『岩手日報』 2006年11月15日付

教育基本法の改正 仕切り直しが筋だろう


日本の教育の現状が、今のままでいいと思っている国民は、恐らく
ほとんどいないだろう。

いじめ自殺の続発、必修科目の履修逃れ、さらに政府主催の教育
改革タウンミーティングで発覚した「やらせ質問」などに加え、またも
秋田で発生した子殺しを究極とする児童虐待の深刻化は、家庭教育
にも重大な欠陥が存在することを示す。

教育にかかわる問題に、即効的な対応が強く求められている状況
で、なぜ教育基本法はバタバタと全面改正されなければならないの
だろうか。

今国会の会期末は12月15日。安倍首相初の予算編成作業に支障
をきたさぬよう、成立を急ぎたい与党側と、与野党激突の構図で19
日投開票の沖縄知事選への影響をにらみ、反発を強める野党側の
思惑が絡む。

こうも騒然とした社会情勢、政治情勢の中、通常国会からの継続と
はいえ、先月25日に衆院特別委で審議が再開されてから、法案の
中身の議論が尽くされたとは言い難い。

まさか、改正そのものが目的とは言うまい。教育は政治の具ではな
い。仕切り直しを望む。

何をそんなに焦るか

教育基本法は「教育の憲法」だ。その理念の下に、学校教育法や社
会教育法といった個別法が整備される。

逆に言えば、教育基本法が実際の教育施策に直接的に影響してい
るわけではない。先の通常国会から議論が続く「愛国心」の扱いにし
ても、それに類した教育は、学習指導要領により既に学校現場で実
践されている。

乱暴な言い方をすれば、教育基本法を変えなくても「教育」を変える
ことはできる。指導要領に基づく「愛国心」教育をはじめ、習熟度別指
導や学校選択制など、小泉前政権の方針を踏襲する「改革」は、大都
市圏を中心に粛々と進んでいる。

個人の思想信条にかかわる問題を「教育」することの是非、経済格差
と直結する教育格差の顕在化など、「改革」は既に種々の課題を提示
してもいる。

これらの課題を置き去りにして、先行する「改革」を追認すべく理念法
たる基本法の改正を急ぐことに、果たしてどれほどの国民が納得でき
るだろうか。

ましてや、八戸市などで明らかになったタウンミーティングでの「やらせ
質問」は、国民的議論のでっち上げ。何をそんなに焦るのか。その理由
が、どうにも理解できない。

「よく知らない」88%

教育基本法改正案は、個人の価値を尊重する現行法に比べて「公共心」
を強く打ち出しているのが特色だ。「愛国心」も、その延長線上にある。

そこに議論が集中するのは、グローバルの時代に内向きに輪を掛けるよ
うなものだが、もとより論点はそれだけではない。

例えば現行法の第一〇条(教育行政)に対応する改正案第一六条(同)。
現行法は「教育は…国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき
もの」と一般行政からの独立を規定する。

この部分が、改正案では削られ、新たに「教育は…この法律および他の
法律の定めるところにより行われるべきもの」との文言が加えられた。

新設の第一七条では、政府に教育振興基本計画の策定を義務付けてお
り、政治が表立って教育内容に介入する根拠になるだろう。折々の政治
に教育が振り回されるようではたまらない。

日本PTA協議会の調査によると、保護者の88%が改正案の内容を「よ
く知らない」と答えているという。「やらせ」とも相まって、国民的議論とな
り得ていない改正案では、審議の前提から崩れることになる。

大与党は、郵政選挙の「置き土産」だ。その威を借りてごり押しするので
は筋が通るまい。

遠藤泉