各紙社説集:12月16日付

『朝日新聞』 教育と防衛 「戦後」がまた変わった
『読売新聞』 [教育基本法改正]「さらなる国民論議の契機に」
『毎日新聞』 新教育基本法 これで「幕」にしてはいけない
『日本経済新聞』 改正教育基本法をどう受け止めるか
『北海道新聞』 改正教育基本法が成立*改正教育基本法が成立
『産経新聞』 【主張】教育基本法改正 「脱戦後」へ大きな一歩だ
『中日新聞』・『東京新聞』 行く先は未来か過去か 教育基本法59年ぶり改定
『神戸新聞』 国会閉幕へ/首相は説明を尽くしたか
『中国新聞』 改正教育基本法 政治の現場介入避けよ
『新潟日報』 新教育基本法 統制強化の疑念が残る
『北日本新聞』 改正基本法成立/教育を十分論じたのか
『北國新聞』 改正教基法成立 次の改革は教育の「現場」
『信濃毎日新聞』 教育基本法 運用の監視が怠れない
『岐阜新聞』 改正教育基本法成立 教育は国家のものでない
『徳島新聞』 改正教育基本法成立   「原点」を見失うな
『愛媛新聞』 臨時国会「閉幕」 国のこれからに禍根を残した
『高知新聞』 【教基法改正】国民がきちんと監視を
『南日本新聞』 [基本法成立] 教育の“今ある危機”に対応できるか
『沖縄タイムス』 [改正教基法成立]政治に翻弄されるな
『琉球新報』 教育基本法改正・懸念は残されたままだ


『朝日新聞』

教育と防衛 「戦後」がまた変わった


改正教育基本法と、防衛庁を「省」に昇格させる改正防衛庁設置法が、同じ日
に成立した。

長く続いてきた戦後の体制が変わる。日本はこの先、どこへ行くのだろうか。

安倍首相は著書「美しい国へ」で、戦後の日本が先の戦争の原因をひたすら国
家主義に求めた結果、国家すなわち悪との見方が広まった、と指摘する。

そして、国家的な見地からの発想を嫌うことを「戦後教育の蹉(さ)跌(てつ)のひ
とつである」と書いている。

そのつまずきを正し、国家という見地から教育を見直したい。安倍首相には、そん
な思いがあったのだろう。

教育基本法の改正で焦点となったのは「愛国心」である。改正法には「(伝統と文
化を)はぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文言が盛り込まれた。公明党は
当初、「国を大切にする」を提案したが、官房長官だった安倍氏は「国は鉛筆や消
しゴム並みではない」と述べて、「愛する」にこだわった。

教育の独立を規定した条項も改正の対象になった。

いまの教育基本法は、戦前の教育が「忠君愛国」でゆがめられ、子どもたちを戦場
へと駆り立てたことを反省し、国民の決意を表す法律としてつくられた。「教育は、不
当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われる」と定めて
いる。国の政治的な介入に対しても歯止めをかけた。

その文言の後段が「法律の定めるところにより行われる」と改められた。現行法とは
ちがって、国の教育行政に従え、ということになりかねない。

安倍首相は、防衛のあり方についても「美しい国へ」で異を唱えている。

安全保障を他国にまかせ、経済を優先させて豊かになった。「だが精神的には失っ
たものも大きかったのではないか」と述べている。

日本は戦後、再び持った武力組織を軍隊にはせず、自衛隊とした。組織も内閣府の
外局に置いた。自衛隊や防衛庁の抑制的なありようは、軍事に重きを置かない国を
つくろうという国民の思いの反映であり、共感を得てきた。

省に昇格したからといって、すぐに自衛隊が軍になり、専守防衛の原則が変わるわ
けではない。それでも、日本が次第に軍事を優先する国に変わっていくのではない
か。そこに愛国心教育が加わると、その流れを加速するのではないか。そんな心配
がぬぐえない。

二つの法律改正をめぐっては、国民の賛否も大きく分かれていた。その重さにふさわ
しい審議もないまま、法の成立を急いだことが残念でならない。

戦後60年近く、一字も変えられることのなかった教育基本法の改正に踏み切った安
倍首相の視線の先には、憲法の改正がある。

この臨時国会が、戦後日本が変わる転換点だった。後悔とともに、そう振り返ることに
ならなければいいのだが。

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『読売新聞』

[教育基本法改正]「さらなる国民論議の契機に」


教育基本法が一新された。1947年(昭和22年)の制定から60年、初めての改正だ。

「教育の憲法」の生まれ変わりは新しい日本の教育の幕開けを意味する。この歴史的
転換点を、国民全体で教育のあり方を考えるきっかけとしたい。

見直しの必要性を説く声は制定の直後からあった。そのたびに左派勢力の「教育勅語、
軍国主義の復活だ」といった中傷にさらされ、議論すらタブー視される不幸な時代が長
く続いた。

流れを変えた要因の一つは、近年の教育の荒廃だった。いじめや校内暴力で学校が
荒れ、子どもたちが学ぶ意欲を失いかけている。地域や家庭の教育力も低下している。

現行基本法が個人・個性重視に偏りすぎているため、「公共の精神」や「規律」「道徳
心」が軽視されて自己中心的な考え方が広まったのではないか。新たに家庭教育や
幼児期教育、生涯教育などについて時代に合った理念を条文に盛り込む必要がある
のではないか。そうした指摘が説得力を持つようになってきた。

改正論議に道筋をつけたのは2000年末、首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」
が出した報告書だった。基本法見直しが初めて、正式に提言された。

これを受け、中央教育審議会が「新しい時代にふさわしい」基本法の在り方などを答申。
与党内でも改正に向けた検討が本格化し、ようやく今年4月、政府の全面的な改正案
が国会に提出された。

◆6年にわたる改正論議

この6年、基本法改正については様々な角度から検討され、十分な論議が続けられて
きたと言っていいだろう。

その中には「愛国心」をめぐる、不毛な論争もあった。

条文に愛国心を盛り込むことに、左派勢力は「愛国心の強制につながり、戦争をする国
を支える日本人をつくる」などと反対してきた。

平和国家を築き上げた今の日本で、自分たちが住む国を愛し、大切に思う気持ちが、ど
うして他国と戦争するというゆがんだ発想になるのだろう。

基本法の改正を「改悪」と罵(ののし)り、阻止するための道具に使ったにすぎない。

この問題は、民主党が独自の日本国教育基本法案の前文に「日本を愛する心を涵養
(かんよう)し」と明記したことで決着した感がある。政府法案は「教育の目標」の条文中
に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する…態度を養う」と
入れた。むしろ民主党案の方が直接的で素直な表現だった。

ともあれ、改正基本法の成立を歓迎したい。その精神にのっとって、日本の歴史や伝統、
文化を尊重し、国を愛する心を育てるような教育が行われることが期待される。さらに家
庭、地域での教育も充実されて、次代を担う子どもや若者たちが、日本人として誇りを持っ
て育っていってほしい。

◆関連する課題は多い

そのために文部科学省など政府が取り組むべき課題は山積している。

まずは学習指導要領や学校教育法など関係法規の見直しである。

指導要領は、改正基本法に愛国心や伝統・文化の尊重、公共の精神などが盛られたこ
とで、社会科や道徳の指導内容が変わってくる可能性がある。愛国心などの諸価値は、
どれも国民として大切なものだ。子どもたちの白紙の心に、正しくしっかりと教えてもらい
たい。

「学力低下」の懸念から、授業時間数や教える内容を増やす必要性も叫ばれている。高
校の「必修逃れ」問題では、指導要領の必修科目の設定が今のままで良いのか、といっ
た議論も起きている。

小学校の英語「必修化」論議など暫時“保留”になっていた指導要領絡みの施策の検討
が一斉に動き出すだろう。

学校制度の基準を定めた学校教育法の改正、教育委員会について定めた地方教育行
政組織運営法、教員の免許法などの見直しも必要だ。安倍首相直属の「教育再生会議」
でも検討している。

