『宮崎日日新聞』社説 2007年1月25日付

教育再生会議報告 中教審後追いの印象ぬぐえず


政府の教育再生会議が第1次報告を決定し、安倍晋三首相に提出した。「ゆとり教育見直しのため授業時間増」「教員免許更新制」「教育委員会改革」とさまざまな処方せんが並ぶ。

だが、これまでの教育のどこがどう問題なのか。肝心の現状分析が欠落したままで処方せんを示しても、説得力に欠けるといいたい。

人目を引きそうなテーマを並べて政治的アピールを狙ったとしか思えず、中央教育審議会の守備範囲を横取りしたようなテーマが目立つ。屋上屋を架すとの印象は避けようがない。

■先進国で教育費最低■

国内総生産(GDP)に対する日本の公教育費の割合は先進国でも最低レベルである。再生会議で「50年先、100年先を見据えた議論もしてまいりたい」(首相)というのならば、中教審では荷の重いこうした問題にこそ、切り込むべきだ。これもない。

省庁を超えたテーマも抽象論でお茶を濁している。動いている教育政策の後追いとカネのかからない精神論ばかりの「教育重視」では再生会議の看板が泣こうというものだ。

ゆとり教育見直しとしては授業時間10%増を掲げた。「すべての子どもに高い学力を」という首相の意向をくんで盛り込まれたのだろうが、子どもたちの学力のどこに問題があって、授業時間という処方せんにたどり着いたのか。判然としないままだ。

そもそも、ゆとり教育といっても定義がはっきりしない。「ゆとり」という言葉も、変化する社会に対応するため「ゆとりをもった学習活動を」という学習の質に着目した理念である。詰め込みでない、はげ落ちない学力を目指したものである。

■報告は閣議決定なし■

いま、文部科学省や中教審はこうした理念について、「趣旨は間違っていないが、手だてに問題があった」として学習指導要領の見直し作業を積み上げているところだ。どんな学力を目指すのか、十分な論議もないままに政治の力で強引に横やりを入れるような再生会議のやり方は乱暴すぎるだろう。

文科省が認めているように、そもそも授業時間を増やすことと学力との相関関係は実証されていない。学力世界一といわれるフィンランドの授業時間は日本よりもはるかに少ない。

報告は基礎・基本の反復・徹底など指導方法まで言及している。だが、こんなことは学校が子どもの状況に応じて判断すべき事柄だ。官邸が口出す問題ではない。かつての画一教育に戻そうというつもりなのか。

出席停止活用も、子どもの状況に応じて現場で判断すればいいことだ。上から一律に「活用しろ」と言うのは無用な混乱を招くだけだ。教育再生で政権浮揚のきっかけをつかもうという思惑が先行しすぎているのではないか。

「ゆとり教育見直し」「教育委員会制度改革」など、いったん消えかかったテーマが報告に次々と復活したのは「先送り、先送りでは首相の指導力が見えないということになる」という官邸の意向だという。当然ながらその舞台となった中核メンバーによる運営委員会は議事録さえ非公開だ。

公教育は国民の関心事である。密室の中で詰めた論議もしないまま、結論だけを下ろすようなやり方はやはり問題がある。報告を閣議決定しないというのも積み上げた議論がないからだ。