『読売新聞』社説 2007年1月24日付

[科学技術立国]「『無数の湯川』を生む国になれるか」


科学者にとって最高の名誉であるノーベル賞を日本人で初めて受賞したのは、湯川秀樹博士(1907〜81)だ。

終戦から間もない49年に、受賞決定の報が届くと日本中が沸いた。受賞理由は、物理学の素粒子理論だった。決して世間受けするようなものではない。

それでも、日本人の頭脳が世界に評価された、という事実に、誰もが誇りを抱き、未来への希望を膨らませた。

読売新聞社説は、こう論評した。

「一人の天才といえども、これをうみだす社会的基礎がなくてはならぬ」「問題は、今後さらに無数の湯川をうみだすような条件をつくりだす方策を考え実現することである」

昨23日が、湯川博士の生誕100年だった。いま、「無数の湯川」が育つ環境はあるだろうか。むしろ、日本の科学は先細りするのではないか、との懸念が強まりつつある。

最大の要因は、教育の劣化だ。「ゆとり教育」を掲げた学習指導要領改定により、高校までに学ぶ科学は内容が大幅に削減された。この結果、今の大学生の科学の基礎知識は極めて乏しい。

90年代には、専門教育を大学から大学院に移す方針も打ち出された。本格的な科学の勉強は大学院からだ。

湯川博士は、大学生のころから世界の先端を目指して勉強していた。ノーベル賞を受賞した研究を27歳で着想し、その論文を28歳で発表している。それまでの蓄積と思索が結実した。

現在は、大学を卒業して修士、博士課程に進み、早ければ、27歳で研究者になる。ただ、十分な素養が身に着いていないとの声もある。

それでも、こうして育った「博士」が活躍できる場があればいい。実際は、大学院の定員増により、「博士」を急増させたため、1万人以上が安定した研究の場を見つけられない。これでは、後に続く若手も集まりにくい。

湯川博士の後、8人の日本人が科学分野でノーベル賞を受賞している。直近では、2002年の化学賞を受賞した田中耕一氏がいる。これに続く受賞者が今後も輩出できるだろうか。

「科学技術創造立国」を目指す日本は厳しい財政下でも、毎年3兆円以上の予算を科学技術分野に投じている。科学技術基本計画は「50年で30人のノーベル賞受賞者」という目標も挙げている。

「無数の湯川」を育てるという意図なのだろう。独創的な研究者を育てるための教育、研究環境の充実へ向けて、検討すべき課題は数多い。