もう一つの課題は、国と地方が役割分担を明確にし、計画的に教育施策を進めていくた
めの「教育振興基本計画」の策定である。

◆国と地方の役割示せ

「全国学力テストを実施し、指導要領改善を図る」「いじめ、校内暴力の『5年間で半減』
を目指す」「司法教育を充実させ、子どもを自由で公正な社会の責任ある形成者に育て
る」――計画に盛り込む政策目標案を、中教審もすでに、いくつか具体的に例示してい
る。

国が大枠の方針を示すことは公教育の底上げの意味でも必要だ。同時に、学校や地域
の創意工夫の芽が摘まれることのないよう、現場の裁量の範囲を広げる施策も充実させ
てほしい。

焦る必要はないだろう。教育は「国家百年の計」である。国民の教育への関心もかつてな
いほどに高い。教育再生会議などの提言も聞きながら、じっくりと新しい日本の教育の将来
像を練り上げてもらいたい。

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『毎日新聞』

新教育基本法 これで「幕」にしてはいけない


教育基本法改正案が成立した。なぜ今改正が必要なのか。私たちは問いかけてきたが、
ついに明確にされないまま国会は幕切れとなった。「占領期の押しつけ法を変える」ことが
最大の動機とみるべきなのか。そうだとすれば「教育」が政治利用されたことになる。

だが法として成立する以上、全国の教育現場はこれと向き合う。まず公共心や国の権能を
重視する改正法の特徴の一つは「教育の目標」だ。5項に整理して徳目を列記し「伝統と文
化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度」を盛り込む。子の教育は保
護者に第一義的責任があると明記し、生涯学習や幼児期の教育の必要性も説く。そして全
体的な教育振興基本計画を国が定め、地方公共団体はこれを見ながら施策計画を定める
という。

個別の徳目や親の責任などは自然な理想や考え方といえるだろう。ただ、列記しなくても、
これらは現行法下の教育現場でも否定されてはいない。授業や生活を通じて学び取ってい
ることではないか。網羅しなくても、生涯学習や幼児教育などの分野は社会に定着しており、
是正が必要なら基本法をまたず個別にできるはずだ。

列記されることで、これらの考え方が押しつけられたり、画一的な形や結果を求める空気が
広がりはしないか。振興基本計画に忠実である度合いを各地方が競い合うことになりはしな
いか−−。

こうした疑問や懸念を学校など教育現場は持つが、国会審議ではこれに答えていない。はっ
きりさせておかなければならないのは、改正法は決して国にフリーハンドを与える全権付与法
ではなく、これで教育内容への介入が無制限に許されるものではないことだ。改正法第16条
の「法律の定めるところにより行われる」の記述によって「国が法に沿って行えば、禁じられた
『不当な支配』にはならない」と政府見解はいう。

だが教育権などについて争った旭川学力テスト事件最高裁判決(1976年)は、国の介入を認
めつつも「必要かつ相当な範囲」とし、また「不当な支配」とは「国民の信託に応えない、ゆがめ
る行為」との考え方を示した。恣意(しい)的介入を戒めたもので、国は抑制的な姿勢を常に忘
れてはならない。

国会審議に並行して、いじめ、大量履修不足、タウンミーティングのやらせ発言工作など、事件
と呼ぶべき問題や不祥事が相次いだ。新時代にふさわしい基本法をといいながら、内閣、文部
科学省、教育委員会など行政当局は的確な対処ができず、後手に回って不信を広げた。法改
正を説きながら、その実は現行の教育行政組織や諸制度がきちんと運用しきれていないという
有り様を露呈したのだ。

次の国会で基本法に連動する学校教育法など関連法規の改正審議が始まる。日常の教育現
場に直接かかわってくるのはこれだ。注意をそらしてはいけない。基本法改正審議の中であい
まいだった諸問題や疑念をただす機会だ。

「一件落着」では決してない。

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『日本経済新聞』

改正教育基本法をどう受け止めるか

占領下の1947年に制定されて以来、一度も手が加えられてこなかった教育基本法の全面改正
案が参院で可決され、成立した。6年前に教育改革国民会議が同法の見直しを提言して以来、
「愛国心」の表現などをめぐり延々と議論が繰り返されてきた末の「新法」誕生である。

改正で何がどう変わるのか。教基法はあくまで理念をうたった法律であり、いじめ問題などに揺
れる学校の姿がすぐに変わるわけではない。しかし教育行政に対する国の関与を重視した項目
が散見されることには改めて注意を払いたい。解釈や運用、関連法の改正次第では現場にじわ
じわと影響を及ぼす問題である。

たとえば、「国は(中略)教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」という条
文がある。また「教育は、不当な支配に服することなく」という現行法の条文に続けて「この法律及
び他の法律に定めるところにより行われるべきもの」との一文も加えている。

子どもたちの学力と規範意識を保障するための大きな方向性を国が示すことは必要だろう。しかし
文部科学省がいたずらに条文を拡大解釈し権限強化を図るとすれば、かねて弊害が指摘されてき
た中央集権的な教育行政が強化され、地域や学校の創意工夫と競い合いを促そうという分権の流
れに逆行することになる。

この懸念は「教育振興基本計画」の策定を政府に義務付けたことにも共通する。同省は事細かな目
標を設けて現場を拘束しないよう意識すべきである。計画には、むしろ制度の弾力化や規制緩和を
図る方策を盛り込むこともできるのではないか。

改正法は地方自治体がその実情に応じた教育行政を展開するよう明記し、国と地方の「適切な役割
分担」にも触れている。そうした条文があることも忘れてはならない。

バランスのとれた対応が必要なのは、「我が国と郷土を愛する態度を養う」などの解釈も同様である。
学校現場に機械的に当てはめるのではなく、子どもたちの実情に即した柔軟な運用に努めてもらいた
い。

長期間の国会審議を通じて残念だったのは、与野党の歩み寄りが全くみられなかったことである。
民主党は分権にも配慮した対案を持ちながら与党との対決に終始してしまった。本来なら、共同修
正を図る局面もあったのではないだろうか。

教育に対する国民の要請はきわめて多様で、時代とともに変化し続けている。およそ60年ぶりとい
う歴史的改正ではあるが、そんな実情を踏まえた対応を望みたい。

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『北海道新聞』

改正教育基本法が成立*改正教育基本法が成立


憲法とともに戦後日本の民主主義を支えた教育基本法が改正された。

改正法は「わが国と郷土を愛する態度」などを条文に盛り込んだ。戦後教育の枠組みと理念を根底
から変える内容だ。

新しい法律の下で、教育はどう変わるだろう。

「国を愛せ」と教師が子供たちに強く求める場面が起きないか。そんな授業を受ける子供たちの態
度が「評価」につながらないか。教育現場の創意工夫はどこまで生かされるだろう。

