『朝日新聞』2006年11月6日付夕刊

わたしの教育再生 1
ノンフィクション作家・評論家 立花 隆さん

普遍的価値持つ基本法改正論の裏に国家主義

いま教育が、初等中等教育から大学まで、あまりに多くの問題を抱えているのは事
実だ。

それらの問題はひとつひとつ丹念に慎重に解決していかなければならないが、それ
らすべてを差し置いて、教育基本法問題について述べてみたい。

そもそも今なぜ教育再生がこのような形で政治問題化しつつあるのか。衆院に上程
されている「教育基本法改正」が「やっぱり必要だ」という空気を作りたいからとし
かいいようがない。

しかし、今の教育が抱えている諸問題はすべて教育基本法とは別の次元の問題だ。
教育基本法を改めなければ解決しない問題でもなければ、教育基本法を改めれば解決
する問題でもない。

教育基本法に書かれていることは、「教育の目的」(第1条)、「教育の方針」
(第2条)をはじめ、すべて極めて当たり前のことだ。急いで改正しなければならな
い理由はどこにもない。特に教育目的に書かれていることは、人類社会が長きにわたっ
て普遍的価値として認めてきたことだ。

そこにあるのは、「人格の完成」「平和国家」「真理と正義」「個人の価値」「勤
労と責任の重視」「自主的精神」「心身の健康」など、誰も文句のつけようがない目
的だ。

このような普遍的価値にかかわる問題を、なぜバタバタとろくな審議もなしに急い
で決めようとするのか、不可解としか言いようがない。

政府改正案を見ても、なぜそれほど拙速にことを運ぼうとするのか、理由が見当た
らない。

考えられる理由はただひとつ、前文の書き換えだろう。

教育基本法の前文は、「基本法と憲法の一体性」を明示している。まず新しい民主
的で文化的な平和憲法ができたことを宣言し、「この理想の実現は、根本において教
育の力にまつ」として、新憲法に盛り込まれた新しい社会を実現していくことがこれ
からの教育の目的だとしている。

憲法改正を真っ正面の政治目標に掲げる安倍内閣としては、憲法と一体をなしてそ
れを支えている教育基本法の存在が邪魔で仕方ないのだろう。憲法改正を実現するた
めに、「将を射んとすればまず馬を射よ」の教えどおり、まず憲法の馬(教育基本法)
を射ようとしているのだろう。

教育基本法はなぜできたのか。制定時の文部大臣で後の最高裁長官の田中耕太郎氏
は「教育基本法の理論」でこう述べている。先の戦争において、日本が「極端な国家
主義と民族主義」に走り、ファシズム、ナチズムと手を組む全体主義国家になってし
まったのは、教育が国家の手段と化してしいたからだ。

教育がそのような役割を果たしたのは、教育を国家の完全な奉仕者たらしめる「教
育勅語」が日本の教育を支配していたからだ。

教育基本法は、教育を時の政府の国家目的の奴隷から解放した。国家以前から存在
し、国家の上位概念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えた。

それは何かといえば、ヒューマニズムである。個人の尊厳であり、基本的人権であ
り、自由である。現行教育基本法の中心概念である「人格主義」である。

教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきなのだ。国家主義者安倍
首相は、再び教育を国家への奉仕者に変えようとしている。
                        (聞き手・中井大助)
 
                     ◇

安倍政権が最重要課題として掲げる「教育再生」。日本の教育には何が必要で、ど
う改革すべきなおか。各界の人たちに語ってもらった。

たちばな・たかし 1940年生まれ。05年から東京大学大学院で特任教授も務め
る。社会・時事問題から最先端科学まで手広く手がけ、「田中角栄研究」「宇宙から
の帰還」「東大生はバカになったか」など多数の著書がある。