『朝鮮日報』2007年1月28日付

教育再生:「社会総がかりで学力低下を防ぐ」
野依教育再生会議議長インタビュー(上)


安倍晋三首相の教育改革を主導する、首相直属の「教育再生会議」で議長を務める野依良治氏(68)は、「人材育成のためには、個人の持つ才能を最大限高める競争的な社会風土と、協調を重視する雰囲気の両立が必要だ」と主張した。教育再生会議は今月24日、週5日授業などをはじめとするゆとり教育の放棄、優秀教員への優遇などが盛り込まれた第1次報告書を提出した。

2001年にノーベル化学賞を受賞し、理化学研究所の理事長を務める野依氏は26日、朝鮮日報とのインタビューで、「教育は家庭をはじめ、学校や地域社会、企業、マスコミの皆が当事者意識を持つべきだ」と強調した。

以下は、野依氏とのインタビューの要旨。

−30年間続いてきた「ゆとり教育」をなぜ放棄するのか。

「理念は良かったが、結果が悪かった。数学など、理数系の実力を国際水準に引き上げなければならない。そのためには反復学習も一定期間必要になる。だからといって、画一的な過去の詰め込み教育に回帰しようというわけではない。これと関連し、不適格教員を排除し、優秀な教員を給与や昇進などで優遇しようという主張に対しても、社会的合意がほぼできている」

−個人的に特に強調した点は何か。

「義務教育である小中学校の教育について、政府が責任を持って改革しようという点だ。公教育の最終責任は政府にある。また、学校の改革だけではダメだ。教育の原点は家庭であり、各界が教育の当事者という認識を持つべきだ。今回の報告書の題名も“社会総がかりで教育再生を”としている」

−体罰基準の見直しをするというが。

「現在の体罰の基準は1948年に定められた。物理的暴力だけでなく、騒ぐ生徒を教室の後ろや廊下に立たせることも禁じている。その上、ここ10年間で生徒にも人権があるという考えが定着し、体罰は論議すらはばかられるようになった。しかし、“一定の線”を越えた生徒にはペナルティーを与えるべきだ。その意味で、体罰と「躾(しつけ)」は区別すべきだと思う。「躾」には、文字通り身体を美しくするという意味がある。わたしは躾としての体罰には賛成している」


教育再生:「“競争”と“協力”の両立を」
野依教育再生会議議長インタビュー(下)

−教育再生会議議長に就任し、考えが変わった点はあるか。

「日本は学校教育に偏重しているが、学校は主に数学とか理科のような“形式知(形態を有し、表現される知識)”を教えるところ。しかし、文化に根ざした“暗黙知(学習と体験を通じ、内面化される知識)”も同じくらい重要だ。こうした面から不足した点がなかったかどうか、各自反省しなければならない」

−科学技術はトップだけが評価されるが。

「もちろん科学技術はトップがその水準を引き上げる。トップの人材を育てるという意味で、個人の能力の差は厳然として出てくるため、平等主義的な教育は望ましくない。個人の立派な才能と力を最大限伸ばせる社会の風土が必要だし、同時に、技術開発には協力を通じた総合力が必要だ。競争と協力が両立しなければならない」

−人材育成で大学が果たすべき役割は何か。

「良い社会を築くには、“大学が終わりではない”という認識が共有されなければならない。大学4年を終えた後が重要なのだ。理工・医学・経済・法学・人文など、分野別に期間が異なるだろうが、学部を修了した後の教育・研究プログラムをいかにして築くかが国際競争力に結びつく。米国の力の源はまさにここにあるといえる。現在のところ不十分な日本の大学院の質を高めるための根本的な改革が必要だ。危機意識を持たなければならない」

−韓国も日本のように少子高齢化が進んでいる。こうした社会を支える人材とはどういった人物か。

「互いを尊重し、仲よく暮らしながら補完すべきだ。最近、若者たちに“尊敬され、感謝される人になりなさい”と言っている。尊敬されるようになるのは大変なことだが、感謝の方は努力次第でそれなりに得られるものだ。親は子供が個人として生きていく基本となる衣食住のほかに、公徳心と礼節を教えるべきだ」

東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員