『秋田魁新報』社説 2006年11月17日付

教育基本法の改正 本当にこれでいいのか


本当にこれでいいのだろうか。改めるにしろ国民的な議論が熟すのを待ってか
らでも遅くはないのではないか。

「教育の憲法」である教育基本法の改正案が衆院で可決、参院に送られ、今国
会で成立する公算が大きくなった。

政府・与党は衆院での審議は十分尽くしたとの認識だ。確かに審議時間は、衆
院解散に至った郵政民営化関連法案に匹敵する100時間超に達した。

問題は審議の長さではなく、中身である。しかも審議の後半は、高校の必修科
目未履修問題や、やらせ質問などに費やされ、改正案そのものの本質論議は
脇に追いやられた。

教育基本法の改正は戦後教育の大転換を意味する。人づくりの根幹が大きく
変わるのである。影響は計り知れない。

改正の必要性や改正による新たな教育像の論議が深まらないまま、政府・与
党は採決に踏み切った。そう受け取られても仕方がないであろう。

教育が混迷の度を深め、多くの国民が危機感を募らせている状況を好機ととら
え、一気に攻勢に出たとの見方もあながち的外れではない。

基本法改正の焦点は愛国心だけにあるのではない。突き詰めれば、教育の目
的が国家のための国民育成という方向に傾く危うさを秘めている。この点にこそ
本質が見いだせる。

すぐにそうなるというわけではない。安倍晋三首相をはじめ、現在の政府・与党
がそれを意図しているということをいいたいのでもない。

政治状況は今後、どんどん移り変わる。国際情勢も日々刻々と変容してゆくだろ
う。長い目でみれば、選挙を経るとはいえ、どんな性格の政権が誕生するか誰に
も分からないのだ。

もし、将来の政権が国民一人一人より国家に重きを置く教育を施そうとした場合、
国民側は歯止めをかける法的根拠を失うことになる。少なくとも今回の基本法改正
は、それに道を開きかねないのである。

この方向性は国民が望むところだろうか。そうは思えない。戦前回帰は到底あり得
ないにしても、法改正の行方に警戒を怠ってはならない。

教育基本法の改正によって、大多数の国民が願ってやまない教育の再生は達成で
きるだろうか。はなはだ心もとないといわざるを得ない。

現在の教育混迷は基本法のよしあしというよりは、戦後の政治・社会・経済状況のあ
りように分け入って原因を探る方が妥当だからである。

土台、例えば「ゆとり教育」による混乱は誰が引き起こしたのか。要因はさまざまある
にしろ、第一義的には導入した文部科学省、つまりは政府に責任があるとみて構わ
ないのだ。

衆院を通過したとはいえ、「良識の府」とされる参院での審議はこれからだ。

野党の審議拒否、与党による単独採決などという愚は是が非でも避けてほしい。そ
れこそ教育を政争の具とすることにほかならないからである。

混迷を打開し、次代を担う子供たちをどうはぐくむのか。教育論議は常にこの一点に
基づかなければならない。