『朝日新聞』2006年12月6日付

私の視点

公立小学校教員(愛知県) 岡崎 勝

◆教育基本法 現場は画一化を望まない


今、子どもたちは、「自分がどう見られているか」という評価をいつも気にしてい
る。同時に、孤立することを極度に恐れ、どのように自分が他者と関係を結んだらい
いのかと、大きな不安を抱えている。

だから私は、子どもを多面的に評価することに何よりも力を注いできた。学校は、
たとえ勉強やスポーツが苦手でも毎日、仲間と一緒の時間、同じ空間で過ごせる場で
ある。評価のものさしをたくさん持つことで子どもは、自分の良さをみんなに認めて
もらえる機会を手にし、仲間と色々なかかわりを作っていく。

また親も、学校は仲間がいて集団のルールも学べる意義ある生活の場だと思うから
こそ、たとえ自分の子が学力的に「できの悪い子」であっても、安心して預け、仕事
もできた。

しかし学校は今、学力評価のものさし1本で子どもを序列化し、格差=差別社会を
作る方向に向かっている。点数化できるものだけを極端に重視する、競争主義的な教
育改革の影響である。テストの順位で学校を並べることは品のないことであり、子ど
もをバカにしていることだという矜持が、失われている。

政府が進める教育基本法の改正は、こうした傾向に拍車をかけるだろう。

現行の基本法第1条「教育の目的」にある「個人の価値をたつとび」が、改正案で
は削除されている。それに置き換えられているのは?家や社会の「形成者として必
要な資質」であり、多様な個性ではない。改正案は全体として、子どもの個性を画一
化しようとするものに見える。

学力という単一のものさしによる競争に今以上に子どもを駆り立てることは、冒頭
に述べた子どもの不安を解決しないどころか、深刻化させるだろう。

また改正案第4条では、子どもの「能力に応ずる」のではなく、決められたものさ
しによる「能力に応じた」教育を推し進めるとしている。教育の結果を子どもたちの
自己責任とみなすことになるだろう。

単一のものさしで序列化し、「負け組」になった子どもたちは、選別されたエリー
トの下、国家に服従し、寄りかかり、自律性を放棄した「分相応主義」で暮らせばよ
い、という思惑が透けて見える。

しかし、そもそも義務教育学校は、子どもの成長を彼らの「自己責任」に帰するこ
とをしないという教育関係者のプライドで維持されてきた。改正は教員の誇りを見失
わせ、異なる者同士が積極的な議論を通じて社会を作る「民主主義」の働きを弱らせ
るだろう。

現場で私が必要としているのは、個性を感じ取るための「子どもと語らう時間」
「ゆっくり給食を食べる時間」である。教育基本法を改正することには、全く必要を
感じない。

改正はむしろ、義務教育への国民の期待を裏切り、教育の問題を今まで以上に深刻
化させるだろう。

◇52年生まれ。76年から小学校に勤務。著書に「学校再発見!」など。