国旗国歌訴訟社説集(3)

『京都新聞』社説 2006年9月23日付
『佐賀新聞』論説 2006年9月24日付
『山陽新聞』社説 2006年9月24日付
『茨城新聞』いばらき春秋 2006年9月24日付


『京都新聞』社説 2006年9月23日付

国旗・国歌訴訟  教育に強制は似合わず

 卒業式や入学式での国旗掲揚や国歌斉唱をめぐる東京都教育委員会の通達訴
訟で、東京地裁が違憲判決を下した。

 判決は、教職員に国歌斉唱などを義務付けた通達は「不当な強制に当たり、
憲法が認める思想良心の自由を侵害し違憲」と明確に断じた。

 日の丸や君が代に対する敬意は自然にはぐくまれてこそ根付くものだ。力ず
くで形だけを整えるやり方は教育現場には似合わない。妥当な判決であろう。

 争われたのは都教委が三年前、都立高校などに出した独自の通達である。国
旗の揚げ方から卒業証書授与の仕方まで事細かに指示している。校長には職務
命令を出すよう求め、命令に従わない教職員は懲戒処分するという内容だ。

 判決ではまず「懲戒処分をしてまで起立や斉唱させる通達は、行き過ぎた強
制行為で、思想良心の自由を侵害する」とした。教育に対する「不当な支配」
の排除をうたった教育基本法にも違反すると厳しく批判し、起立や斉唱の義務
はないとまで言い切った。

 通達以降、懲戒処分を受けた教職員は三百四十五人にも上る。多くの教職員
は式典を妨害したわけではない。起立しなかっただけで減給などの懲戒処分と
いうのは度が過ぎよう。判決はそうした実態への司法からの警鐘だろう。

 さらに判決は、日の丸、君が代は第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想
の精神的支柱だったと述べ、「現在も国民の間で価値中立的なものと認められ
るまでにはなっていない」と指摘した。

 七年前に国旗国歌法ができたとはいえ日の丸、君が代に抱く思いは人によっ
てさまざまだろう。当時の小渕恵三首相が「国旗国歌法は国民に新たな義務を
課すものではない」と述べたように、個々人に強制するものであってはならな
いということだ。サッカーなど国際試合で、国歌斉唱が盛り上がるのは、強制
とは無縁であるからだろう。 

 とはいえ教育現場においては、教職員は学習指導要領などに定められたルー
ルは守らなければならない。国旗掲揚と国歌斉唱の指導を求める指導要領をめ
ぐっては、裁判所の判断も分かれている。文部科学省も学校現場への指導徹底
を求めている。

 しかし、処分を盾に教職員を従わせる「上意下達」のようなやり方は、教育
に一番ふさわしくない。さまざまな考えを認めつつ、子どもたちの考える力な
どを養うことが国旗、国歌についても、ふさわしいのではないか。

 都立高校では教職員の間で「何を言っても無駄」といった無力感が漂ってい
るともいわれる。極めて深刻な事態だ。

 自民党新総裁に選ばれた安倍晋三官房長官は、継続審議となった教育基本法
改正に強い意欲を示している。「愛国心」の扱いが焦点になろう。国旗国歌と
同じように、教育現場への新たな強制につながらないか目を凝らしたい。

『佐賀新聞』論説 2006年9月24日付

国旗・国歌訴訟 疑問が残る地裁判決 


 入学式や卒業式で、教職員が国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務は
ない―。東京地裁は「日の丸」「君が代」を教職員に義務づけた東京都教育委
員会の通達や指導を違憲と判断した。しかし、これで、生徒たちを指導できる
だろうか。

 五輪やワールド杯サッカーなどスポーツ競技でも、自国の国旗掲揚の時は起
立するし、国歌が流れる場合は自然に口ずさむ。これは日本に限らず、どこの
国でも同じである。子どものころから、当然そうすべきと教育されているから
だ。

 卒業式で、教師が起立しない、歌わないとなれば、子どもたちは戸惑うだろ
う。歌う方は強制された不自由な者たちで、歌わない方が自由を主張している
と勘違いする子どもも出てくるかもしれない。

 確かに、歌わなかった、起立しなかっただけで、減給や停職の懲戒処分を受
けた教職員は気の毒である。「日の丸」「君が代」が戦時中、戦意高揚に利用
されたから、歌いたくないという気持ちも分からないではない。

 判決も「日の丸」「君が代」について「軍国主義思想の精神的支柱として用
いられ、現在でも国民の間で中立的な価値が認められたとは言えない」として
いる。

 果たしてそうだろうか。子どもたちは無垢(むく)である。「日の丸」は日
本の国旗、「君が代」は日本の国歌と素直に受け止めていると思う。戦争をす
るために「日の丸」掲揚で起立し、「君が代」を歌おうと思っている子どもは
いない。子どもにとって「中立的な価値」でしかないものに、色を付けようと
しているのは一部の大人たちである。

