『読売新聞』2006年12月30日付

教育再生会議、会見の中身「薄味」激論の場公開を


カタカタカタ。記者会見場には、いつもパソコンに向かう他の記者のキーボードをたたく音が響いていた。

説明責任者から何を聞き出すかが重要な、真剣勝負の場に、この音はそぐわないが、発言を漏らさずに記録し、迅速に伝えるには、やむを得ない面もある。

安倍政権発足から間髪を入れずに発足した教育再生会議を追いかけてきた。追いかけると言っても、会議は非公開だ。後日、議事要旨や議事録がホームページで公開されているが、会議の当日は、終了後、委員や事務局のスタッフに個別に聞くか、会見で迫るか。後は会議室のドアに耳を押し当てるぐらいしかない。だから、会見は大事なのだ。

これまでに公開された議事録などの文書を読み通してみて驚いた。会見では全く触れられなかった話がいくつも出ているからだ。

ノーベル賞学者の野依良治座長が「公教育再生には塾を禁止すべきだ」とぶち、何人かの委員とやりあっていた。

いじめ問題に関連する児童生徒への出席停止措置でも激論が交わされていた。

委員らが調査に出向いた福岡県筑前町のいじめ自殺に絡み、委員がある女生徒から受け取った文章も紹介されていた。そこには「本当にいじめはあったのです」とつづられていた。

なぜ、こうしたことが会見で伝わらないのだろう。非公開の会議では、大事な話も、説明責任者の判断で薄味にされてしまう。

大胆な提言を望む声や、議論が絞り切れてないといういらだちの発言が、委員から何度も出る。しかし、大胆でユニークな提案が、いつの間にかしぼんでしまい、それが会見の場で示される。そんなことが繰り返されている。

現段階で、教育再生会議に、目玉となるような提言は用意されそうにない。会議は迷走している――。これがメディアのほぼ一致した見方だ。メディアが先を競い過ぎてミスリードすることも慎まなければならないが、今のままでは国民の関心もしぼんでしまう。

安倍首相が明示した検討項目のはずなのに、12月に入って行われた合宿審議でさえ、教員免許の更新制について具体的で斬新な提言は出てこなかった。教育委員会制度の見直しも極めて重要なポイントなのに、あまり手を付けられる状況にない。

優れた人が集まった会議の意見をまとめきれないのは、選んだ側の責任だ。教育再生会議にこそ、〈再生〉が必要ではないか。1月には第1次報告を出す予定と聞くが、中身が煮詰まらないなら、慌てて出す必要はない。年も改まることだし、今からでも遅くない。まず真剣な議論の場を公開してみてはどうだろう。(中西茂)