『読売新聞』2006年12月27日付

東大解剖──第2部(7)
動物との共生担う牧場


最先端の研究で、東大は人間と動物の共生を模索する。

1996年3月4日、東京の大井競馬場。1頭の“東大生”が、圧倒的な強さ
で初優勝を飾った。東大牧場(茨城県笠間市)出身の「アミノスタローン」。
平凡な血統ながら、約1年間に計6勝を挙げて脚光を浴びた。

田園地帯に広がる約36ヘクタールの東大牧場は、獣医師の育成や畜産
研究が目的で、牛や豚の飼育のほか、競走馬も生産している。中でもアミ
ノスタローンの活躍は、東大独自の研究成果だ。

「アミノ酸の結晶を餌に混ぜたんです」と、当時の牧場長、高橋迪雄(みち
お)さん(67)。競走馬は幼いうちから、自然界ではあり得ないような激し
い運動を調教でさせられるため、基本栄養素のアミノ酸が不足するので
は――。そんな仮説による初の試みだった。

今ではアミノ酸の補給は競馬界の常識だ。実験に協力した食品会社「味
の素」は、アミノ酸を人間の栄養補助食品として商品化。「牧場は研究の
場として大きな可能性を秘めている」と高橋さんは力を込める。





11月中旬、近くの養護学校から心身に障害のある高校生たちが牧場を
訪れ、乗馬体験に歓声を上げた。

牧場が現在最も力を入れるのは、動物を障害者のリハビリなどに役立て
るアニマルセラピーだ。主役は、温厚で背が低く乗馬に適したアルゼンチ
ン産のクリオージョ種。国内では東大牧場だけで生産している。

「今までは動物を肉やバターとして消費することに偏っていた。より広く社
会に活用する視点も必要だ」と、大学院農学生命科学研究科の真鍋昇教
授(52)。東大は来年度、獣医学の科目に「人と動物の関係学」を新設す
る。

アミノ酸の研究も続く。最近では乳牛の血中アミノ酸の濃度を測ることで病
気の兆候を察知できることが判明した。

飼育の難しい大型動物を扱う大学は少なく、日本では感染症や食肉処理
場の衛生管理などの専門家が不足する。5年前のBSE(牛海綿状脳症)
問題のような対応には専門知識が不可欠だ。真鍋教授は「牧場から少し
でも多くの専門家を輩出したい」と願う。





課題もある。大学の法人化で従来のように採算性を度外視はできない。
牧場はほぼ毎年赤字が続く。経費節減が進んで動物の世話をする技術
員が削減されれば、多様な動物の飼育も難しくなる。

「ただ研究に没頭するだけでは牧場の存在意義を保てない」と危機感を
抱く真鍋教授。目指すのは、国内の獣医師向け再教育を手がけるととも
に、牧場を、畜産技術が未熟な東アジアの獣医師も最新の獣医学を学べ
る拠点にすることだ。

収益を重視すれば、牧場で生産した肉や牛乳を東大ブランドとして売り出
す手もあるが、「金もうけに走ると、研究や教育の意義が軽くなる」と真鍋
教授。「開かれた牧場」への脱皮が求められている。(小坂一悟)

東大牧場 大学院農学生命科学研究科の付属牧場。戦時中、軍馬の質
向上を掲げた社団法人日本馬事会の農場として作られ、1948年に農林
省、49年に東大に移管された。競走馬6頭、クリオージョ種13頭、ウシ37
頭、ヤギ156匹、ブタ14匹などを飼育する。畜産関係の学部や学科のあ
る大学には牧場や飼育場の設置が義務付けられており、国立では東大
以外に、北大など7大学が持っている。