各紙社説集:12月15日付


『毎日新聞』 TM最終報告 税金がやらせに使われた
『北海道新聞』 やらせTM*幕を引くのはまだ早い
『岩手日報』論説 教基法改正案成立へ
『神戸新聞』 教育基本法/改正に懸念を残したまま
『琉球新報』 TM最終報告・目的に反する「やらせ」質問
『河北新報』 教育基本法可決/管理強めず、現場の支援を
『沖縄タイムス』 [教育基本法改正]論議なお足りず禍根残す
『西日本新聞』 「禍根を残す」は杞憂だろうか 教育基本法の改正
『しんぶん赤旗』 教育基本法改悪案 強行採決に大義はない


『毎日新聞』

TM最終報告 税金がやらせに使われた


政府の「タウンミーティング(TM)調査委員会」は、最終報告で「やらせ」の実態を明
らかにした。

これを受け、小泉政権下で官房長官を務めた安倍晋三首相は、給与3カ月分を返納
すると発表した。首相自らの処分は極めて異例だが、まさに国民への裏切り行為で
あり当然のことである。政府には猛省を促したい。

調査報告によるとTMは小泉政権下で174回実施された。うち教育改革、司法制
度改革などで特定の質問内容を依頼した「やらせ質問」が15回▽内容を特定しな
い発言依頼が105回▽発言者への謝礼金支払いは25回65人▽参加者の動員は
71回に上った。

調査委は(1)国民の声を聞き、閣僚と参加者が本音の対話をするTMの理念が政
府部内で理解されなかった(2)開催そのものが自己目的化した−−と教訓を挙げ
ている。

政府側にとってのイベントの成功とは会場が人で埋まり、賛成意見が多数出る、過
激な反対論は避け、仮にそれが出ても閣僚が恥をかかずに明快に答弁できるという
ものだったようだ。役人たちが気を使ったのは参加者ではなく、閣僚たちに他なら
ない。

参加者の真剣な論議よりも波乱なく終わらせようとする、事なかれ主義ではないか。

閣僚の答弁が心配で、質問も回答も役人が作ったという例もあるが、情けない。厳
しい批判に真正面から応える能力がないなら、最初からTMに出るべきではない。

運営経費のずさんな使い方や高額なのには驚いた。01年度前期、随意契約で運営
を委託した業者に対する契約が1回につき約2200万円。一般競争入札に移行し
た02年度以降は約700万〜1300万円と大幅に下がった。

駅・空港での閣僚の送迎費用が02年度前期が2万9000円、後期になると5000
円になる。この落差も理解できない。

静岡市のTMではハイヤーを3台しか使わなかったのに、15台使用したことにし
45万円が請求された。東京から調達したため費用がかさんだと言うが、これはま
さに理由の改ざんであり、不正使用ではないか。

これらはいずれも国民の血税だ。やらせで国民をだまし、その上、税金を無駄遣い
されては政治に対する信用がなくなる。

調査委は「政府の方針を浸透させるための世論誘導との疑念を払しょくできない」
と指摘した。

米国で広がったTMは地域住民が参加するもので、意見交換の場だったり、地域に
かかわる物事を決めたりする。また代議制のTMもある。

本来、TMは民主主義の一つの原点だったはずだ。小泉純一郎前首相が就任時の所
信表明でTMを打ち出した時、それは民意を背にして、改革を進めていくための工
夫として期待された。政治が変わると思った人も多かったはずだ。

しかしTMに仕掛けが施され、「世論を聞いた」というアリバイやイメージ作りに
利用された。今回、それを最も強く指摘したい。

                                             もどる

『北海道新聞』

やらせTM*幕を引くのはまだ早い


これが「官」の常識なのか。

「やらせ発言」などに関する政府のタウンミーティング(TM)調査委の最終報告
書がまとまった。あきれるばかりの世論誘導工作や無駄遣いの実態が列挙されてい
る。

これで本当にすべてがさらけ出されたのか、という不信も消えない。失墜した信頼
の回復は簡単ではない。

報告書によると、百七十四回開かれたTMのうち、発言依頼は百五回、発言内容を
指示するやらせは十五回、参加者の動員は七十一回あった。やらせ発言は文部科学
省の教育改革TMだけでなく、法務省の司法制度改革TMなどでも行われていた。