こうした点の審議が必ずしも十分だったとは思えない。改正に国民の合意ができていたともいえな
い。

数の力を背景に、今国会で改正法の成立を図った政府・与党のやり方は強引だった。

安倍首相は、占領時代に制定された教育基本法と憲法の改正は、「自民党結党以来の悲願」だと
していた。

それほど重要なら、国民への丁寧な説明と合意形成の真摯(しんし)な努力を重ねる必要があった
はずだ。

次の課題は憲法改正ということになるのか。国の基本にかかわる問題で、「数の力」に頼る姿勢は、
許されるものではない。

*「国家」重視に軸足を移す

教育基本法は一九四七年、戦前の国家中心教育への深い反省を踏まえて制定された。

前文で「個人の尊厳」を基本とする教育理念を掲げ、憲法の理念の実現を「教育の力」に託した。

これに対し、改正法は「わが国と郷土を愛する態度」や「公共の精神」などの徳目を「教育目標」に
掲げた。

教育理念の軸足を「個人」から「国家社会」の重視に移した。

しかし、そもそも法で、内心にかかわる「教育目標」を定めることは、憲法が保障する「思想と良心
の自由」にそぐわないのではないか。

中国や旧ソ連のような社会主義国を除けば、多くの先進国では「国を愛する態度」のような内心の
問題まで国法では定めていない。

教育目標に徳目を並べ、評価までするという日本の教育は、異質と見られるのではないか。

「わが国や郷土を愛する態度」を自然にはぐくむことは、国民として大切なことだろう。

「公共の精神」を身につけることも、社会生活を営むうえで欠かせない。

それを法律に書き込み、子どもが学ぶ態度まで評価するとなると話は別だ。国による管理や統制が
過度に強まる懸念がぬぐえない。

*法の名の下で行政介入も

改正法で見逃せないのは、教育行政のあり方に関する条文の変更だ。

改正前の基本法一○条は、教育は「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負
う」と定めている。

戦前の国家統制への反省を踏まえ、行政の教育への介入を防ぐ役割を果たしてきた。

改正法は、「国民全体に対し直接に責任を負う」という文言を削除し、新たに「法律の定めるところ」
によって教育を行うと定めた。

現場の教師はこれまで、「国民全体に直接に責任を負う」という条文があったからこそ、父母や子ど
もたちとともに、創意工夫のある教育活動を試みることができた。

しかし、法改正によって、時の政府が法律や指導要領を決め、それに基づいて教育内容が厳密に規
定されれば、教員は行政の一員としての役割を強いられる。

教育法学者からは、政治や官僚の不当な圧力からの独立と自由を目指した当初の立法の趣旨が、
法改正で逆転したという見方が出ている。

文科省は教員評価制度の導入を一部の学校で始めている。制度の運用によっては、教師の仕事が
国の決めた教育目標をどこまで実現したかという観点から評価されかねない。

こうした問題をはらんでいたからこそ国民の間に懸念の声は強かった。

東大が十月にまとめた全国アンケートでは、公立小中学校の管理職の三人に二人が「現場の混乱」
を理由に改正に反対していた。

ところが安倍首相は国会で「国民的合意は得られた」と繰り返した。

政府のタウンミーティングでは、姑息(こそく)な世論誘導も明らかになった。

*施策の吟味が欠かせない

「教育基本法は個人の価値を重視しすぎている。戦後教育は道徳や公共心が軽視され、教育の荒廃
を招いた」

自民党内の改正論者は、このように基本法を批判してきた。

教育現場は、子どもの学力低下やいじめなど多くの課題を抱えている。しかし、教育荒廃の原因は基
本法に問題があったからではない。

むしろ、文科省や教育委員会が、基本法の理念を軽視し、実現に向けた努力を怠ってきたのが現実
ではないか。

文科省は今後、改正法に基づき具体的な教育政策を網羅した「教育振興基本計画」を策定する。

教育改革の名のもとに打ち出される施策の中身を、学校現場と父母は十分に吟味し、子どもの成長
に役立つ施策かどうかを見極める必要がある。

改正法の下での教育現場の変化を、注意深く見守らねばなるまい。

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『産経新聞』

【主張】教育基本法改正 「脱戦後」へ大きな一歩だ


教育基本法改正案が参院本会議で可決、成立した。現行の教育基本法が占領下
の昭和22年3月に制定されて以来、約60年ぶりの改正である。安倍内閣が掲げ
る「戦後体制からの脱却」への大きな一歩と受け止めたい。

改正法には、現行法にない新しい理念が盛り込まれている。特に、「我が国と郷土
を愛する態度」「伝統と文化の尊重」「公共の精神」「豊かな情操と道徳心」などは、
戦後教育で軽視されがちだった教育理念である。

一部のマスコミや野党は愛国心が押しつけられはしないかと心配するが、愛国心と
いうものは、押しつけられて身につくものではない。日本の歴史を学び、伝統文化に
接することにより、自然に養われるのである。

学習指導要領にも「歴史に対する愛情」や「国を愛する心情」がうたわれている。子
供たちが日本に生まれたことを誇りに思い、外国の歴史と文化にも理解を示すよう
な豊かな心を培う教育が、ますます必要になる。形骸(けいがい)化が指摘されて
いる道徳の時間も、本来の規範意識をはぐくむ徳育の授業として充実させるべき
だろう。

家庭教育と幼児教育の規定が新設されたことの意義も大きい。近年、親による児
童虐待や子が親を殺すという痛ましい事件が相次いでいる。いじめや学級崩壊な
ども、家庭のしつけが不十分なことに起因するケースが多い。親は、子供にとって
人生で最初の教師であることを忘れるべきではない。

教育行政について「不当な支配に服することなく」との文言は残ったが、教職員ら
に法を守ることを求める規定が追加された。国旗国歌法や指導要領などを無視し
た一部の過激な教師らによる違法行為が許されないことは、改めて言うまでもな
い。

同法改正では、民主党も対案を出していた。政府案と共通点が多かったが、与党
との修正協議に応じず、改正そのものに反対する共産、社民党と歩調を合わせた
のは、残念である。

安倍晋三首相は、日本人が自信と誇りをもてる「美しい国」を目指している。国づく
りの基本は教育である。政府の教育再生会議で、新しい教育基本法の理念を踏ま
え、戦後教育の歪(ゆが)みを正し、健全な国家意識をはぐくむための思い切った改
革を期待する。

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『中日新聞』・『東京新聞』


行く先は未来か過去か 教育基本法59年ぶり改定

教育基本法が五十九年ぶりに改定された。教育は人づくり国づくりの基礎。新しい時
代にふさわしい法にとされるが、確かに未来に向かっているのか、懸念がある。

安倍晋三首相が「美しい国」実現のためには教育がすべてとするように、戦後日本の
復興を担ってきたのは憲法と教育基本法だった。

「民主的で文化的な国家建設」と「世界の平和と人類の福祉に貢献」を決意した憲法。

その憲法の理想の実現は「根本において教育の力にまつべきものである」とし、教育
基本法の前文は「個人の尊厳を重んじ」「真理と平和を希求する人間の育成」「個性ゆ
たかな文化の創造をめざす」教育の普及徹底を宣言していた。

■普遍原理からの再興

先進国中に教育基本法をもつ国はほとんどなく、法律に理念や価値を語らせるのも異
例だが、何より教育勅語の存在が基本法を発案させた。

明治天皇の勅語は皇民の道徳と教育を支配した絶対的原理。日本再生には、その影
響力を断ち切らなければならなかったし、敗戦による国民の精神空白を埋める必要も
あった。

基本法に込められた「個人の尊厳」「真理と正義への愛」「自主的精神」には、亡国に
至った狭隘(きょうあい)な国家主義、軍国主義への深甚な反省がある。より高次の人
類普遍の原理からの祖国復興と教育だった。

一部に伝えられる「占領軍による押しつけ」論は誤解とするのが大勢の意見だ。のちに
中央教育審議会に引き継がれていく教育刷新委員会に集まった反共自由主義の学者
や政治家の熟慮の結実が教育基本法だった。

いかなる反動の時代が来ようとも基本法の精神が書き換えられることはあるまいとの自
負もあったようだ。しかし、改正教育基本法は成立した。何が、どう変わったのか。教育行
政をめぐっての条文改正と価値転換に意味が集約されている。

■転換された戦後精神

教育が国に奉仕する国民づくりの手段にされてきた戦前の苦い歴史がある。国、行政の
教育内容への介入抑制が教育基本法の核心といえ、一〇条一項で「教育は不当な支配
に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」となっていた。

国旗・国歌をめぐる訴訟で、東京地裁が九月、都教育委員会の通達を違法とし、教職員の
処分を取り消したのも、基本法一〇条が大きな根拠だった。各学校の裁量の余地がない
ほど具体的で詳細な通達を「一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制する『不当
な支配』」としたのだった。不当な支配をする対象は国や行政が想定されてきた。

