『毎日新聞』鳥取版2006年11月10日付

愛国心:支局・記者の目/17 「国民が自信持って愛せる国に」


◆田辺佑介

◇誇りに思う気持ち、悪くない

自分が生まれた国を愛することや国旗・国歌を大切にする気持ちは、誰かに強
制するのでなければ、悪いことではないと思う。

私は生まれ育った東京・上野、浅草界隈の商店街の活気や人々の気さくさが好
きだし、約15年間暮らした千葉の実家に帰省すると心が安らぐ。平和な日本に
生まれてよかったとも思っている。「日の丸」のデザインは、シンプルかつインパ
クトがあるうえ、文字通り日本を表現していると思うし、「君が代」も慣例的に国
家として歌われるようになった明治の天皇主権時代そのままの歌詞には無理
があるが、他国にない雰囲気のメロディーで面白い。

だが、「愛国心」を学校で子どもたちに教え込み、日の丸・君が代を国旗・国歌
として押し付けることには反対だ。今の社会では、生活に大きな影響はないし、
国民の一体感を高める効果が期待できるのかもしれない。しかし、戦争の機
運が高まるような時代が来たら、戦前のように、相手国との対立をあおるた
めに利用される危険がある。政治次第だが、将来の政治家たちが何を考え
るかは分からない。

2001年9月11日の同時多発テロから2カ月後、米国を訪れる機会があっ
た。ニューヨークの道路を走る車は星条旗を掲げ、ビルの電光掲示板には
「GOD BLESS AMERICA(アメリカに神のご加護を)」の文字。テロリ
ストへの“復しゅう”に燃え、異論を許さない雰囲気が充満していた。ワシ
ントンでは、朝鮮戦争やベトナム戦争で死んだアメリカ人兵士の名が碑に
刻まれていたが、戦争自体の悲惨さや朝鮮半島やベトナムの犠牲に思い
は至らない。愛国心が“敵”の存在を際立たせ、戦争が愛国心をさらに刺
激する。

ナチスの鍵十字を見るたびに、ユダヤ人の大量虐殺を連想する。同様に、
日の丸・君が代から戦争中の日本軍の残虐な行為や占領下での屈辱を
思い浮かべる人も多いだろう。当時の一政党の象徴である鍵十字と、戦
争以外の歴史も抱える「日本」を表す日の丸とでは意味は違うが、そう感
じる人たちの気持ちも無視できない。

日ごろの取材では、地域に伝わる麒麟(きりん)獅子舞に熱中する人、先
祖代々の土地にこだわって棚田での稲作を続ける人など、自分が生まれ、
住む土地を誇りに思う人たちに出会う。彼らの行為は、故郷や先祖を大切
に思っているからで、法で規定され、国に言われたからではない。

ニュージーランド出身で、自らを「地球人」という鳥取市在住のニール・スミス
さんは、日本が自信を取り戻すために、愛国心を教育や制度に取り込もうと
していると指摘する。そして、愛国心ではなく、「何でもいいから自分が自慢
できるものを持てばいい」と話した。自信が持てれば大切にも思えるわけで、
その考えには賛同できる。

国は、国民に国を愛することを求めるのではなく、むしろ、どうすれば国民が
自信を持って愛せる国にできるかを考えればいい。