『毎日新聞』2006年12月16日付

改正教育基本法:管理強まる不安、教室変わる期待


「教育の憲法」と言われ、戦後日本の発展を下支えした教育基本法の改正案が
15日、参院本会議で可決された。1947年3月の制定以来初の改正となる。
いじめや履修単位不足問題、大学全入時代の到来などで、屋台骨を揺さぶられ
る日本の教育。「愛国心」表記や義務教育年限の撤廃などの項目はそのあり方
を大きく変える可能性を秘める。「教室は変わるのか」「いじめ問題はどうな
るのか」。教員や保護者らは不安と期待で見つめた。【教育取材班】 

■愛国心に戸惑い

法改正の焦点とされた「愛国心」は、「我が国と郷土を愛する態度を養う」と
表現し、「他国の尊重」も組み合わせた。

2人の子を持つ東京都品川区の男性公務員(46)は「愛国心表記は当然。学
校でも国土の美しさなど訴えてほしい」と歓迎する一方、「外国人子弟への押
しつけはやめて」と注文する。

具体的な教育課程にどう取り入れるか学校現場では戸惑いと批判の声が聞かれ
る。群馬県立高校の男性教諭(36)は「日の丸掲揚や国歌斉唱で『掲揚だけ
でなく全員一礼する』『全員声を出して歌う』などと指示される」と、強制的
色合いが強まることを危惧(きぐ)する。

「成績評価」につながるとの懸念もある。愛媛県内の小学校長(59)は「愛
国心の評価項目ができ、数値目標を掲げられても、評価するのは非常に難しい」
と悩ましげに語る。

■家庭に第一の責任

改正法は「保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と、家庭の責
務を盛り込んだ。

福岡市立中の男性教諭(31)は「ありがたい」と率直に評価。「学校からは
家庭に言いたくとも言えないことが多かったが、これで、学校と家庭の連携を
積極的にアピールできる」と喜ぶ。

一方、高2の息子を持つ横浜市の女性会社員(48)は「学校に何でも押しつ
けると言われているから」と理解を示しつつ「法に明確化して『それで、どう
するの?』と思う。今後は罰則まで設けることになるのでは」。

■飛び級も可能?

義務教育年限が削除されたのも特徴だ。関連法令が改正されれば、自治体判断
で現行の9年より長くも短くもなり得る。愛知県北名古屋市の中学教頭(47)
は「現場は劇的に変わる。教師も意識を変えなければ」と指摘。盛岡市立中の
男性教諭(39)は「飛び級も可能になる。エリート教育が重視され、格差社
会に拍車がかかるのでは」と心配点を語った。

■抱える課題に効果は

学力低下、学級崩壊、いじめ−−子どもたちを取り巻く問題の解決に法改正は
役立つのか。そもそもなぜ今改正なのか。疑問の声は多い。兵庫県西宮市の団
体職員(44)は「教育現場の競争がより強まって、いじめや不登校問題がよ
り深刻化するのでは」と効果に疑問符を付ける。札幌市の女性教諭(49)は
「学校教育法など個別の法改正まで進まないと学校は変わらない」と冷静に分
析、今後の教育改革こそが重要との立場を示した。

◇なぜ今なのか…教師の卵、賛否

教育基本法を学び、近い将来教壇に立つ教育学部の学生たちは改正をどう見た
のか。 山梨大4年の渡辺克吉さん(21)は「旧法の特に個の重視を進めて
きた点は評価できる。なぜ今改正しなくてはならないのかという点が不明」と
改正に疑問を投げ掛ける。名古屋大4年の仁科由紀さん(22)も「『我が国
と郷土を愛する』と明記されると押し付けに感じてしまう」。滋賀県立大4年
の西沢真志さん(21)は「国民的な議論の高まりもなく、教育現場の声を聞
いていない。少人数学級などに先に取り組むべき」と語る。 一方、福岡教育
大1年の桜井篤さん(20)は「今の子どもたちには国を愛する姿勢が欠落し
ており、前々から疑問を感じていた。基本法から変えないと国が壊れる」と改
正には賛成の立場だ。岐阜大4年の岸知幸さん(22)も「授業で読んだが旧
法は全体的に古いと感じた。求められる人間像も教師像も昔とは違い、時代に
合わせて改変していくべきだ」と話す。愛国心の評価については「戦時中のよ
うに強要する必要はないし、そうしないよう教師が自覚を持って臨めばいい」
と話す。

***********************************

改正教育基本法:「教育理念狭くするな」…元文部官僚語る

元文部官僚は約60年ぶりの教育基本法改正を複雑な気持ちで見つめた。文部
省初等中等教育局長、文化庁長官などを歴任した安嶋弥(ひさし)さん(84)
は「私は国を愛している。でも、それは法律に書くことじゃない」と述べ、基
本法そのものの廃止を主張する。「基本法は観念的・理念的な内容で、『作ら
なくてもいいんじゃないか』という議論もあった」と成立当時の省内を振り返っ
た。

1946年3月、日本の教育を方向付ける米国教育使節団が来日。「教育刷新
委員会」の母体となる「日本側教育家委員会」も設置され、戦後の教育改革が
始まった。

安嶋さんは46年5月に旧東京帝大(現東京大)から入省。6月には当時の田
中耕太郎文相が教育基本法の立案準備を明らかにする。安嶋さんは当時の学校
教育局で学校教育法の法案作りに携わりながら、教育基本法の具体的な策定作
業を行った調査局審議課の雰囲気を肌で感じた。

一部の保守系政治家らが主張する米国に押し付けられた法律だという考えにつ
いて、「米国は『極端なる軍国主義、思想教育は困る』ということは言ってい
たと思うが、教育基本法のごとき法律を作れという空気はなかった。基本法を
作りたいと言ったのはむしろ日本側だった」と振り返る。

具体的な策定作業には田中二郎・東京大教授が参画する一方、教育刷新委員会
(初代委員長=安倍能成・元文相)でも特別委が設けられ、天野貞祐・旧制第
一高校長、島田孝一・早大総長ら8人が特別委委員に指名された。

憲法の教育理念を具体的に明示し、「憲法の付属法」とも言われる教育基本法
を審議した教育刷新委員会は、「議論も活発で、盛り込む文言を巡っても哲学
問答が出た」(元文部省事務次官・天城勲さん)と戦後の新しい教育観が議論
された。一方、安嶋さんは「冷ややかに見ていた。『反対はしないよ』という
くらいでね」と証言する。

安嶋さんは教育基本法の理念や今回の改正を否定も反対もしない。しかし、
「教育の理念は狭く限定すべきではない。それに愛国心を法律に書いても実現
できるものではない。いっぺんの法律で人の心が変わるなんてありえない」と
力説する。

教育基本法は、軍国主義の温床になったとされる教育勅語に替わる新しい教育
方針の役割を担った。安嶋さんも「教育勅語に替わるべき何らかの指針は必要
だという雰囲気があった。基本法の果たした役割は、教育勅語を否定したとい
うことに尽きる」と語る。「今日の教育界の成熟と安定を考えれば、基本法を
廃止をしても間違った方向には進まない」と見ている。【高山純二】