これまでの基本法を象徴してきた「不当な支配」の条文は、改正教育基本法では一六条
に移され「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところ
により行われるべきもの」と改められた。

政令や学習指導要領、通達も法律の一部。国や行政が不当な支配の対象から外され、
教育内容に介入することに正当性を得ることになる。この歴史的転換に深刻さがある。

前文と十八条からの改正教育基本法は、新しい基本法といえる内容をもつ。教育基本法
の改定とともに安倍首相が政権の最重要課題としているのが憲法改正だが、「新しい」憲
法と「新しい」教育基本法に貫かれているのは権力拘束規範から国民の行動拘束規範へ
の価値転換だ。

自民党の新憲法草案にうかがえた国民の行動規範は、改定教育基本法に「公共の精神」
「伝統と文化の尊重」など二十項目以上の達成すべき徳目として列挙されている。

権力が腐敗し暴走するのは、歴史と人間性研究からの真理だ。その教訓から憲法と憲法
規範を盛り込んだ教育基本法によって権力を縛り、個人の自由と権利を保障しようとした
立憲主義の知恵と戦後の基本精神は大きく変えられることになる。

公共の精神や愛国心は大切だし、自然に身につけていくことこそ望ましい。国、行政によっ
て強制されれば、教育勅語の世界へ逆行しかねない。内面への介入は憲法の保障する思
想・良心の自由を侵しかねない。新しい憲法や改正教育基本法はそんな危険性を内在させ
ている。

■悔いを残さぬために

今回の教育基本法改定に現場からの切実な声があったわけでも、具体的問題解決のため
に緊急性があったわけでもない。むしろ公立小中学校長の三分の二が改定に反対したよう
に、教育現場の賛同なき政治主導の改正だった。

現場の教職員の協力と実践、献身と情熱なしに愛国心や公共の精神が習得できるとは思
えない。国や行政がこれまで以上に現場を尊重し、その声に耳を傾ける必要がある。

安倍首相のいう「二十一世紀を切り開く国民を育成する教育にふさわしい基本法」は、同時
に復古的で過去に向かう危険性をもつ。改定を悔いを残す思い出としないために、時代と教
育に関心をもち続けたい。

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『神戸新聞』

国会閉幕へ/首相は説明を尽くしたか


安倍首相にとって初の本格論戦の舞台となった臨時国会が、実質的に終わった。会期末に
なって、内閣不信任決議案などを提出した野党に、与党は会期を四日間延長して対抗し、押
し切った形である。

これにより、安倍内閣の最重要課題になっていた教育基本法改正案と、防衛庁「省」昇格関
連法案が成立した。

いずれも、戦後政治で大きな節目を画するものである。「戦後体制からの脱却」を掲げた首相
には達成感があるだろう。しかし、そんな重要法案を抱えながら、首相が考えを明確にし、突っ
込んだ国会論戦を交わしたという印象はあまりない。

教育基本法の改正には、確かに長い審議時間が費やされた。だが、首相が「新世紀にふさ
わしい日本の枠組みを」と訴えたにもかかわらず、めざす教育の在り方が見えたとはいい難
い。いじめ問題などには「対応に必要な理念、原則は政府案に書いてある」としたが、解決に
つながるのか。

画一的な教育が押し付けられたり、国の関与が強まったりしないか。そうした疑問や不安に対
し、どこまで自分の言葉で説明し、理解を得ようとしただろう。

防衛庁の省昇格も同様だ。問題は名称変更や危機管理の強化にとどまらず、防衛の基本にか
かわるのに、肝心の論点で議論が尽くされたとは思えない。重要法案の扱いがこれでは、禍根
を残しかねない。

国会の開会後、北朝鮮の核実験があり、政府は対応に追われた。衆院補選や沖縄県知事選な
ど、重要な選挙が続き、自民党内では郵政造反組の復党という難しい問題も抱えていた。

一方で大きな動きが相次いだとはいえ、首相として初の舞台で国民に対する説明責任を十分に
果たせたのかどうか。あらためて振り返ってみるべきだろう。

野党の責任も大きい。問題に切り込んで政府に迫るどころか、タウンミーティングのやらせ問題な
ど、攻勢の糸口を生かしきれなかった感がある。

安倍首相は、憲法改正を政治日程にのせる考えを、くり返し表明している。

今回の教基法改正案の成立を受け、その意欲を強めたかもしれないが、憲法はまさに国の根幹
にかかわる。拙速な取り組みは決して許されないものだ。そうした意味でも、生煮えの印象が残
る国会審議から、早く脱してもらわなければならない。

来月になれば、安倍首相の真価が問われる通常国会が始まる。国民の前で議論を深める努力
が、もっと必要だ。首相はもとより、与野党とも肝に銘じてほしい。

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『中国新聞』

改正教育基本法 政治の現場介入避けよ


憲法に準じるほどの重みを持つ法律の改正が、数の力で押し切られた。参院本会議できのう、
改正教育基本法が自民、公明の与党の賛成で可決、成立した。

教基法の改正は一九四七年の制定以来初めてである。戦後社会に定着してきただけに、審議
を尽くし合意へ努力を重ねるべきだった。それが衆院で野党欠席のまま採決したのに続いての
強引な手法である。子どもたちの未来に責任は持てるのだろうか。

改正教基法は「公共の精神」を前面に打ち出し、教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度を
養う」と明示した。国の関与を強める表現も盛り込まれた。能力対応の教育、家庭の責任、教
員の養成と研修の充実も並ぶ。心の中まで踏み込み、運用次第では圧力が家庭にまで及ぶ
可能性さえある。

これで教育現場はどうなるか。学校のランク付けが進み、家庭は子育て状況をチェックされ、
教員は「教師塾」へ通わざるを得なくなる…。そんな背筋が寒くなるような未来像が描かれる
ほどだ。

教育再生に必要なのは、管理強化と競争原理の導入で、現場のストレスをさらに高めること
ではない。子どもたちの自立心を育てることだ。改正教基法により政府がつくる教育振興基
本計画の成立過程を監視しなければならない。国の思惑を地域と自治体ではね返す力を蓄
える方法を考えたい。

改正へ向けた実質審議は十月末から始まった。これに合わせるかのように、いじめに絡む子
どもや先生の自殺が相次ぎ、高校で必修科目の履修漏れが明るみに出た。教育改革タウン
ミーティングの「やらせ」質問まで発覚した。荒廃は政府から教育現場まで及んでいることが
目の当たりになった。

対応策をめぐり審議は多くの時間をかけた。だが解決する道が教基法改正にどうつながるか
は見えなかった。改正の必要性についても十分な説明はないままだ。

臨時国会が会期末を迎え、きのうは与野党が激しい攻防を繰り広げた。選挙対策と絡めた野
党の戦術を自民首脳が「邪道」と批判する場面もあった。対立の構図からは、教基法が政争
の具におとしめられた姿が浮き彫りになった。

教基法に合わせて「防衛省」昇格関連法も成立した。「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲
げる安倍晋三首相は、次は憲法改正へ向けて走りそうな勢いである。同じような事態を繰り返
してはならない。

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『新潟日報』

新教育基本法 統制強化の疑念が残る


果たしてこれが国家百年の大計にふさわしい法律だろうか。

安倍内閣が今国会の最重要法案と位置付けていた教育基本法改正案が参院本会議で成立し
た。現行法をほぼ全面的に書き改めており、改正法というよりは新法と呼ぶべき内容だ。

国民の多くが教育や子育ての現状に不安を感じている。いじめ自殺が頻発しているのに学校に
は対応能力がない。小学生の校内暴力は三年連続で過去最多を更新中だ。親が子どもを虐待
し、子どもが親をあやめる事件も後を絶たない。