京都では、特定の人たちを排除するため、入場者の抽選を操作していたことも分かっ
た。

発言者への謝礼も二十五回で六十五人に上った。「意見をカネで買った」という野
党の批判は当を得ている。

報告書は「世論誘導との疑念は払拭(ふっしょく)できない」と指摘しているが、
これはまさに世論誘導そのものだろう。

カネの使い方もひどい。

開始当初のころは一回平均で二千万円以上、昨年度でも千二百万円かかっていた。
だが、神奈川県では三十八万円で済ませている。他のTMも、もっともっと安上が
りにできたはずだ。

会場のエレベーターのボタンを押す係に二万九千円、開催を請け負った広告代理店
の社員に最高十万円の日当。静岡では地元で閣僚用のハイヤーを確保できないから
と、東京から調達し、その費用のつじつまを合わせるため、契約台数を水増しして
いた。

こんな乱費、不正がまかり通っていたことにあらためて驚かされる。

TMの形を取り繕うことに腐心し、平気でやらせを行い、常識外れの費用請求もチェッ
クしない。役人根性きわまれりだ。

報告書が衆院の教育基本法改正特別委の質疑終了間際に公表されたことも腑(ふ)
に落ちない。野党の追及を少しでも逃れたいという政府の下心を疑われても仕方が
ない。

安倍晋三首相をはじめ関係閣僚や副大臣は、けじめをつけるためとして自分たちの
減給を決めた。

その一方で首相は、参院特別委で野党議員から「カネで済ます問題ではない」と批
判されると「失礼だ」と気色ばんだ。いくら「けじめ」や「責任」を口にしても、
謙虚な反省はうかがえない態度だ。

政府はTMのあり方を抜本的に見直して、来春にも再開させたい意向だという。や
らせや無駄遣いは論外だが、そもそも官製の「国民との直接対話」にどれほど成果
が期待できるのか。

これでやらせ問題に幕を引かせるわけにはいかない。国会でも徹底的な追及と検証
が必要だ。

                                             もどる

『岩手日報』論説

教基法改正案成立へ


結局最後には「力業」か

教育基本法改正案が、参院特別委員会で可決され、今国会での成立が確実となった。
現行法に比べ「公共」に重きを置いた新教基法が誕生する。

先の通常国会からの継続審議だが、10月下旬に衆院で審議入りして以降、深刻の
度を増すいじめ問題や高校必修科目の履修逃れ、さらには当の教基法改正問題を含
む政府主催の各種タウンミーティング(TM)で、政府側の意をくむ「やらせ」が
発覚するなど、法案に集中して審議できたとはとても言えまい。

直面する課題への対応も中途半端なまま、ひたすら理念法である教基法の改正を急
いだのは安倍晋三首相の強い意向だ。

安倍政権の最重要課題は「教育再生」。教基法改正は、首相が目指す「再生」の要
であるには違いない。しかし、その意図するところが一般国民に十分伝わったかと
なると、はなはだ心もとない。

安倍首相が官房長官時代に端を発するTMでの「やらせ」では、給与返納という
「けじめ」を言明したが、それで世論誘導の既成事実が消え去るわけではあるまい。
何とも後味のスッキリしない改正劇だ。

「やらせ」は置き去り

後味の悪さは、政府案の大本となった与党の教育基本法改正検討会にさかのぼる。
2003年6月に始まる検討会は、当初から非公開で行われた。

与党側は「自公の隔たりを報道で強調されることを避ける」と説明したが、毎回の
討議資料も回収する徹底した密室協議に対しては、当の与党内からも批判の声があっ
た。

議論の「隔たり」を公にしてこそ、改正への国民的関心が高まるものを、優先した
のは与党内の対立回避。与党案は、ほぼ政府案に反映されが、さらにさかのぼれば
3年前の中央教育審議会の答申が根底にある。

