『東奥日報』社説 2006年11月17日付

必要のない人間はいない/いじめ自殺なくせ


新聞を開くと気が重くなる。連日「いじめ自殺」の見出しが躍っているからだ
。児童生徒のいじめ自殺、自殺を予告する手紙や張り紙、小学校長の自殺。
胸が締め付けられる。

いじめ自殺はことし多発、十四日の新潟県神林村の中二男子を含めると七
件。自殺の連鎖だ。だが、この鎖を断ち切らなければならない。

子どもの周りにいる大人たちはもっと心のアンテナを鋭敏にし、子どもの内
なる叫びに耳を澄まそう。いじめや自殺のサインを見逃すまい。

県には複数の相談機関がある。県教委は義務教育課内に「いじめ問題対
策チーム」を設置した。いじめの早期発見と防止に力を入れる。十四日から
「いじめ相談電話」(017-734-9188)を始めた。抑止効果を期待したい。

いじめは昔からあった。だが昨今、陰湿化、凶悪化している。インターネット
に悪口を書き込む「ネットいじめ」も多い。

いじめはその人を不信感、絶望感、深い孤独に追い込む。いじめる側の子
どもたちのほか、はやし立て傍観を決め込む同級生、問題を取り繕う教員、
学校、教委、子どもの異変に全く気付かぬ親も同罪だろう。 

「自分は誰からも愛されていない」「自分はこの世に要らない」。こんな絶
望感が死のふちに駆り立てるのではないか。

「消去」「削除」できるのはインターネット、ゲーム、携帯電話の世界だ。生
身の人間は違う。この世に要らない人間など一人もいない。

いじめ自殺、履修漏れ、やらせ事件…。教育現場でウミが噴き出している。
なのに政府は教育基本法改正に強引だ。

改正案は野党欠席の中、賛成多数で衆院を通過。なんとしても今国会で
成立させるようだ。なぜ急ぐのか。改正案は日本の教育の「百年の大計」
である。危急の問題の解決が先だ。改正案はもっと論議を成熟させ国民
の理解を得るべきでないか。

改正案ではますます教育現場への介入、管理が強まる。「愛国心」を養う
という教育方針が子どもに排他的な考えを押し付け、いじめの助長につな
がらないか心配だ。

文科省の「いじめ自殺」の定義はおかしい。「自分より弱い者に対して一方
的に身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じてい
るもの」とする。

一九九九年度から七年間、学校現場から文科省へ「いじめ自殺」の件数が
ゼロ。こんなことはあり得ない。

学校ではいじめで自殺しても教委に提出する調査票には十五の項目のうち
「その他」と記載するケースがほとんどだ。

子どもがいじめと感じて苦痛を訴えれば、それがいじめだろう。「いじめ」の定
義を改めるべきだ。

両親、とりわけ母親の役割が大きい。親が子どもを虐待死させるなどとんでも
ない。いじめに回る子どもたちは親、きょうだい、家族、家庭の愛に飢えている。

「絶対あきらめない」。人間生きていてこそ花なのだ。真っ暗なトンネルの向こ
うに必ず光が差すことを信じてほしい。