『信濃毎日新聞』社説 2006年10月29日付 教育基本法 やはり改正すべきでない 教育基本法の改正法案の国会審議が30日から本格化する。戦後教育の根幹 をなす重要な法律である。なぜ今変えるのかという基本的な疑問に、いまだ納得 できる説明はない。教育をめぐる問題は、基本法の改正で解決するものではない。 改正は慎むべきだ。 憲法は知っていても、教育基本法を読んだことがある人は多くないだろう。194 7年公布の、前文と11の条文による短い法律だ。 「変える必要があるのか、まず読んでみてほしい」と、昨年春に「11の約束 え ほん 教育基本法」(ほるぷ出版)が生まれた。東京都在住の2人の女性が、多 数の文献を参考にして、条文を分かりやすい言葉に読み解いている。 教育の目的を示す第一条はこうなった。 教育は、めざします。一人ひとりのうちにめばえたものが大きく育ち、それぞれに 花ひらくことを。 教育は、めざします。真理と正義を愛し、一人ひとりのかけがえのなさをたいせつ にする人が育つことを。(中略) 教育は、めざします。そうした人びとが、平和な国と社会のつくり手となることを。 原文は、教育の目的を「人格の完成」とし、個人の価値の尊重や自主的精神にみ ちた国民の育成をうたっている。個を大切にする教育を目指す、基本法の背骨とな る精神だ。 <問題は山積としても> 著者の一人、伊藤美好さんは条文を読み解きながら、新しい憲法の理念を実現す るために教育基本法が作られたことを痛感した。子どもを国のために命を捧げる存在 に育てようとした、戦前の軍国主義教育への反省が根底にある。それをないがしろ にするような改正の動きは、個人の尊厳や内心の自由に踏み込むものだ、と危機 感を抱いている。 なぜ、教育基本法を変える必要があるのか−。政府は、国際化、少子高齢化といっ た環境の変化や、さまざまな教育の課題への対応が必要だと説明する。 いじめ、学力やモラルの低下、指導力のない教師など、問題がたくさんあるのは事実 だ。だからといって、基本法を変える必要があるというのは、乱暴な理屈ではないか。 逆に、現場の混乱が心配される。 改正案では、現行法の個人の価値の尊重や自主的精神といった表現が消え、「道徳 心」や「公共の精神」を加えている。個人を重んじる考えは大きく後退する。 中でも問題が大きいのは教育の目標に「愛国心」を盛り込んでいることだ。国を愛す る気持ちは自然とわくものなのに、法律で定めることで、教育が子どもたちの心に踏み 込むことになる。大人に対して「あるべき姿」を強要する結果にもなる。 <息苦しくならないか> 先の国会の論議では、愛国心の評価は求めない、「態度」を強要するものではない、 といった答弁はあった。しかし、いったん法律に示されると、現場にあつれきや混乱が 生じやすい。国旗・国歌法の成立で、学校での日の丸掲揚や君が代斉唱の指導が強 まったことからも明らかだ。 国の管理が強まる心配も大きい。現行法第十条は、戦前の政治や官僚に支配され た教育行政への反省から、「教育は不当な支配に服することなく」と、教育の独立性を うたった。行政には、教育を行うための環境整備を求めている。 改正案の第十六条は「不当な支配」の表現は残したが、教育は「この法律及び他の 法律の定めるところにより行われるべきもの」と加えている。さまざまな規定を法制化 すれば、国による管理が容易になる。現行法の性格を変え、教育の独立性を揺るが す心配がある。 民主党案もほめられない。「日本を愛する心」や「宗教的感性」の涵養(かんよう)を うたい、政府案よりも保守的な色合いが濃い。 先の国会では約50時間の審議を行っている。30日から集中審議を行い、政府は臨 時国会での改正案成立を目指すが、さまざまな懸念への論議が十分だとはいえない。 <首相の姿勢に危うさが> 教育改革は安倍政権の最重要課題である。官邸主導の改革を進めるために「教育再 生会議」を発足させた。いじめによる自殺問題では、文部科学省の担当者、首相補佐官 らが現地調査をした。高校の履修漏れ問題も、再生会議の議題になる。 スピーディーな対応は世間から支持を得やすい。一方、地域の自主性を軽視して、政 府や中央官僚が教育現場に踏み込む姿勢が気になる。 著書「美しい国へ」の中で、安倍首相は「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある 国家をつくることだ」と述べている。憲法の理念を踏まえた現行の基本法とは、およそ相 いれない教育観だ。 安倍首相の教育改革構想は、伝統的な家族を尊重するなど復古調な思想を背景に、 評価制度や全国学力テストで学校を競わせ、その成果を国がチェックするというものだ。 こうした考えで基本法を改正すると、学校の裁量や、教育の自由をより損なう恐れがあ る。子どもたちや教師の息苦しさは増すばかりだ。 このまま成立すれば、将来に禍根を残す。基本法を生かす道を、今は考えるべきだ。 |