 判決は「教職員に一律に国歌斉唱の義務を課すことは、思想・良心の自由を
侵害する」とも述べている。国歌・国旗に敬意を払うのは当たり前のことで、
思想の違いなどではないだろう。しかも歌わないことが良心の自由というなら、
歌うことは悪いことなのか。

 一方で判決は「生徒に日本人としての自覚や愛国心を養い、将来国際社会で
信頼される日本人になるために、国旗国歌を尊重する態度を育てることは重要」
とも言っている。論旨が矛盾してはいないだろうか。

 また判決は「国旗国歌は強制するのではなく、自然のうちに国民に定着させ
るというのが国旗国歌法の趣旨」とも述べている。

 「自然に国旗国歌を尊重する態度が身につく」のが、子どもの教育の理想で
ある。しかし、自然に身につくためには、親や教師が常日ごろからそうした姿
勢を見せていなければならない。片方で歌い、片方で歌うべきでないと主張す
る者がいるとき、子どもたちはどちらに従うべきか、迷ってしまうだろう。

 これまで「日の丸」「君が代」裁判は、福岡地裁で教育委員会の指導が不当
とされ、東京高裁では公務員の立場を考えれば、教育委員会の指導に従うべき
との判決が出ている。裁判自体が混乱しており、最高裁の判決まで、確定しそ
うにない。

 あと半年で卒業式、入学式シーズンを迎える。今回の判決は、学校の指導方
針にも少なからぬ影響を与えるだろう。1999年に国旗国歌法が制定される
まで、都立高では生徒と保護者が起立しているのに、教職員は着席のままとい
うおかしな光景が各地で見られたという。

 思想の自由は認められねばならないが、教職員である以上、子どもたちが素
直に喜べる卒業式、入学式を行ってほしい。   (園田 寛)


『山陽新聞』社説 2006年9月24日付

国旗国歌判決 都教委の強制戒めた司法


 入学式や卒業式で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するよう義務づけた東
京都教委の通達に対し、東京地裁は違憲・違法とした。訴えていたのは都立高
校などの教職員四百一人で、判決は処分の禁止などを命じた。

 通達は、二〇〇三年十月に都立の高校や盲・ろう・養護学校の校長あてに出
された。教職員が校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問うなど
としている。以後、起立や斉唱、ピアノ伴奏を拒否した教職員に対する懲戒処
分が急増した。

 判決は「日の丸、君が代は第二次大戦終了まで皇国思想や軍国主義思想の精
神的支柱として用いられてきた」とし、入学式などでの国旗掲揚や国歌斉唱へ
の反対は少なからずあると指摘している。その上で「懲戒処分してまで起立、
斉唱させることは憲法が定める思想良心の自由を侵害する」と断じた。教育基
本法が禁じた教育への不当な支配に該当するとも認定した。

 とはいえ、判決が入学式などでの国旗や国歌を否定しているものではない。
「生徒に国旗国歌に対する正しい認識を持たせ、尊重する態度を育てるのは重
要なことだ」とする。教職員が式を混乱をさせたり、生徒をあおったりした場
合は公共の福祉に反するともしている。

 今回の判決は、都教委の行き過ぎたやり方を戒めたということだろう。「国
旗や国歌は強制でなく、自然に定着させるのが国旗国歌法の制度趣旨である」
との指摘を重く受け止めなければならない。

 東京都は控訴する方針だ。裁判の行方は定かではないが、強制によって国旗
や国歌を尊重する態度が育てられるとは思えない。通達を見直す必要があろう。


『茨城新聞』いばらき春秋 2006年9月24日付


 式典やイベントで国歌斉唱や国旗掲揚の場面に立ち合ったとき、あなたは君
が代を歌い、起立しているだろうか▼東京都立高校などの教職員ら四百一人が
都や都教育委員会を相手に、入学式や卒業式で国歌斉唱や起立の義務がないこ
との確認などを求めた訴訟で、東京地裁は「強制は違憲」との判決を言い渡し
た▼国旗国歌法制定後、教職員側がほぼ全面勝訴した判決で、都や都教委は控
訴する方針だ。安倍自民党新総裁が誕生し、新政権が愛国心を重視した教育基
本法改正に取り組む構えを見せている矢先でもあり、注目の判決となった▼訴
訟は二〇〇三年十月、都教委が各校長に出した通達が発端。教職員が国旗に向
かい起立したり国歌を斉唱することを定め、校長の職務命令に従わない教職員
を処分した▼本県では、県教委が東京都のような厳しい通達や職務命令を出し
ておらず、処分された教職員はいない。憲法や教育基本法とのはざまで、こと
さら対立をあおる事態を避けた現実的な対応だろう。ただ都教委に限らず、国
旗国歌への教職員の対応がばらばらでは困る、というのが学校を管理する側の
本音であろう▼しかし、「懲戒処分してまで強制するのは思想良心の自由を侵
害する行き過ぎた措置」とした判決には真摯(しんし)に耳を傾けてほしい。も
し、本音を隠し建前だけで行動する教師ばかりになったら、学校はむなしい。
思想良心の自由をなんびとにも担保する柔軟性が民主主義の本質だ。(橋)