『南日本新聞』社説 2006年11月16日付

[教育基本法] 国民的合意なしの単独採決は残念だ


今国会最大の焦点である教育基本法改正案が、衆院教育基本法特別委員会で自
民、公明の与党単独で採決され、可決した。与党は、16日の衆院通過を目指してい
る。

教育基本法は「教育の憲法」といわれ、憲法に準ずる教育の根本法である。国民の
賛否も分かれ、改正論議が十分に尽くされたとは言い難い。数を頼りの強行突破は
きわめて遺憾である。

与党が単独採決に踏み切ったのは、通常国会からの審議時間が目標としていた約
80時間を上回り、野党側の慎重審議要求に応えたと判断したからだ。会期末を来月
15日に控え、今週中の衆院通過は譲れないとの判断もあったろう。

2000年の教育改革国民会議報告は「新しい時代にふさわしい教育基本法について
は、国民的議論と合意形成が必要」と指摘した。だが、日本PTA協議会の調査では、
保護者の9割近くが「内容をよく知らない」と答えている。国民的合意が形成されたとは
言えまい。

青森県内などのタウンミーティングで、内閣府の指示を受けた県教委が政府案に賛成
の質問を依頼していた「やらせ」も明らかになった。政治的策謀で基本法改正を図ると
すれば言語道断だ。

国会での質疑でも、なぜ基本法見直しなのか説得力のある説明はない。政府案が教
育目標に掲げた「公共の精神」「国を愛する態度」などの理念が、一体何を示すのか突っ
込んだ議論もない。

政府案で、学校教育は「教育目標が達成されるよう、体系的教育が組織的に行われな
ければならない」とされた。学校は達成度を問われることになる。

だが、教師が子どもを決められた枠にはめ、達成度を問われることになれば、学校現場
の創意工夫の余地はないに等しい状況に陥るのではないか。

現行基本法が「教育は国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」と、一般行政
からの独立をうたったのに、政府案でこの規定がなくなったのも問題だ。国民統合の象
徴である教育が政治的対立の象徴になるような事態は困る。

教育現場では今、いじめや、高校の必修科目未履修など問題が山積している。毎日の
ように生徒や校長らの自殺が報道される状況は異常である。

そんな状況下で国会がなすべきことは、基本法改正案を力ずくで通す姿勢ではあるま
い。教育の危機をどう打開し、国民の信頼を取り戻すかの模索である。危機的状況の
教育を置き去りにした改正案の“強行採決”は残念である。