『東京新聞』2007年1月29日付

特報
国民投票法案 反戦派も二分


通常国会が始まった。注目点の一つは、憲法改正のための国民投票法案の行方だ。すでにCM規制など実施要件に論議は進んでいるが、「そもそも」の議論は尽くされたのか。改憲の柱は憲法九条だ。集団的自衛権行使の合法化などを求める人々が明文改憲を望むのは自明だが、そうした動きを警戒する人々の間で、国民投票についての評価が割れている。問題の焦点は「解釈改憲」の扱いにありそうだ。

国民投票法案は現在、継続審議中。改憲を最大の政治課題とする安倍晋三首相は二十六日の施政方針演説でも「今国会での成立を強く期待する」と言明した。

自民、公明の連立与党が衆参両院で過半数を握っているため「数の論理」では同法案の成立は必至だ。しかし、護憲勢力の大半は「憲法改正をめぐる国民感情は国会での勢力分布とは別もの」と反発している。

ただ、いわゆる軍備拡張に反対する人々の間でも、同法案をめぐっての見解は一枚岩ではない。国民投票を逆に「解釈改憲」の現状に対する歯止めに使おうという考えがあるからだ。

その考えを訴えてきたジャーナリストの今井一氏、逆に慎重な大東文化大の井口秀作助教授の二人に聞いてみると−。

国民投票の実施に賛成か、それとも反対か。その理由は?

「賛成」と答える今井氏は自らを「護憲派」とも「改憲派」とも規定しない。大切な点は「国民主権の行使にある」と強調する。

「国会に議席が過半数あることで、与党は『解釈改憲』の形で憲法改正を推し進めてきた。現状では国民の制憲権はないに等しい。九条に限らず、女系天皇、死刑の是非といった重要問題でも国民の側からは取り上げる術(すべ)がない。主権行使に国民投票は不可欠だ」

今井氏は国民投票で集団的自衛権行使につながる改憲が認められれば「日本は米国の戦争に巻き込まれる」と推測する。それゆえ、集団的自衛権行使の“合法化”には反対だが「どんな結果が出ても投票が無効とは言わない。結果への批判は別次元の問題」という。

一方、井口氏は「憲法改正の場合、国民投票をしなければならないことは憲法九六条で決まっており、反対しようがない。私自身は憲法改正、特に九条改正に賛成か否かと問われれば、反対だ」と語り、こう続ける。「国民投票実施のためには、憲法改正案の成立が条件だから、改正に反対する側が投票の実施を積極的に求めることはまったく意味がないし、できない」

「解釈改憲」が進み、自衛隊がイラクへ派遣される中、なぜ改憲勢力はあえて国民投票を望むのか

井口氏は「これまでの解釈改憲と明文の憲法改正の間には、天と地の開きがある」と指摘する。

「九条がなければ、イラク派遣の際の『戦闘地域・非戦闘地域』の問題などは吹っ飛んでいたはず。九条は一定の歯止めになっている。だからこそ、明文の改憲をしたい人たちがいる」

今井氏も同調しつつ「実際には、タカ派の半数以上が国民投票に消極的なのでは」とみる。それは国民投票で負けた場合のリスクを考えてのことだという。

逆に今井氏は現在の護憲勢力をこう批判する。「もし、改憲派が改正発議をやめた場合、護憲派はそれを勝利と自賛するだろう。だが、現実には解釈改憲が進んでいくだけだ」

この認識は、今井氏が国民投票に固執する根拠にもなっている。同氏の立場を正確にいうと「条件付きで国民投票に賛成」。条件とは何か。

「憲法改正案はあくまで二者択一。だから、改正案には必ず細かなマニフェストを付けるべきだ。例として改正案が否決された場合、自衛隊を戦力ではない災害救助隊に特化するなど。これによって、解釈改憲が進んだ現実を無効にすることができるのではないか」

