『デーリー東北』2006年11月18日付

教育基本法改正 国家のための教育は危険


日本の学校教育の在り方を定める教育基本法の改正案が衆院を通過し、参院に
送付された。与党が単独で衆院特別委員会で採決・可決したことに抗議し、野党
が本会議を欠席するという不正常な状態で衆院を通過したことは残念だ。

安倍晋三首相は「野党が出席しなかったのは大変残念だが、百時間を超える議
論をし、衆院段階では十分に議論が深まった」と述べた。だが教育現場で噴き出
しているいじめによる自殺、受験競争激化による必修科目の未履修問題などが教
育基本法改正で改善されるのかどうかは審議不十分なままだ。

政府は改正についてはタウンミーティングなどを通じて国民の理解を深めたと答弁
していた。しかし改正案に賛成の立場から「やらせ質問」をさせていたことが発覚、
国民の多くが賛成しているかどうか疑わしい。そんな折に与党が単独採決に踏み
切ったのは、教育現場や親の要求を無視し、政治的意図を最優先したもので、将
来に禍根を残すと言わざるを得ない。

戦後間もない一九四七年、「お国のために死ぬ」ことを強要し、国民を戦争に駆り
立てるもとになった教育勅語を根底から否定した教育基本法が、一人一人の人間
の尊厳、人格の完成を教育目的に掲げて制定された。その二年後に発行された高
校一年生用の教科書「民主主義」(文部省検定済み)に、日本が戦前に犯した学校
教育の過ちについて、こう書いてある。

「その時々の政策が教育を支配することは大きな間違いのもとである。政府は教育
の発達をできるだけ援助すべきではあるが、教育の方針を政策によって動かすよう
なことをしてはならない」「ことに政府が教育機関を通じて国民の道徳思想までを一
つの型にはめようとするのは、最もよくないことである」

それから六十年近くたった現在、その教育基本法が政府主導で改正されようとして
いる。安倍首相は所信表明演説で「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国
家、社会をつくることです」と述べている。文字通り受け止めるなら、一人一人の人格
育成よりも品格ある国家、社会をつくることが教育だと説いているのである。

この発想は現行の教育基本法一〇条(教育行政)にある「国民全体に対し直接に責
任を負って行われる」という部分を削除したことでも示されている。教育行政が国家の
下請け機関になって個人の内面に踏み込んだり、誤った道徳観や国家観を強制させ
ない歯止めとしての枠組みを取り払うことで、国家のための教育が可能になっていく。
これは極めて危険である。

現行法にはなかった「教育の目標」が第二条に新設され、「我が国と郷土を愛する態
度」「豊かな情操と道徳心」「公共の精神」が盛り込まれた。学校教育では目標には必
ず評価が伴う。首相は「国が危機にひんしたときに、命をささげる人がいなければ、この
国は成り立たない」と述べている。過ちは二度と繰り返してはならぬ。