『河北新報』社説 2006年11月16日付

教育基本法単独採決/国民感覚とずれていないか


自民、公明両党は15日の衆院教育基本法特別委員会で、今国会の最重要法案
と位置づける教育基本法改正案を、野党欠席のまま、単独で採決、可決した。16
日には衆院本会議で可決、参院に送付する見通しだ。

審議が100時間を超え、議論を尽くした、というのが与党の主張。今国会は12月
15日までであり、参院の審議日程を考慮すると法案成立を図るには、このタイミン
グが限界との計算も働いたのだろう。

いじめによる自殺の防止や、高校必修科目の未履修問題に象徴される教育の実
態と学習指導要領の乖離(かいり)などに、国民は目を向けており、こうした学校現
場で現実に起きている問題の解決が先ではないかと、わたしたちは訴えてきた。

加えて、「教育改革タウンミーティング」で、文科省が教育基本法改正賛成への「や
らせ質問」を作成し、地元県教委を通して、発言依頼した事実も明らかになった。文
科省への不信感は高まっている。

なぜ法改正を急ぐのか。政府や与党は、「公共の精神」などを新しく盛り込んだ教育
基本法は教育の大枠を決める理念法であり、議論が出尽くした改正案を採決するの
は、国会の生産性を上げるという意味でも当然だったとする。「約60年ぶりの改正で
極めて大事だ」(塩川恭久官房長官)と1947年の制定以来の全面改定の意義を強
調する向きもある。

個々の問題は、教育基本法とは別に、教育再生会議などで議論し対処する方針だと
いう。

だが、先に大枠、理念だけを決めてしまうのは、順序が逆ではないかと思う。一つ一
つの事実の直視と対応の積み重ねがあってこそ、理念は構築されるものであり、そ
うした蓄積がなければ、基本法は、むなしい抽象論になりかねない。

改正案が提出された今年4月と状況は大きく変わっており、教育を正常に機能させ
るため、例えば文科省、教育委員会、学校の役割や権限の見直しの必要性が訴え
られていた。いったん決めた法改正の内容を固守するだけでは、機動性に欠ける。

まして、いじめにあってひそかに悩んでいたり、漠とした将来への不安を抱えて、もが
いている子どもたちが数多くいる中、具体的な救済策も示さないで、ただ法改正する
とか、道徳教育の枠組みを急いでつくることを、どれほどの国民が求めているか疑問
だ。国会があまりに現場から遊離した世界になっていないだろうか。

国会に求められているのは、徹底した議論であり、学校をめぐる状況の把握だ。教育
に対する国民の関心が盛り上がっている今、国会がリードして国民全体で教育につ
いて考える絶好のチャンスだったはずだ。

野党が「タウンミーティング」問題の審議を求めて委員会を欠席したのは、やむを得な
い面があったかもしれない。ただ、国会が審議の場であることに間違いない。参院を
含めて、与党との対決、折衝の中で、国民が納得いく行動、議論を展開できるかどう
か力量が問われる。