとの時間を奪ってしまいます。大学問題では、世界でも異常に高い授業料や貧弱な勉学・研究条件の大本になっている極端に低い大学予算の問題にふれないまま、競争原理の徹底と再編統合をうちだしています。大学の健全な発展の基盤をほりくずすものです。

憲法にもとづく教育を

教育再生会議が、委員に教育研究者を加えず、マスメディアにも会議を公開していないことに批判が起こり、「会議を公開」し、「教育研究の専門家を置く」よう求める声があがっています。国民の英知をあつめるとともに、改悪教育基本法の具体化ではなく、憲法にもとづく教育に抜本的に転換させていきましょう。