中教審は文科省が事務局を取り仕切る。議員主導というには与党内の議論が淡泊で、
官の意向が働いた形跡も色濃いのは、スッキリしない点の一つだ。

そこに降ってわいたTMでの「やらせ」問題は、世論誘導というより、世論軽視と
いった方がいいだろう。

政府の調査委は、過剰な人員配置などによる税金の無駄遣いも厳しく指摘。首相は
自らの責任を含めたけじめでみそぎをする考えだが、「国民の声」をねつ造したと
いう問題の本質から目をそらし、かつ改正を急ぐ姿勢は絶対多数を背景とした「力
業」の印象がぬぐえない。

中身より時間を優先

現憲法が議論された1946年6月の第90回帝国議会で、憲法に教育の根本方針
を盛り込むべき―と問われた田中耕太郎文部相は、憲法とは別に「教育根本法の制
定を考慮している」旨を答弁。これが翌年の教基法成立に至る発端だ。

現行法は、憲法の理念を骨として、教育にかかわる部分を組み立てたものであり、
その改正は本来、憲法改正に連動して論じられるべき筋のものだろう。

政府案は現憲法、さらには自民党新憲法草案との整合性も意識されているという。
しかし与党協議の過程では、自民側が現行法の前文にある「日本国憲法の精神にのっ
とり」という部分の削除を求めたことに公明が反発し、改正案に残されたという経
緯が伝えられている。

「憲法の精神」の何が削除の理由とされたのか、密室協議の常で詳細は不明だが、
戦後憲法との不可分な関係から見直す機運があった節をうかがわせる。

TMの「やらせ」という、およそ「憲法の精神」に反する事態をそのままに、中身
より時間で審議が区切られた改正案で、教育の未来を明るく照らすことはできるの
だろうか。その姿勢に不安がある。
遠藤泉(2006.12.15)

                                             もどる

『神戸新聞』

教育基本法/改正に懸念を残したまま


国民教育の根本理念をうたった教育基本法の改正案が、参院特別委員会で可決され
た。今国会での成立は確実な見通しとなった。改定されれば、法制定以来、約六十
年ぶりとなる。

教育基本法は「教育の憲法」ともいわれる重要な法律である。現行法は前文と十一
条から成るが、改正案は「生涯学習の理念」「家庭教育」の条項などが新設され、
十八条に膨らんでいる。

最大の特徴は「教育の目標」の条項で「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんで
きた我が国と郷土を愛する態度を養う」と記述し、初めて愛国心に触れたことだ。
愛国心重視にこだわる自民党の姿勢を示したといってよい。

改正の是非を問う論議でも、最大の論点はここだった。「国を愛するのは自然な心
で、法律の枠で縛る必要があるのか」との声が少なくなかった。戦前、教育勅語を
掲げて軍国主義教育に走った苦い歴史がぬぐいきれないからだ。こうした懸念への
配慮を決して怠ってはならない。

もう一つの特色は、前文に「公共の精神を尊び」の文言を掲げたことだろう。昨今
の世相を見ても、公共心にもとる言動が以前より目立ってきたことは否定できない
が、道徳の押しつけにならないよう教育をどう進めていくかが問われる。

改正までには多くの曲折があった。三年前の中央教育審議会の「改正答申」。愛国
心をめぐる与党内論議でたどった平行線。改正法案は今年の通常国会に提出され、
秋の臨時国会へ継続審議となった。

会期中、高校必修科目の未履修や、いじめ自殺の問題が焦点になり、審議に多くの
時間を割いた。しかし、教育論議を尽くしたという実感が伝わって来ないのは肝心
要の議論が不十分だったからだろう。なぜ改正を急ぐのか、直面する課題の解決に
つながるのか、という声も消えていない。

参院特別委が今月初旬、神戸で開いた地方公聴会でも、四人の公述人が審議不足を
厳しく批判した。さらに、「教育への国家介入が濃厚だ」「復古的な人間観を感じ
る」などの声が相次いだ。