大学全入時代を迎えても受験競争は過熱し低年齢化する一方だ。大学受験教育の行き過ぎが
高校での必修科目未履修となって現れたのは記憶に新しい。

教育の再生、立て直しが焦眉(しょうび)の急であることは確かだ。だが、改正法をいくら眺めても
危機打開の道筋は見えてこない。それどころか、統制と管理の前に立ちすくむ教育の未来図が見
えてしまう。

改正法は教育改革の入り口だ。学校教育法や地方教育行政法など関係法令が次々と改正される
ことになる。運用によっては教育現場が大混乱する事態も想定される。政府は慎重に事を運ぶべ
きだ。

安倍晋三首相も伊吹文明文部科学相も改正法は「理念法」だという。安倍首相は衆院特別委員
会でこう答弁した。「教育の目的は志ある国民を育て、もって品格のある国家をつくることにある」

改正法の狙いが端的に表現されている。現行法一条(教育の目的)にうたう「個人の価値」や「自
主的精神」の文言が、新法一条には見当たらない。個々の人格形成より国家有為の人材育成に
重きを置いているのが改正法を貫く基調だ。

「我が国と郷土を愛する態度を養う」(二条五項)、「教育はこの法律及び他の法律に定めるところ
により行われる」(一六条)などの規定は、国の教育権を強調したものといえよう。

「教育の憲法」とされる基本法の大転換である。改正に当たっては国会での議論を深めるのはも
ちろん、国民の理解と納得を求めることも欠かせまい。

政府主催の教育改革タウンミーティングで行われた「やらせ質問」問題に決着をつけないまま、与
党だけの賛成で改正法を成立させた責任は極めて重い。

法案審議の中で安倍首相らは、規範意識や公共概念の大切さを力説した。国民に呼び掛ける前
に、政府自らが姿勢を正すべきだろう。世論を誘導して法改正の機運醸成を図るなど言語道断で
ある。

改正法にはあまりにも問題が多い。成立に至った過程も強引すぎる。教育を政治の力でゆがめて
はならない。

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『北日本新聞』

改正基本法成立/教育を十分論じたのか


安倍晋三首相が最大の懸案の一つとする改正教育基本法が成立した。現行基本法になかった
「国と郷土を愛する態度」を盛り込み、「公共の精神」を強調し、教育は「国民全体に対して直接に
責任を負って」ではなく「法律の定めるところによって行われる」とした。

現行基本法は国家のためだった戦前の教育を否定し、個人の尊厳を柱にした教育理念をうたい、
憲法の理想実現を「教育の力にまつべきもの」と規定した。改正基本法は国による統制が色濃く、
これまで抑制的だった教育内容への介入も可能になる。現行法からの大転換である。安倍首相が
唱える「戦後レジームからの脱却」が、まず教育分野で形になった。

いじめ、不登校、校内暴力、学力低下…。こうした現状に国民の不満が大きい。北日本新聞社など
が加盟する日本世論調査会の九月の調査では、過半数が基本法改正に賛成している。

しかし、いじめ一つとっても、教育だけに起因するものではない。家族の変容、地域社会の崩壊、子
どもを取り巻く情報環境などの影響が大きく、日本だけでなく先進各国が同じ悩みを抱えている。基
本法を改正し教育の仕組みを変えさえすれば、というのは過剰な期待だろう。

今国会はさながら「教育国会」の観を呈した。折から、いじめによる小中学生の自殺が相次ぎ、高岡
南高校に端を発する必修科目の未履修問題が全国で発覚し、さらに教育改革をテーマとする政府主
催のタウンミーティングで「やらせ質問」が明るみに出た。国会審議は、これら「三点セット」の追及に
多くの時間を割くことになり、基本法改正案そのものは十分に論議されたとは言えない。

教育基本法は理念法である。これを改正したからといって、いじめがなくなったり学力が向上するわ
けではない。いま、子どもたちや教師、学校はどんな状況に置かれているのか。子どもがのびのびと
育つ条件はきちんと整備されているのか。こうした現状を踏まえた教育論議なしに、法案の抽象的な
文言ばかり議論しても、教育を良くすることにはつながらない。

今後は下位法の学校教育法、教育免許法などの改正に移る。基本法改正がどう影響するのか、今度
こそ地に足の着いた論議をしてほしい。

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『北國新聞』

改正教基法成立 次の改革は教育の「現場」


成立した改正教育基本法は、戦後教育の不備やゆがみを正すために必要である。ただし、これによっ
て教育の現場がすぐに変わるわけではない。改正教育基本法の理念に沿って、例えば教育委員会や
教師のあり方をどう見直すかなど課題は山積しており、新基本法に魂を入れる今後の具体的な改革が
むしろ重要である。

現行の教育基本法は「個人の尊厳」を最も重視している。個人の価値を尊んで人格の形成をめざすこと
が教育の最大目標であるのは、改正基本法も同じである。ただ、戦後の教育が個人の尊厳に重きを置
くあまり、それぞれが住む郷土や国のこと、あるいは公共のことに思いをいたす教育が手薄になりがちで
あったことは否めず、そのことが教育や社会の荒廃の背景にあるという指摘は決して的はずれではない。

今回の基本法改正で「国と郷土を愛する態度を養う」ことや「公共の精神を尊ぶ豊かな人間性の育成」と
いった新しい理念や価値が盛り込まれたことは評価できる。

今後の課題でまず挙げられるのは、いじめや必修課目未履修問題で法案審議でも焦点になった教育委
員会の見直しである。教育委員会は地方教育行政の中心であり、政治的に中立の機関と位置づけられ
てきた。しかし、実質的な教育行政は文部科学省が主導し、教育委員、教育長らの人事や予算の権限
が首長にあることから、教育委員会は形骸化し、教育委員も名誉職の色合いが濃いという批判が絶え
ない。

こうした実情を考えた場合、教育委員会を、例えば「教育庁」や「教育部」の名称で、首長直属の部局に
組み込むことも改革の一案であろう。人事権や予算執行権の実態に即した体制にした方が、教育行政
の責任の所在がより明確になるのではないか。もしそうなると、中立であるべき教育行政が、選挙で首
長が交代するたびに変わる恐れがあり、好ましくないといった批判がなされる。が、教育の大枠は学習
指導要領で決まっているのであり、首長に左右されるという批判は当を得ない。

教育基本法は理念法であり、その改正であたかも戦前の統制国家に戻るかのように大騒ぎした一部
マスコミがあったのはいただけない。本当の教育改革はこれからである。

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『信濃毎日新聞』

教育基本法 運用の監視が怠れない


教育基本法の改正案が参議院の本会議で可決、成立した。戦後教育の背骨となった重要な法律が全
面的に改定された。

個人の尊重より公共の精神を優先し、国を愛する心を求める内容だ。反対が根強い中、論議を尽くさな
いままに成立したのは残念だ。

今後、関連する法律の見直しが進められる。法律に何が盛り込まれるのか。学校はどう変わるか。国の
動きをチェックする必要がある。

何より、子どもたちがより息苦しくならないよう、現場の声を上げ続けることが大切になる。

「伝統と文化を尊重」「わが国と郷土を愛する態度を養う」「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成
に参画し、その発展に寄与する態度」−。改正法にはこういった「教育の目標」がずらりと並ぶ。

憲法の理想を実現するには「教育の力にまつべきもの」として、個人の尊厳を重んじる現行法から、基本
的な考え方が大きく変わる。規範意識を植え付け、国が期待するあるべき姿を押しつける方向に教育が
ねじ曲げられないか、心配になる。

<規律の重視だけでは>

教育をめぐる問題は深刻だ。学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の弱体化など山積している。こうし
た問題を、政府は個の尊重や自由が行き過ぎたゆえに生まれたものだとする。根本的な改革のための、
基本法見直しだと説明している。

