『山陰中央新報』論説 2006年10月31日付

教育基本法改正案/拙速避け、慎重審議を


 継続審議になっていた教育基本法改正案をめぐる国会の本格審議が始まった。
政府案を今国会での「最重要法案」(安倍晋三首相)として成立させ教育再生に
弾みをつけたい与党側に対し、野党側は結束して阻止の構え。与党側は強行採
決も辞さない姿勢だが、時間が限られているため、会期末ぎりぎりまでの攻防が
予想される。

 五十時間近い前国会の審議で「既に論点は出尽くした」(文部科学省幹部)が
政府側の見方。だが、なぜ今改正なのか、という肝心のところがはっきりせず、個々
の論点も詰まっていないところが多い。

 基本法は文字通り教育の根本法であり、国民的合意に支えられてこそ生きてく
る。「結党以来の悲願」(自民党)は結構だが、力ずくで政府案を通すようなことに
なれば、存在感は軽くなるばかりだ。国民的関心も低調な中、まず成立ありきの
拙速審議はなじまない。根本法にふさわしい地に足の着いた議論を望みたい。

 政府案は教育の目的に「人格の完成」と「必要な資質を備えた国民の育成」を
掲げているが、与党内部にさえ受け止めに微妙な落差がある。

 安倍首相は所信表明で「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社
会をつくること」と述べたが、公明党の運動方針は「教育の目的は子どもの幸せ」
を強調している。軸足を国家、社会に置くのか、これまで通り人格の完成に置くの
か、基本のところで擦れ違いがある。

 教育目標も同様だ。政府案は「公共の精神」「伝統と文化を尊重し、国と郷土を
愛する態度」などの理念を掲げているが、それぞれの意味するところがあいまい
だ。何を「伝統」と考えるか、人さまざまだ。あしき伝統もある。「尊重」というからに
は何を、どう尊重するのか、明らかにすべきだ。公共の精神も、国を愛する態度も、
人により受け止め方は違う。

 首相は官房長官当時、自民党内に強く要求のあった「宗教的情操」について「多
義的なので法に規定しない」と答弁しているが、公共の精神も、国を愛する態度も、
多義的である点では同じだ。

 こうした理念を誰がどう特定し、評価するのか。権力が上から一つの形に決め付
けるようなことになれば、内心の自由の侵害に限りなく近づく。理念の解釈を政府
に白紙委任するのでは、民主主義社会とはいえない。

 政府案では、政府の基本計画の策定などを通じて国が教育内容に踏み込めるよ
うになるが、どこで歯止めをかけるのか、きちんとした議論もない。

 首相の著書「美しい国へ」では「学力ばかりでなく学校の管理運営、生徒指導の
状況などを国の監査官が評価する学校評価制度の導入」を提起しているが、国家
主導の教育改革の先取りといえる。

 それならば、中央集権的体質の克服を掲げた臨時教育審議会以来の教育改革
の流れをどう総括しているのか。教育における国と地方の関係をどう構築するのか、
基本法改正の先にある姿を合わせ示すべきだ。そうでなければ、なぜ基本法改正
なのかとの問いに答えたことにならない。既に論点が出尽くしたなどとはとてもいえ
ない。