『中国新聞』社説 2007年1月25日付

教育再生会議 現場巻き込んだ議論を


「教育の再生」という壮大なテーマに取り組むのにスピード感を強調しすぎると、拙速は避けられない。会議の派手なイメージと、現在進行形で教育現場が抱える問題の間の落差は大きい。提案が実際にどこまで有効か、国民的な議論と合意が必要である。

教育再生会議がきのう、第一次報告を安倍晋三首相に提出した。「ゆとり教育」の見直しや教員免許の更新制、将来の国家試験化などを打ちだしている。

安倍首相はきょうからの通常国会を「教育国会」と位置付ける。教員免許法改正案など三法案を成立に結びつけることで、下がり続ける支持率回復を図る。

しかし報告には、さらに掘り下げるべき要素が多い。

例えば「ゆとり教育」見直しでは、公立学校の授業時間10%増を挙げる。ただ、授業時間と学力の関係ははっきりしない。国はこれまで三十年にわたって授業時間数を減らしてきた。詰め込み教育の反省からだ。逆戻りさせない歯止めはどうかけるのか。

そもそも公教育が目指す学力はどんな姿なのか。相次いで発覚した高校の必修科目履修漏れは、現場の物差しが大学受験しかない現実を映していた。それなのに大学や企業は、若者の基礎学力不足を嘆く。「これだけは身に付けておいて」という社会合意をあいまいにしたままで、学力向上を論議するのは理屈に合わない。

いじめた児童・生徒の出席停止では、再教育と復帰はどうするのか。体罰の範囲を三月末までに事実上緩和するというが、具体的な線引きはこれからだ。

安倍首相は法案化作業の加速を指示した。直接担当する伊吹文明・文部科学相は中央教育審議会に諮る考えを示した。首相直属の再生会議と文科省、中教審の役割分担は明確でない。当初から懸念があったように、「船頭多くして…」の迷走も予想される。

再生会議は各界から十七人を集め、鳴り物入りで始まった。にもかかわらず、論議は非公開である。これが、報告が説得力を欠く大きな理由であろう。考えをぶつけ合い、まとめる過程が伝われば、国民的議論も深まる。報告は「社会総がかり」をうたうのだから、公開はなおさらだ。

安倍首相が教育を最重要課題に掲げるのは時宜にかなう。しかし手柄を急ぐようなやり方は現場の混乱を生み出すだけだ。何より当の子どもが一番迷惑である。