『秋田魁新報』社説 2006年10月15日付

社説:教育再生会議 まず問題の所在を探れ


 少年犯罪が後を絶たない一方、子どもの学力低下が指摘される。日本の教育
は一体どうなってしまったのだろうと感じる人は少なくないはずだ。

 教育をどうするかは、現在のわが国にとって何にもまして重要な課題だ。一
人一人が幸福を追い求めるためにも、資源のない国としてどう生き残っていく
かにも、「人づくり」が欠かせないからである。

 その意味で安倍晋三首相が最重要施策として「教育再生」を掲げたのは当然
だ。人々が実感している危機感や「何とかしなければ」との思いをすくい取っ
たともいえるだろう。

 問題はその先にある。さまざまに語られる教育の諸課題をどう認識し、どの
方向にどんなふうに持って行くのか。慎重かつ十分な検討が欠かせない。

 安倍首相の教育改革を具体化する首相直属の諮問機関「教育再生会議」が動
きだした。メンバーが決まり、今週にも初会合を開く予定だ。

 迅速にという安倍首相の意向を受けて、会議は来年3月まで中間報告、来年
末までに最終報告をまとめる見込みという。

 素早い対応は評価できる。しかし、「迅速」が「拙速」に陥らないよう、注
意深さが必要だ。人づくりの要である教育は何10年先、できれば100年先、
200年先を見越したものでなければならないからだ。

 有識者メンバーが学者や経済人、現職教師、元五輪メダリストらと多種多様
にわたったのは、安倍首相の保守色を薄め、広範な意見を吸い上げようという
意図からではあろう。

 しかし、逆にいえば、まとまりがつくのかという懸念も残る。座長となった
ノーベル化学賞受賞者の野依良治・理化学研究所理事長の力量が問われる場面
が多くなりそうだ。

 再生会議の性格がまだあいまいな点も気になる。初会合以降、会議の在り方
を含めて協議するつもりなのかもしれない。

 しかし、教育制度の抜本的な見直しまで踏み込むのか、個別課題ごとに即効
性のある方策を探しだそうとするのか、一定の方向性はなるべく早めに決める
べきではないか。

 その際、最も肝要なのは、現在の日本が抱える教育問題の所在や本質をどう
見極めるかだ。正確に診断しなければ、適切な処方は打ち出せない。

 確かに子どもの道徳心の低下は著しい。しかし、だからといって、教育基本
法に「公共の精神」や「国を愛する態度」を盛り込めば解決できるほど、今の
教育問題は生易しくはない。

 教育現場が実践しやすい方策を模索するのも再生会議の務めとなる。いくら
高い理想を掲げても、現場の理解が得にくかったり、実践するのが難しかった
りすれば、絵に書いたもちにすぎなくなる。かえって混乱のもとにもなりかね
ない。

 文部科学省や中央教育審議会主導の改革とどう折り合いをつけるかも難題だ。
既に初会合前から再生会議に対する「抵抗」が垣間見えるのだ。

 次代を担う子どもをどうはぐくむか。再生会議には、政治的な思惑や省益と
は無縁な立場で、この一事に絞っての真剣な討議を期待してやまない。