『愛媛新聞』社説 2006年11月19日付

教育基本法改正 「百年の大計」が泣く拙速審議


教育基本法改正案が、野党欠席のまま衆院特別委員会と本会議で可決された。
参院でも野党席がからっぽの本会議場で趣旨説明と質疑が行われた。

昨年の衆院選を郵政民営化で一点突破した与党が、教育論議の本質部分は置
き去りに、数に任せて強引に審議を進めることは大きな汚点となる。

野党も、対案を出した民主党と改正反対の共産、社民党とでは潜在的に立場が
ちがう。もし与党が修正に応じたら民主党はどうするのか。参院選をにらんだ共
闘なら与党と大差ない。

中立性は教育の大原則だ。しかも基本法とあれば、政治的事情で左右すること
は最も許されない。憲法と対をなす重要な法律をまさに政争の具におとしめた状
況で改正へ突き進むことには、深刻な憂慮をおぼえる。改正案の正当性にも後々
まで疑念がつきまとうだろう。

与党側が衆院で採決を強行した理由といえば、審議時間が百時間を超えたこと
くらいだ。

しかし教育は「国家百年の大計」といわれる。改正に固執する安倍晋三首相自
身、「五十年先、百年先の国づくりにかかわる法案」と言っている。

そうした時間の重みと比べ、百時間での線引きは永田町でしか通用しない論理
だろう。

いま、なぜ改正なのか。出発点からしてなお答えが示されていないことこそ問題
だ。

審議も多くはいじめ自殺や必修科目未履修、タウンミーティング(TM)でのやらせ
質問に費やされた。改正案の本質部分への懸念は解消されていない。

「国と郷土を愛する態度」「公共の精神」「伝統と文化の尊重」という文言には、国
家が価値観を規定することで内心に立ち入るおそれがつきまとう。

「教育の目的」の条項から個人の尊重や自主的精神が削られるなど、国民のた
めの教育から国家の求める人材を育成するための教育への転換をうかがわせ
る。文部科学省の介入や、君が代斉唱などの通達に法的根拠が与えられる点
も見過ごせない。

一方でこのところの問題も教育基本法と無縁ではない。いじめや未履修の根底
には、学力が絶対的尺度として幅をきかせている現実がある。多様性の認めら
れにくい子どもはストレスを抱えるだろうし、未履修は受験が無上の目標となっ
ているあからさまな実態を見せつけた。

改正案でも個々の問題は解決されないばかりか、競争原理の導入をめざす首
相の教育観のもとでは格差を広げ、ゆがみを大きくする可能性がある。

先の通常国会で教育基本法改正案を提出した際、当時の小坂憲次文科相は
TMでの意見も踏まえたと説明したが、前提は崩れた。改正に賛成するやらせ
質問は二〇〇四年に愛媛会場であったTMでも確認されている。これでは国民
的論議が成熟したとはとてもいえない。

政府はもつれた糸を解きほぐし、本質的な教育論議を深める努力をするべきだ。
成立を急ぐ必然性はどこにもない。いくらでも時間をかけて審議を尽くすよう重
ねて注文しておく。