こうした懸念、疑問が少なくないことを政府は忘れてはならない。

改正法が成立すると、教育現場にどう具体的に波及するのか。条項で規定されてい
る「教育振興基本計画」の策定を進めることになり、改正法の精神を反映した施策
が示されるはずだ。

今後、その策定過程や、それがもたらす影響を注視していく必要がある。

                                             もどる

『琉球新報』

TM最終報告・目的に反する「やらせ」質問


「やらせ質問」などが明らかになった政府主催のタウンミーティング(TM)につ
いて、政府の調査委員会が最終報告書を発表した。2001年6月に始まったTM
計174回のうち、特定の質問を依頼した「やらせ質問」は15回あった。

「やらせ質問」は主催者に都合のいい質問にほかならない。報告書は「政府の方針
を国民に浸透させるための『世論誘導』の疑念を払拭(ふっしょく)できない」と
指摘しているが、疑念どころか、「世論誘導」そのものではないか。こうした運営
の仕方は問題が多すぎる。政府は深く反省すべきだ。

「やらせ」があった15回のうち司法制度改革をテーマにしたものが6回、教育制
度改革をテーマにしたものが5回と多数を占めた。

特に、教育制度改革をめぐっては、賛否が割れている教育基本法改正問題があり、
改正案に賛成する立場からの「やらせ」もあった。

司法制度改革をテーマに05年10月、那覇市で開かれたTMでも「やらせ」があっ
た。

特定内容までは要請しないものの、一般参加者を装って発言したり、司会者が紹介
したケースを含めると105回の発言依頼があった。国による大量動員も71回あっ
たことが報告された。

TMは、そもそも「国民との対話」が目的だ。政府の方針や政策は、国民の代表で
ある国会の場で議論されるのが原則だが、直接、国民の声を聴き、方針や政策に反
映させることも重要だ。

TMはその重要な機会であるはずなのに、政府の都合のいいように悪用されていた。
しかも、大きな議論になっているテーマで「世論誘導」が横行していたのだから由々
しき問題だ。

特定の参加者を抽選から排除したケースも判明した。不公正なばかりか、極めて悪
質としかいいようがない。

「やらせ」以外にも、適正な会計執行の意識が不十分だったことなども列挙された。

政府には猛省を促したい。と同時に、TMを継続するなら、公正、公平な運営を含
め抜本的な改革が必要だ。

                                             もどる

『河北新報』

教育基本法可決/管理強めず、現場の支援を


これで教育をめぐる諸問題にどんな効果があるのか分からない。逆に、国の管
理が強まって学校現場が委縮したり、子どもたちが形にばかりこだわったりしな
いかどうか心配になる。

政府、与党が今国会の最重要法案と位置づける教育基本法改正案が参院特別
委員会で採決され、可決された。きょうの参院本会議で成立する見通しだ。1947
年制定以来、59年ぶりの初めての改正であり、一大転機となる。

今国会で、未来を担う子どもたちを育てる理念や原則を定める教育基本法の審議
が尽くされたと思っている国民はどれほどいるだろうか。

いじめによる子どもの自殺、高校での必修科目の未履修問題、タウンミーティング
での教育基本法についての「やらせ質問」など、教育現場で次々に起きた重い現
実を前に、改正案は陰に隠れてしまったからだ。

理念法とはいえ、現場の事実に立脚しないと空念仏にもなりかねない。優先課題
は、起きている一つ一つ問題を解決することであり、法案成立を急ぐ必要はないと、
社説で繰り返し述べてきた。

改正案は前文と本則十八条で構成。「個」を重視した現行法に対し、改正案は
「公」に重きを置いているのが特徴だ。

第二条は、五つの教育目標として、「豊かな情操と道徳心を培う」「公共の精神
に基づき、社会発展に寄与する態度を養う」「伝統と文化を尊重し、それをはぐ
くんできた我が国と郷土を愛する態度を養う」―と、公共の精神、愛国心、道徳
心など数多くの徳目を掲げた。