いまの教育を良くしたいという思いは国民の間に強い。ただ、そのために教育の理念を変える必要性は
認め難い。政府の目指す方向と、学校現場や家庭が抱えている問題には大きなずれが感じられる。

例えば、相次いで表面化したいじめにどう対応するかだ。

いじめられた経験を学校などで語る、20代の人たちの話を聞く機会があった。

「学校に行けない自分を悪い人間だと責めながら、行くなら死んでしまいたいと包丁を持った」

「生きるのもつらいが、死ねないつらさにも苦しんだ」

過去を語ることは、死にたいほどのつらさを再び体験することにもなる。それでもいじめをなくしたいと、訴
え続けている。

彼らがそろって口にするのは、いじめる側を厳しく指導しても、解決にならないということだ。

「なぜいじめるのか、自分の心に向き合わせる対応が大切」「先生は忙しく、子どもに接する時間が少な
すぎる」「親や教師も絡んだ複雑ないじめの実態に、もっと耳を傾けてほしい」。こうした訴えは、どこまで
国会に届いているのか。

14日の参議院特別委員会で、安倍晋三首相は「相手をいじめる気持ちを自律の精神で抑え、教室で迷
惑をかけてはいけないと公共の精神や道徳心を教える」と述べた。体験者の声とは懸け離れた理屈であ
る。問題を深刻化しかねない。

論議が不十分に終わった一因は、民主党にある。民主党の対案は前文に「日本を愛する心」をうたい、保
守的な色合いは政府案よりむしろ強い。政府案が決まれば、どんなマイナスの影響があるのかといった問
題追及が足りなかった。

<内心に踏み込む恐れ>

改正法に基づき、政府は5年間の目標を定める「教育振興基本計画」を作る。関連法の改正や、学習指導
要領の見直しも始まる。今後の動きに厳しい目を向ける必要がある。

最も心配されるのは、子どもの内面に踏み込む方向が強まることだ。安倍首相は「内心の評価は行わない」
としたものの、日本の伝統や文化を学ぶ姿勢や態度を評価することは明言している。

評価の対象は「態度」だとしても、法律などで教育目標となれば、子どもに強制することになりかねない。通
知票で「愛国心」を評価することに、どんな意味があるのか。

かつて国旗国歌法の審議でも、日の丸掲揚や君が代斉唱を義務付けるものではないとの答弁はあった。し
かし、現実には教職員への指導強化になり、自殺者まで出た。事実上の強制である。二の舞いは避けねば
ならない。

第二の心配は、地域や学校の自主性が狭められることだ。

教育基本法は、戦前の教育が国家のために奉仕する国民を育てた反省に基づいて生まれた。「不当な支配
に服することなく」と、教育の中立性や自由をうたっている。

<改憲への岐路に?>

改正法は教育行政について「この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」としている。教育内容へ
の国の関与は、強まると考えねばならない。学校の裁量や自由が狭められる心配が募る。

学校も家庭も余裕がない。そんな中で、例えば「いじめや校内暴力を5年で半減」といった目標が掲げられたら
どうなるか。現場はより息苦しくなる。

子どもたちに徳目を押しつけるだけは解決にならない。そういった生の声をこれからも上げ、法の運用に目を光
らせていく必要がある。

教育基本法改正は、憲法改正にもつながる。自民党の新憲法草案は個人の自由と権利の乱用を戒めている。
このまま、国の関与が強まる道を選ぶのか。岐路に立っていることを自覚しなくてはいけない。

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『岐阜新聞』

改正教育基本法成立 教育は国家のものでない


政府、与党が今国会の最重要法案と位置づけた改正教育基本法案が、野党がこぞって反対、内閣不信任決議
案などが飛び交う中で成立した。1947年の制定以来、59年ぶりの初めての改正であり、教育の転機を迎えた。

現行法が目的に掲げた「人格の完成」はそのまま改正法にも残ったが、中身は変質した。個人としての完成をまず
目指すという意味は薄れ、「国を愛する態度」などを身につけた国民の育成が前面に出た。

教育目標に新たに「公共の精神」、「伝統と文化の尊重」などの理念を掲げたのもそのためだ。

国を愛する「気持ち」は自然ににじみ出るもので、何をその「態度」とするかは人によって異なる。目標に掲げた理念
を教育内容に組み込む学習指導要領の改定も行われるが、多義的な理念を行政が一つの形に決め、現場で強制
するようでは、憲法で保障する内心の自由を侵すことになる。

子どもの心の中にずかずかと入り込んではならない。そもそもこうした理念を掲げたからといって、いじめによる自殺
など、現代の子どもが抱える問題の解決につながるとはいえない。解決すると本気で思っている国民はどれほどい
るだろうか。

問題の背後にあるのは、地域社会の崩壊や経済格差の拡大の中で、子どもが育つ条件が失われている現実だ。
社会性を育てる集団がなくなり、親子がゆったりしたコミュニケーションを重ねる余裕もなくなっている。

「日本人としての教育が足りない」とイデオロギー先行で条文を書き換えたところで政治的自己満足にすぎず、教育
課題の解決には程遠い。いま問われているのは子どもの育つ土壌をどう豊かにするかである。

政治が教育内容に踏み込む道が開かれたのも気になる。これまで歯止めとなってきた「教育は不当な支配に服す
ることなく」との言葉は残ったが、「この法律及び他の法律によって行われるべき」との文言が加わった。「法に基づ
く命令、指導は不当な支配ではない」と政府が答弁しているように、歯止めは限りなく無力化されている。

政府が振興基本計画を定めるという条文も、国のコントロールを強めることになる。国会で多数派をとれば教育内容
に介入できるということだ。政権が変わると教科書記述が変わるようなことでは現場は混乱する。地方分権の流れに
も逆行する。

教育は人間の内面的価値にかかわる営みだ。学力テストをめぐる判決(1976年)で最高裁が、憲法原理をもとに、教
育内容にかかわる国家的介入はできるだけ抑制的であることが要請される、と判示していることを忘れてはならない。

現行法は、戦前、過度の中央集権の下で画一的な統制に陥り、地方の実情と個性に応じた教育が行われなかったこ
との反省の上にある。これを受けて学校教育法制定に当たった文部官僚が戦前の教育について書いている。

「国の教育行政に対する態度は、のびのびした教育環境を作り出して教育を豊かに明るく伸ばすと言うより、監督々々
で、いじけさせてしまう方が多かった」

この教訓をわれわれは真摯(し)に受け止めなければならない。教育は未来を担う子どものためにある。国家のもので
はない。

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『徳島新聞』

改正教育基本法成立   「原点」を見失うな


教育基本法改正案が参院本会議で成立した。一九四七年の制定以来、初めて全
面改定される。反対する野党は、内閣不信任決議案などを提出して対抗したが、与
党が採決に踏み切った。

現行基本法は、個人を犠牲にして戦争に突き進んだ戦前の教育の反省に立ち、戦
後教育の理念を定めた「教育の憲法」である。それだけに、多数の国民が改正に慎
重審議を求めていた。私たちも「国民的議論として熟していない。今国会にこだわら
ずに審議を尽くすべきだ」と主張してきた。

政府主催の教育改革タウンミーティングでは「やらせ質問」も判明、不信や反発が広
がった。タウンミーティングを一からやり直すなど、じっくり議論を深めるべきだった。
「見切り採決」は、極めて遺憾である。

今後、改正基本法に基づく教育振興基本計画が策定され、学校教育法や学習指導要
領などの見直しも動き出す。教育の現場が、どう変わるのか。しっかり見据えなければ
ならない。

改正基本法は、前文に「公共の精神」「伝統の継承」を明記。教育の目標として「我が
国と郷土を愛する態度を養う」ことを掲げ、「愛国心」を重視する姿勢を打ち出している。
現行基本法の前文にある「個性」の文字は消えた。

