『東京新聞』2006年12月31日付

核心
野依良治 教育再生会議座長に聞く


これからの日本にとって大きな課題の一つが人材の育成だ。ノーベル化学賞を受け、安倍晋三首相の私的諮問機関「教育再生会議」の座長として、教育改革にも取り組む野依良治・理化学研究所理事長に日本のあるべき人材育成について聞いた。 (科学部・大島弘義)

――二十一世紀を生きていく上で日本人がまず、身につけるべきことは。

正しい規範と実世界に生きる術(すべ)だ。その上で、立場の違う人々と理解し合い、協力しないと生きていけない。たくましく、しなやかに生きるためには、対話力、国なら外交力が必要だ。両親は子供の私に生きる基本である衣食住について、また公徳心、礼節を教えてくれた。孫を持つような年齢になると、日本人が持ち続けてきたかけがえのない価値観を次世代、次々世代につなげなくては、という思いになっている。

――日本は少子高齢化が進むことに加え、人口が減少する。これからの日本を支える人材とは。

望ましい人材は画一的ではない。多様性が必要だ。人によって能力も価値観もそれぞれ違う。一つの能力だけを見ると当然優劣がつくが、お互い尊重し、うまく交じり合わなくてはならない。異なる能力、機能をもつ人たちが相補的になったとき、初めて社会はよくなる。最近、若い人たちに「尊敬されるか、感謝される人になれ」と言っている。尊敬されるのは大変だが、感謝は努力さえすれば、それなりに得られる。

――そうした人材がつくり出す社会をどう描くか。

僕は競争社会はあまり好きではない。家族は一番小さな社会だが、競争社会ではない。「和を以(も)って貴しと為(な)す」という聖徳太子の言葉があるが、それこそが日本社会の特質。アメリカの競争主義社会はビジネス、スポーツなどにはいいが、すべてに当てはまるものではない。どんな社会も強者と弱者はいるが、それがそのまま勝者と敗者にならぬよう、安定性と信頼感を保てるような社会が理想だ。

――しかし、科学技術は新発見や、できなかったことを可能にする開発など、一番乗りが評価される。自身はその世界に身を置いてきた。

その通り。科学技術はトップがその水準を引き上げる。トップ人材を育てるという意味では、平等主義はよくない。個人能力の差は歴然と出るが、優れた能力を最大限伸ばす社会の風土が不可欠だ。同時に技術開発は協同による総合力が必要。競争と協力は共に必要、両立するはずだ。

――人材育成で大学が果たすべき役割は。

良き社会をつくるために大学がすべてではないという認識を共有しなければならない。その上で、大学はリーダーやそれに準ずる人を教育するところだ。特に科学技術は国際競争力の源。担い手の大学、大学院が力を持った人を送り出さねばならない。中でも大学四年を終えた後の「X(エックス)年」の部分が重要だ。「X」と言ったのは理工、医、経済、法文など分野ごとに期間が異なるという意味。このXで優れた教育研究プログラムをいかにつくるかが国際競争力に直結する。欧米の力の源泉は間違いなくこの「X」だ。現在不十分な日本の大学院は質を保証するよう、抜本的な改革が必要だ。当事者の危機意識に訴えたい。

――仲間の大切さも強調している。

人は自然、社会環境に対峙(たいじ)し、順応しながら生きている。一人では無理、仲間がいる。両親が常に「いい友達をつくれ」と言っていた。友達との関係は、自分の存在に肯定感を与える。今の自分があるのはすべて先生と友達のおかげと言ってもいい。三十歳のころ米国で研究生活を送った。その時の各国の仲間との信頼関係がその後、国際会議の開催や、共著、学生の交換、そして研究の評価にもつながった。当時、日本は欧米に比べかなり貧しかったが、分け隔てなくつき合ってくれて感謝している。時代は変わったが、若い人には成長が約束されるアジアの青少年と個人的な交友関係を今から培っておいてほしい。

――教育再生会議の座長に就き、教育に対する考え方は変わったか。

変わった。現在のさまざまな教育問題は「社会総掛かり」で取り組まないといけない。日本は学校教育偏重だが、学校は主として数学とか理科のような「形式知」を教える場所だ。しかし、文化に根ざす「暗黙知」も同じくらい大事。学校が教えられることは限られているし、人は学校だけで育つのではない。家族はもちろん、地域、産業経済界、マスメディアもかかわるテーマだ。これまで自分たちに非教育的、反教育的な活動はなかったか、それぞれが反省しなくてはならないと、そんな思いを強くしている。

のより・りょうじ 理化学研究所理事長、名古屋大学特別教授。京都大学工学部卒。1972年から名大教授。2001年ノーベル化学賞受賞。このほかイスラエルのウルフ賞、日本学士院賞、中日文化賞など国内外で多数受賞。昨年10月から教育再生会議の座長を務める。専門は有機化学。兵庫県出身。68歳。