懸念されるのは、目標が定まると、おのずと評価項目が決まり、子どもたちが競
争を強いられるのではないかという点だ。例えば、地域や郷土、その延長として
の国を愛する心は、生活の場や人々との交流を通じて、自然ににじみ出るもの
で、学校が基準を作って、点数をつけるたぐいのものではあるまい。

良く評価してもらうために、子どもたちが対応したとしても、肝心の心の形成はか
け離れていたり、逆の方向を向いていたりする恐れさえある。決して、愛国心を
押しつけ、競わせるようなことをしてはならない。

第一六条(教育行政)には、現行法の「教育は、不当な支配に服することなく」の
文言に続けて、「この法律及び法律の定めるところにより行われる」と付け加え
られた。行政側が、教育内容を決めるなど大きな権限を持つことになるのだろう。

しかし、管理主義が前面に出ると、現場は生き生きとしなくなる。管理より、学校、
教員への支援の姿勢を保ってほしい。

「教育振興基本計画」を策定し、今後5カ年の政策目標を定めるとした第一七条。
財政的な裏付けも得られ、一歩進んだ面もある。地方も計画を作る努力をするこ
とが盛り込まれた。

注意を要するのは、国の基本計画策定で教育の画一化が進むことだ。地域や学
校の創意、工夫を阻害してはならない。地方分権の時代は、教育分野にも当て
はまる。

                                             もどる

『沖縄タイムス』

[教育基本法改正]論議なお足りず禍根残す


参院教育基本法特別委員会は、戦後教育の基本を大転換させる教育基本法改
正案を与党の賛成多数で可決した。十五日にも参院本会議で成立する見通しだ。

だが、そもそもなぜ今改正を急ぐ必要があるのか。これでいじめや自殺、不登校、
未履修問題、学力低下などを解決できるのか。疑念がぬぐえない。

法改正では解決できない。個別の問題について議論を重ね、原因を究明した上で
教育改革の在り方を論議するのが筋だった。

教育は国家百年の計である。政府、与党は審議は十分尽くされたと強調している
が、論議はなお不十分と言わざるを得ない。国民的論議も尽くされておらず、これ
では禍根を残す。

一九四七年制定の教育基本法は憲法とともに戦後教育を支えてきた。制定以来初
の改正には、戦後教育を否定する政治的な意味合いがある。

改正案は、前文で「公共の精神を尊び」と明記し、教育の目標として「我が国と郷土
を愛する態度を養う」ことなどを掲げ、「愛国心」重視の姿勢をにじませている。

「愛国心」評価について、安倍晋三首相は「子どもの内心に立ち入って評価すること
はない」と述べた。だが先取りして評価項目に加えていた学校もあり、額面通りには
受け取れない。

現行法は、教育行政について「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対
し直接に責任を負って行われるべき」とする。一方、改正法案は「教育は、不当な支配
に服することなく、この法律および他の法律の定めるところにより行われるべき」とした。

従来、国家による教育への介入を抑制すべきだとされてきたが、改正法案によれば公
権力による介入に対する歯止めがなくなる恐れがある。

「世論誘導」と指摘された教育改革タウンミーティングでのやらせ質問をめぐる報告書は
参院の集中審議後に公表された。処分だけで済む問題ではないし、国民も納得できな
いはずだ。

安倍首相は「戦後体制からの脱却」を打ち出し、米占領体制下で制定された憲法と教育
基本法の改正、自主制定を最重要課題として掲げてきた。

教育基本法案の慎重審議よりも改正ありきである。安倍政権にとっては憲法改正への布
石にもなるからだ。

だが政治主導の復古主義的な法改正は子どもたちの可能性を封じ、格差社会、教育格差
を固定化しかねない。本末転倒の改正としか言いようがない。

沖縄は本土と異なる歴史を歩んできた。「愛国心」教育が少数派の沖縄の子どもたちに将
来どのような影響を及ぼすのかも、危惧せざるを得ない。

                                             もどる

『西日本新聞』

「禍根を残す」は杞憂だろうか 教育基本法の改正


「戦後」という時代の1つの転換点となるのだろうか。

「教育の憲法」と呼ばれ、戦後教育を理念的に支えてきた教育基本法の改正案が、14日
の参院特別委員会で可決された。参院本会議で採決され、成立する運びだ。

1955年に保守合同で誕生した自民党は、この法律の改正を結党以来の悲願としてきた。
歴代の首相が改正を志し、模索しては挫折してきた経緯を考えると、大願成就といえるだ
ろう。