教育の基軸が「個の尊重」から「公の重視」へと動くことになりそうだ。

「家庭や地域、国を愛する心を教えてこなかったことが教育の荒廃を生んだ」。安倍晋
三首相らは、そう考えているようだ。しかし、いじめや不登校などの原因が現行基本法
にあるとするのは、あまりにも短絡的だ。改正がどう問題解決に結びつくのか。最後ま
で納得のいく説明は聞けなかった。

改正によって、国が愛国心や公の精神を学校現場に押し付けることにならないか、気
がかりだ。愛国心について、安倍首相は「個人の内面には立ち入らない」と述べてい
るが、評価の対象になったり、指導が強制されたりすることはないと言い切れるだろう
か。

大人が家族や地域を大切にし、善悪のけじめを行動で示せば、おのずと子どもの心に
愛国心や公共心ははぐくまれるはずだ。押し付けは逆効果でしかない。

教育の原点は「人間教育」である。

「いまの教育を何とかしなければ」と多くの国民が思っている。私たちも同感だ。伝統や
規律を教えること、基礎学力を引き上げること、いずれも大切である。しかし、その根っ
こに人間としてのあり方や生き方をしっかり教える「人間教育」の土台がなくてはならな
い。

子どもたち一人一人が大切にされ、尊重し合いながら、それぞれの能力を引き出す教育
がないがしろにされてはならない。そうした教育は現行基本法の理念でもあった。

教師の役割は一層大きくなる。教師との出会いが、子どもの生き方を変えたという例は数
え切れない。

「兎(うさぎ)の眼」などの作品で知られ、先月亡くなった児童文学作家の灰谷健次郎さん
は、子どもの心を見つめ続けた。「子どもの心の痛みや涙が分かる先生であってほしい」。
度々そう語っていた。

「教育の憲法」が変わる大きな節目にあって、教育の原点をあらためてかみしめたい。そし
て、教育が真の「再生」に向かうかどうか、見守っていきたい。

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『愛媛新聞』

臨時国会「閉幕」 国のこれからに禍根を残した


政府が臨時国会の最重要法案と位置づけていた教育基本法改正と、防衛庁の
「省」昇格関連法がきのう参院本会議で可決、成立した。

野党側は内閣不信任決議案などを提出、政府・与党は会期を四日間延長し、会期
末ぎりぎりの攻防を繰り広げた。

しかし両法案とも賛成多数で可決された。改正された両法は国の在りようにかかわ
る法律である。だからこそ拙速を避けて審議を尽くすべきだった。結果的に与党が
数の力で押し切ったことは残念でならない。将来に禍根を残したのではないか、そ
んな懸念も募る。

「教育の憲法」と呼ばれてきた教基法の改正は一九四七年の制定以来、初めてだ。
改正教基法は十八条からなり、前文で「公共の精神を尊び」と明記、教育の目標と
して「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことなどを挙げ「愛国心」重視の姿勢をにじ
ませる。「個」の尊重から「公」へと、基本理念の大きな様変わりである。

なぜ、いま改正なのか―。国民の内にある素朴な疑問は脇に追いやられた感はあ
る。政府・与党は審議を十分尽くしたと胸を張る。だが審議時間の多くは、いじめ自
殺や必修科目未履修問題、さらには教育改革タウンミーティング(TM)でのやらせ
質問に費やされた。本質部分の議論は深まらず、消化不良は否めない。

とりわけ改正教基法により、安倍晋三首相がどのような教育の在り方を目指してい
るのか、国会審議を通じても見えてこなかった。やらせ質問が批判されたTM問題
も併せ、国民の多くは不安、不信を抱いたままだといえる。教基法改正が憲法改正
への布石であれば、なおさらである。

防衛庁を「省」に昇格させる関連法も成立し、来月には「防衛省」になる。自衛隊の
海外派遣が本来任務に格上げされることで、その性格は大きく変化するとの見方が
多い。今後、海外活動は増える可能性があり、随時派遣を容易にする恒久法の議論
が加速する懸念をぬぐい去ることはできない。

法案審議の中で、なし崩し的な活動拡大を懸念する意見が続出したことを忘れてはな
らない。海外で米国などの軍隊と活動する機会が増えれば、憲法解釈で禁じられてい
る集団的自衛権の行使につながる恐れも高まる。専守防衛、文民統制をないがしろに
してはならない。

安倍首相にとって就任後初となった今国会では、通常国会で継続審議となった教基法
改正をはじめ、重要法案がめじろ押しだった。国民投票法案、「共謀罪」新設、社会保険
庁改革関連法案は来年の通常国会に持ち越しとなったが、二つの重要な法律の成立で
安倍政権の面目は際どく保たれたといえる。

しかし安倍内閣の今月上旬の支持率は急落し、50%を割り込んだ。郵政造反組の自民
党復党問題などが響いたとみられる。国民の目が厳しく注がれていることを重く受け止め
て、政権運営にあたる必要がある。

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『高知新聞』

【教基法改正】国民がきちんと監視を


改正教育基本法が成立した。国会の内外に反対や慎重審議を求める声が根強く
ある中、自民、公明両党が採決を強行した。

未来を担う子どもたちをはぐくむための「教育の憲法」に、力任せの手法は最もふ
さわしくない。極めて残念だ。

国会審議では、現行法のどこに問題があり、なぜ改正が必要か、改正すれば教
育の現状がどう変わるのかについて、安倍首相らが明確にすることはなかった。
十分な検証なしの「はじめに改正ありき」では、答えようがなかったのだろう。

改正法には、国家を個人より優先させようとする政府や自民党の狙いが色濃く出
ている。今後、教育現場がどう変わっていくのか、懸念がつきまとう。

一つは新設の「教育の目標」に盛り込まれた、「国と郷土を愛する態度」「伝統と文
化の尊重」などの扱いだ。いずれもが心の問題であり、画一的に教え、評価できる
ようなものではない。

愛国心について、安倍首相は「内面まで入り込んで評価することは当然ない」とす
る一方、「学習する態度」の評価は肯定している。心と態度が不可分の関係にある
ことを考えれば、態度の評価が結局は愛国心の強制につながる恐れは大きい。

政府の「強制しない」を額面通りに受け取ることができないのは、国旗国歌法の先
例があるからだ。当時の官房長官は「強制するものではない」と強調したが、文部
科学省は学校現場での指導徹底を求め、事実上の強制につながった。

今回も伊吹文科相は、愛国心教育について現場の統制強化を進めるかのような
考えを明らかにしている。現場の混乱が心配だし、押し付けは憲法が保障する内
心の自由を侵すことにつながりかねない。

国の統制強化

そうした懸念をこれまで以上に抱かざるを得ないのは、改正によって国の権限が
強まるからだ。

現行法一〇条は「教育は、不当な支配に屈することなく」と定めている。国家が学
校現場に深く関与して軍国主義教育を進めた戦前の反省に基づくもので、現場の
独立性や中立性を担保してきた条文だ。

改正法はこの条文の後に、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われ
る」と付け加えた。さらに、新たに国と地方が策定する教育振興基本計画では、地
方は国の計画を参考にして、と明記している。

安倍首相は「教育の国家管理を強めることにはならない」とする。だが、伊吹文科
相の発言からは、法律や学習指導要領で決めさえすれば、教育を思う方向に進め
ることができるようになる、という国の考えが透けて見える。

国による統制が強化されれば、現在も色濃い教育行政の「上意下達」の体質はさら
に強まっていこう。学校現場では国が決めた目標を達成することに目を奪われるあ
まり、子どもたちに向ける視線が弱まることになりかねない。