国会で護憲派が多数派になることが難しい現実を踏まえ、国民投票に「一発逆転」を期す意思がのぞく。

しかし、井口氏はこの提案に否定的だ。このようなマニフェストは国会が現状を違憲と認めることであるから、解釈改憲を積み重ねてきた責任を棚上げすることに等しいと説く。

「自衛隊は必要ではあるが、海外での武力行使には反対、自衛隊にそもそも反対など、憲法改正案に反対する理由は多様だ。改正案の賛否のみを問う国民投票で、そこまで問うことは不可能。さらにイラク派遣をやめたり、自衛隊を廃止するなら、憲法ではなく自衛隊法など法律をいじればよい。解釈改憲を進めてきた勢力が、それを反故(ほご)にしかねないマニフェストを許すと考えるのも非現実的だ」

■憲法改正案 成立も微妙

改憲、護憲両派ともに内部に多様な見解がある。特に改憲派が改正案を一本化することはできるのか

井口氏は「国民投票はあくまで改正案に賛成か否かであり、それは改正案によって決まってくる。すでに存在する改憲、護憲両派が対峙(たいじ)するという構図のみでみるのは間違い。国会で憲法改正案がまとまるかは微妙だ。とりわけ民主党が解釈改憲の枠を広げており、野党第一党の役割を果たしていない」と批判する。

今井氏は「九条護憲といっても社民、共産、市民それぞれが解釈する護憲というのが実態だ」と指摘しつつ、「最終的には海外の例をみても改憲、護憲両派ともまとまらざるを得ない」と改正案作成やその後の攻防を予想する。

一九三〇年代、ドイツのワイマール憲法下でナチスが民意から生まれたように、国民投票が憲法原則を逸脱する危険はないか

「もし、ワイマールの時代の後、世界で国民投票がなかったとしたら、私も同じ懸念を抱く。でも、それ以降、西欧では数百の国民投票が健全に実施されてきた」と今井氏は力説する。

「いまは国民が判断材料としての情報を自由に得られる。憲法で定められた『平和主義』原則を逸脱しているのは、むしろ解釈改憲の現状だ。九条が人類の理想であるなら、それをいままで国民投票に問わなかったことの方がおかしい」

ただ、井口氏は「直接民主主義を否定するものではないが」と前置きしつつ、国民投票の機能への“過大評価”をいさめる。

■改正正当化 追認の危険

「国民投票はあくまで国会が発議した改正案に賛成か否かを問うもので、多様な国民の意思が文字通り反映されるわけではない」

さらにこう付け加えた。「解釈改憲を進めた勢力は憲法に反する現実をあくまで『憲法に反しない』と説明してきた。解釈改憲はいまも拡大傾向にある。このままいくと、国民投票が実施されるときには実質的な憲法改正が実現し、国民投票はそれを正当化するだけのものになる危険がある」

<いまい・はじめ> ジャーナリスト。【国民投票/住民投票】情報室事務局長。一九八一年のポーランド民主化運動を取材後、ソ連や東欧、西欧の国民投票の実態を取材。その後、日本各地での住民投票も追う。著書に「住民投票」「『9条』変えるか変えないか−憲法改正・国民投票のルールブック」など。五十二歳。

<いぐち・しゅうさく> 憲法学者。大東文化大学大学院助教授。フランスの国民投票制度に精通する。著書に「いまなぜ憲法改正国民投票法なのか」など。「『国民投票法案』の批判的検討」「『国民投票法案』に浮上した新たな問題点」など、論文を通じても活発に発言している。四十二歳。

<憲法九六条>
 一 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又(また)は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 二 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

<デスクメモ> 教育基本法改正、防衛庁の「省」格上げと続き、悲願の憲法改正へ突き進む安倍首相。自殺者が年間三万人を超えるこの国で、国民がいま本当に望んでいることなのか。施政方針演説では多くの国民が感じている「格差」という言葉も使わなかった。理想主義と現実とのバランスにも目を向けてほしい。 (里)