「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱え、「戦後生まれの初の総理」を自任する安倍晋
三首相の政権下で改正が実現することに、政治的な潮目の変化を読み取ることも、ある
いは可能なのかもしれない。

しかし、戦後のわが国にとって「歴史的な」という形容すら過言ではない法律の改正であ
るはずなのに、国民が沸き立つような期待感や高揚感を一向に共有できないのは、なぜ
だろう。

「今なぜ、基本法を改正する必要があるのか」「改正すれば、わが国の教育はどう変わる
のか」。こうした国民の切実な疑問が、残念ながら最後まで解消されなかったからではな
いか。

政府や与党は、過去の重要法案に要した審議時間に照らして「審議は尽くした」と主張す
る。だが、ことは憲法に準じる教育基本法の改正である。

幅広い国民的な合意の形成こそ、不可欠な前提だったはずだ。私たちは、そのことを何度
も繰り返し主張してきた。国民の間で改正の賛否はなお分かれている。政府・与党が説明
責任を十分に果たしたとも言い難い。

教育は「国家100年の大計」である。その基本法を改めるのに「拙速ではなかったか」とい
う疑義が国民にわだかまるようでは、将来に禍根を残さないか。改正が現実となる今、それ
が何よりも心配でならない。

現行法は終戦間もない1947年3月に施行された。「われらは、さきに、日本国憲法を確定し」
という書き出しの前文で始まり、憲法で定める理想の実現は「根本において教育の力にま
つべきものである」と宣言した。

教育勅語に基づく戦前の軍国主義教育に対する痛切な反省と断固たる決別の意識があっ
たことは明らかだ。

だが、「個人の尊厳」や「個人の価値」を重視するあまり、社会規範として身に付けるべき道
徳の観念や公共心が軽視され、結果的に自己中心的な考えが広まり、ひいては教育や社
会の荒廃を招いたのではないか。そんな改正論者の批判にもさらされてきた。

改正教育基本法は、現行法にない「愛国心」を盛り込み、「公共の精神」に力点を置く。「個」
から「公」へ軸足を移す全面改正ともいわれる。

愛国心が大切だという考えは否定しない。公共の精神も大事にしたい。しかし、それらが教
育基本法に条文として書き込まれると、国による教育の管理や統制が過度に強まることは
ないのか。時の政府に都合がいいように拡大解釈される恐れは本当にないのか。

「それは杞憂(きゆう)だ」というのであれば、政府は、もっと丁寧に分かりやすく国民に語り
かけ、国会も審議を尽くしてもらいたかった。

折しも改正案の国会審議中に、いじめを苦にした子どもの自殺が相次ぎ、高校必修科目の
未履修や政府主催の教育改革タウンミーティングで改正論を誘導する「やらせ質問」も発覚
した。

一体、何のための教育改革であり、教育基本法の改正なのか。論議の手掛かりには事欠か
なかったはずだ。

にもかかわらず、「100年の大計」を見直す国民的な論議は広がらず、深まりもしなかった。

むしろ、教育基本法よりも改めるのに急を要するのは、文部科学省や教育委員会の隠ぺい体
質や事なかれ主義であり、目的のためには手段を選ばないような政府の姑息(こそく)な世論
誘導の欺まんだった‐といえるのではないか。

現行法は国を愛する心や態度には触れていないが、第1条「教育の目的」で「真理と正義」を
愛する国民の育成を掲げている。政府や文科省、教育委員会は、そもそも基本法のこうした
普遍的な理念を理解し、率先して体現する不断の努力をしてきたのか、とさえ疑いたくなる。