いじめや不登校などの教育の荒廃は、子どもたちを取り巻く家庭や社会を反映した
ものだ。大きな負担を強いられている学校現場への統制強化で解決できる問題で
はない。

逆に、さまざまな不安の中で生きる子どもたちと教員の距離を広げてしまう恐れさえ
ある。そうした事態を招けば、学校現場の危機はさらに深まるのではないか。

教育基本法改正によって教育そして学校現場がどう変わるのか。国民一人一人が
監視していかないと、とんでもない方向に進みかねない。

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『南日本新聞』

[基本法成立] 教育の“今ある危機”に対応できるか


安倍晋三内閣が今国会の最重要法案と位置付けていた改正教育基本法が参院本
会議で自民、公明の与党の賛成多数で可決、成立した。教育基本法の改正は1947
年の制定以来、初めてである。

教育基本法は「教育の憲法」と呼ばれる教育の根本法である。改正には国民的議論
の成熟が必要なはずだった。

だが、共同通信社の最新の世論調査では、基本法改正に「賛成」は53%で、「反対」
の33%を上回ったものの、賛成と回答した人でも「今国会にこだわるべきでない」とし
た人が半数を超えた。

必ずしも緊急と思えない基本法改正を、特別委員会で“強行可決”し、野党が内閣不
信任決議案などで抵抗するなか押し切ったのは極めて遺憾で、歴史に大きな禍根を
残したと言わざるを得ない。

与党が改正を強行した背景には、戦後体制からの脱却を目指す安倍政権の思惑が
働いているのは間違いない。「教育の再生」という理由付け以上に、政権が狙う憲法
改正への布石と受け取れる。国民的議論の成熟を待たずに強行した対応に、そんな
政権戦略が浮き上がる。

だが、基本法を政治的対立の象徴に落とし込んでいいだろうか。改正法が掲げた「公
共の精神」「国を愛する態度」「伝統と文化の象徴」などの理念についても、突っ込んだ
議論はなかった。

問題は、教育基本法改正について政府主催のタウンミーティング(TM)でやらせ質問
があり、政府案に賛成する立場からの世論操作が行われた点だ。

政府の調査報告書によると、「やらせ」は教育改革をテーマにしたのが5回で、発覚の
発端となった9月の青森県八戸市のTMでは「新しい基本法には家庭教育の規定があ
り期待している」と露骨な改正案への賛成意見が出された。議論の成熟を待つどころか、
世論をでっち上げるのは言語道断の行為だ。

国会の議論を聞いてもなぜ今、基本法改正なのか説得力ある説明はなかった。国を
愛する態度は、例えば国を憂い、反政府運動まですることを含むのか。尊重すべき伝
統、文化とは何なのか。それをだれが決めるのかなど、きめ細かい論議は最後まで聞
かれなかった。

現在の教育が危機的状況にあるのは間違いない。だが、重要なのはいじめ自殺など
現代の子どもが抱える心の問題だ。高校の必修科目未履修に象徴される受験偏重の
教育体制も問題である。

基本法改正で、そんな教育の“今そこにある危機”が解決に向かうとは到底、思えない。
真に子どものためにあるべき教育を、国家のものにしようという動きには強い憤りを覚え
る。

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『沖縄タイムス』

[改正教基法成立]政治に翻弄されるな


安倍内閣が今国会の最重要法案と位置付けていた改正教育基本法が自民、公明
の与党の賛成多数で可決、成立した。一九四七年の制定以来、野党がこぞって反
対する中での改正である。

「世論誘導」と非難されたタウンミーティングに象徴されるように、民意をないがしろ
にしてきた過去の教育行政の検証もなく、内閣不信任決議案や問責決議案などが
飛び交う中での力ずくの成立である。

不信任案の提案理由を説明した民主党の菅直人代表代行は「政府主催タウンミー
ティング(の運営)を官僚に丸投げする姿勢こそが安倍内閣の改革が偽者であるこ
との証明だ」と厳しく批判した。

これに対して、自民党の石原伸晃幹事長代理は「タウンミーティング問題で給与を
国庫返納した首相のけじめは誠に潔い。内閣不信任案は正当性もなく、まったく理
不尽だ」と反対した。

国民はどう思っただろうか。国会で多数派をとれば、何でも介入できる道が開かれ
るという「数の力」への諦念、あるいは無力感ではないのか。

約六十年ぶりの改正審議は、改正教基法の成立を最優先した政府、与党の思惑で
事実上閉幕したと言えよう。

それにしても、政治が教育内容に踏み込む道が開かれたのは納得できず、残念で
ならない。

改正教基法には、これまで歯止めとなってきた「教育は不当な支配に服することな
く」との言葉は残ったが、「この法律及び他の法律によって行われるべき」との文言
が加わった。

「法に基づく命令、指導は不当な支配ではない」(政府答弁)としているように、歯止
めは限りなく無力化されている。

教育が政治に翻弄される宿命を負うことになりかねない。返す返すも歴史に禍根を
残したと言わざるを得ない。

安倍晋三首相は「新しい時代にふさわしい基本法の改正が必要」と国会審議で繰り
返し、現行法の「個」の尊重から「公」重視へと基本理念を変えた。新たに「公共の精
神」「伝統と文化の尊重」などの理念も掲げた。

だが、こうした理念がいじめなど現代の子どもの抱える問題の解決につながるかどう
かは極めて疑問だ。

日本人として、国と郷土を愛することは当然である。しかし、「内心の自由にはなにび
とも介入できない」ように、法律は行為の在り方を定めるのであって、心の在り方を決
めるものではない。

安倍首相の教育改革論議は、現状を打破したいあまりに教育全体をどうするかの哲
学に欠けていたと言いたい。

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『琉球新報』

教育基本法改正・懸念は残されたままだ


教育基本法の改正案が参院本会議で与党の賛成多数で可決、成立した。1947
年の制定以来、59年目にして初めて改定となった。

教育基本法改正案は、衆院特別委員会、本会議でも与党の単独で採決され、
参院でも与党単独での力ずくの採決となった。与党側は、審議は十分尽くした
とするが、果たしてそうだろうか。「成立ありき」の感がぬぐえない。

国会での論議を聴いていても、高校の社会科未履修問題などに時間が割かれ
た。そのことは重要だが、なぜ教育基本法改正が必要なのか、改正で教育をど
う変えていくのかなど、改正の本体を問う論議は少なかった。政府側の説明も不
十分だった。

教育が現在、解決すべき問題を抱えていることは、多くの国民の共通の認識だろ
う。しかし、その解決が教育基本法改正とどうつながるのか、政府、与党から明確
な答えを聞くことはできなかった。

教育基本法は、憲法と同じく戦後の日本の進むべき方向性を示してきた重要な法
律だ。改正は慎重の上にも慎重を期して当然だ。

教育は「国家100年の大計」といわれる。その理念を定めた基本法が国民合意と
はほど遠く、数を頼みの成立では、将来に禍根を残すことになる。

改正する理由について政府、与党は「個人重視で低下した公の意識の修正」や
「モラル低下に伴う少年犯罪の増加など教育の危機的状況」などを挙げる。

しかし、教育を取り巻く問題がすべて現行の教育基本法にあるとするのは、無理が
ある。

安倍晋三首相は、いじめ問題などについて「対応するための理念はすべて政府案
に書き込んである」と繰り返した。「公共の精神」や「国を愛する態度」といった精神
論を付け加えることで果たして問題が解決できるのか。

むしろ、現行法の最も重要な理念である「個の尊重」が、教育現場で本当に生かせ
るような枠組みづくりが必要なのではないか。

教育と政治の関係も大きく変わる。現行法では「教育は、不当な支配に服すること
なく」とされているが、改正法では「この法律及び他の法律の定めるところにより行
われるべきものであり」が付け加えられた。

国会で多数をとって法律を制定させれば、教育内容に介入することも容易になる。
教育が時の政権の思惑によって変えられることになりはしないか。

改正法が成立したことで、政府は教育振興基本計画を定め、関連法案の改正に着
手する。しかし、基本法改正への懸念は残されたままだ。政府は、計画策定などの
論議の中で国民の懸念に十分に応える必要がある。

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