『読売新聞』2007年1月14日付

[解説]看護師不足、全国の病院で争奪戦


「手厚い配置」で診療報酬アップ 医師会、地域医療崩壊懸念

全国の病院が看護師の確保に奔走している。昨年4月の診療報酬改定で、入院病棟の看護師配置によって、病院が受け取れる入院基本料が増減する新基準が導入されたためだ。

看護師集めを派手に展開する大病院に対し、防戦に追われる中小病院。看護師の不足感は強まり、診療報酬を決める厚生労働省の中央社会保険医療協議会(中医協)でも、混乱を鎮めようと議論が巻き起こっている。(社会部 岩永直子)
引き抜き恐れる中小病院 大病院は「総動員」で募集

「7対1」看護

「地域住民のことを考えた看護体制を組むと、病院経営が苦しくなる」。横浜市鶴見区の中規模病院「汐田(うしおだ)総合病院」の小田明美総看護師長(49)は思い悩む。外来患者が多いため、入院病棟に看護師を多く回すことができず、入院基本料が減算対象となってしまったためだ。年間収入は3000万〜5000万円も減る見込みだ。

近くに新しい病院ができて、主任クラスの看護師が何人も引き抜かれたこともあり、今年度は約120人の看護師のうち、すでに約20人が辞めた。新卒者などの採用で、その補充をしなければならない。

大阪府内の中堅病院は昨年5月、入院基本料加算の配置基準を満たした。その後、他病院からの引き抜きなどで退職者が相次いだのに、穴埋めできないでいる。基準を維持するため、非常勤の看護師を約20人採用する方針だ。看護部長(53)は、「非常勤では、安全管理面などで責任の所在があいまいになる」と懸念する。

昨年4月の診療報酬改定で、最高水準の看護配置として、入院患者7人に対して看護師1人という基準が新たに導入された。昼夜を問わず忙しい急性期の病棟に看護師を増やして看護の質を高め、看護師の労働環境も改善しようという狙いだった。

一般病棟で「7対1」の場合、入院基本料は入院患者1人当たり1555点(1点10円)。改定前の最高基準「10対1」(1209点)と比べ、格段に高い。「10対1」より配置が薄いと、逆に減算になることもある。

大幅な採用増

導入した厚労省にとって想定外だったのは、大病院が看護師確保になりふり構わず走ったことだ。

東大付属病院は昨年6月、「看護師確保対策本部」を設置、「7対1」実現のために300人の採用増を打ち出した。見込まれる収入増は約9億7000万円。職員が全国の看護学校を訪問し、医師も出身地の学校へ勧誘に行く「総動員体制」をとった。409人が採用試験を受け、287人が内定したが、辞退も多く、現在3度目の募集をかけている。

厚労省の昨年末の調査では、全国の大学病院128施設だけでも、今年度の看護職員の募集数は1万3816人で、昨年度と比べ4184人も増加。診療報酬改定の影響がはっきり出ている。

仏料理付き説明会 

大病院に対抗して、看護師を確保しようという動きもある。

金沢脳神経外科病院(石川県野々市町、一般病床60床)は昨年8月、ホテルでフランス料理のフルコース付きの就職説明会を3回開いた。東大病院が石川県内の看護学校にも勧誘に来たと聞いて危機感を持ったためだった。看護師を15人増やせば「7対1」を満たすことができ、人件費を差し引いても約1500万円の収入増となる。目標達成まであと3人となっている。

中医協でも「7対1」導入による混乱が議題に上っている。昨年末の会合では、日本医師会などが「地域医療が崩壊する」として、看護の必要度の高い病棟だけに限るなど、条件をもっと厳しくするよう求めた。

これに対し、日本看護協会は、「看護師が不足しているという一部の声が強調され過ぎだ。現場からは、丁寧な看護ができるようになったという声が上がっている」と反論。古橋美智子副会長は「条件のいい病院に看護師が動くのは当然。働きやすい環境整備をするのが先決」と主張する。

日医は病院3098施設、看護学校1388校を対象に、看護師の需給実態を調べており、今月17日の中医協に報告する。厚労省保険局は「中医協の意見によっては、見直しが必要かどうか検討する」としている。
高い離職率、再就職促進が課題

厚労省によると、2005年の看護職員(看護師、保健師、助産師、准看護師)の就業者数は130万8409人。06年から5年間の需給見通しでは、需要に対し97〜99%の供給が可能とされている。ただ、この見通しには、昨年の診療報酬改定の影響は反映されていない。

毎年、約5万人が看護学校などを卒業し、新たに看護職員になっているが、1年以内の離職率(病院間の移動も含む)は、9・3%(04年)に上る。背景にあるのは、過酷な労働実態だ。日本看護協会は「労働環境を改善して、離職率を1%減らすだけで、年間8000人を確保できる」と強調する。

資格を持ちながら、現在は働いていない看護職員は、全国で約55万人といわれる。

厚労省は医療機関への再就職促進が看護師確保のカギとみており、看護師の就職あっせんをするナースセンター事業などを続けている。
患者第一に現状分析を

看護師の手厚い配置は、忙し過ぎて思うような看護ができずにいた看護師たちの強い願いだった。うまくいけば、患者にも、病院経営者にも利益をもたらす「7対1」基準に、真っ向から反対を唱える動きはない。

しかし、結果的に一部の病院が、患者に十分な看護を提供できない事態が起きている。看護師を確保できないのは、個々の病院の努力が足りないのか、基準の定め方に欠陥があるのか、見極めが必要だ。

17日の中医協には、日本医師会や日本看護協会が独自に集計した看護師の需給調査や「7対1」導入の影響調査の結果が提出される。まずは現状を冷静に分析し、最も患者のためになる手立てを探らなくてはならない。

診療報酬 患者が医療機関で診療を受けた場合、患者が加入する健康保険の保険者や患者から、医療機関が受け取る代金。国が医療行為の種類ごとに診療点数を定め、1点あたり10円で計算。点数は保険者と医療機関側らによる中央社会保険医療協議会で決める。