教育基本法の改正は、安倍首相が公言する憲法改正の一里塚とも、布石ともいわれる。

「連合国軍総司令部の占領統治下で制定された」「制定から約60年も経過し、時代の変化
に応じて見直す時期にきた」といった論拠でも共通点が少なくない。

しかし、法律の本体よりむしろ、占領下の制定という過程や背景を問題視するのであれば、
最終的に反対論や慎重論を多数決で押し切ろうとする今回の改正もまた、「不幸な生い立
ち」を背負うことにはならないのか。

永い歳月が経過して環境も変わったから‐という論法にしても、「100年の大計」という教育
の根本法に込められた魂に照らせば、「まだ約60年にすぎない」という別の見方もまた、成
り立つのではないか。

教育基本法の改正が性急な憲法改正論議の新たな突破口となることには、強い危惧(きぐ)
の念を抱かざるを得ない。

「教育の憲法」の改正は、本当に脱却すべき戦後とは何か‐という重い問いを私たち国民に
突きつけてもいる。

                                             もどる

『しんぶん赤旗』

教育基本法改悪案 強行採決に大義はない


「子どもたちの未来にかかわることだから、慎重に審議をつくしてほしい」。
この国民の圧倒的多数の声を無視して、自民党、公明党が、教育基本法
改悪案の採決を、参院特別委員会で強行しました。

衆院での与党単独採決に続く暴挙であり、参院本会議への上程は許され
ません。

唯一の理由も根拠なし

教育基本法改悪案が国会に提出されて七カ月半がたちましたが、政府・与
党はいまだに、なぜ教育基本法を改定するのか、まともな説明を行っていま
せん。

政府が、「国民の理解を得ている」といって、唯一持ち出した「教育改革」タウ
ンミーティングは、「やらせ」「さくら」の世論偽装でした。改悪にひとかけらの根
拠もないことを示しました。

教育基本法改悪案をめぐる国民の疑問は、国家権力や教育行政が、教育への
介入を強めるのではないかということです。これについても、政府はまともな説明
をすることはできませんでした。

いくら、「国家管理を強めるものではない」といっても、タウンミーティング問題で明
らかになっているように、教育基本法改悪をめぐって、政府による世論誘導を行っ
ているのです。これが国家管理を強めるものでなくて、何なのか。当時官房長官と
して、タウンミーティングを統括する立場にあった安倍首相の責任が重大であること
はいうまでもありません。首相が、責任をとるというなら、改定の大義もなく、まともな
答弁もできないような、教育基本法改悪案は廃案にすべきです。採決を強行するな
ど、到底容認できません。

教育基本法改悪案は、憲法に反する二つの問題点があります。子どもの内心の自
由を踏みにじって「愛国心」を強制すること、国家権力による教育内容への無制限
の介入に道を開き、教育の自由と自主性を侵害することです。

最大の焦点となったのは、教育基本法の命ともいうべき第一〇条の改悪です。「教
育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われる
べきものである」というこの条文は、戦前の戦争教育の反省のうえにたってつくられ
たものです。この条文は、国家権力の不当な介入から教育の自由と自主性をまもる
国民のたたかいのよりどころとなってきました。

「教育内容にたいする国家的介入はできるだけ抑制的でなければならない」―。この
大原則が、日本国憲法の要請から生まれたものだということは、一九七六年の最高裁
判決でも明確に述べていることです。それなら、「国家的介入を抑制」するよりどころに
なっている第一〇条を削除することは、憲法に反するのは明確です。この批判に、政府
はいまにいたるまで何の説明もできないままです。

廃案求める世論さらに

教育基本法改悪は、いま国民が心を痛めているいじめなど、教育が直面する問題を解
決するものではありません。それどころか、政府が、教育基本法改悪で真っ先にやろう
としていることは、全国一斉学力テストや学校選択制など、競争教育に歯止めをなくして
しまうことです。これでは、過度の競争教育によるストレスで、いじめ問題をさらに深刻に
してしまいます。

教育基本法改悪案に反対する世論が大きく広がっています。追い詰められているのは政
府・与党です。憲法に反する教育基本法改悪案は廃案しかありません。