『毎日新聞』鳥取版 2006年9月21日付

愛国心:どうなる日本−私の視点/10 自国のことをすべて是としてはだめ /鳥取

 ◆知事・片山善博さん(55)

 ◇客観性持ち批判的なもの−−地域を良くすることから

 一般に「愛国心」というと、「国を護(まも)る」というイメージでとらえ
られるが、「今住んでいる地域を大切にしないといけない」と言い換えれば、
なじみが深い。戦争や食糧難で援助を待つ国の報道を見聞きするたびに、自分
たちの国がこうならなくて良かったと思う。それは単に、自国さえよければい
いということではない。平和で安全で、質の高い生活ができる状態を守らなけ
れば、と実感することである。それを愛国心と呼ぶならば、私はしょっちゅう
感じている。

 国を大事に思う心は必要だ。"我さえ良ければ"ではなく、平和で豊かな状態
を保とうと国民一人一人に思ってもらいたい。ただ、教育基本法に規定して、
子どもに「さぁ持て」と言っても分からないだろう。生活の基盤である地域を
良くしていこうと呼び掛けたほうが分かりやすい。

 法律に規定するのはあまり意味がない。変わると思うのは買いかぶりで、法
律にそんな浸透力はないから世の中は変わらない。だから、まずは地域社会を
大切にすることが必要で、その延長線上に愛国心がある。

 「悪法もまた法なり」と、為政者に悪用される心配はないかだが、それは社
会基盤の力の強弱による。権力者や為政者の思惑をやすやすと受け入れる素地
があれば、法律があるかないか関係ない。社会の良識にかかっている。ただ、
先の国会で継続審議になった教育基本法に盛り込む文言なら、特定の考えや行
為を押し付ける根拠にならないと思う。悪用されないようにするのが民主主義
の力だが、どうも若い人たちに無力感がうかがえる。

 問題は今の「愛国心」に色が付いていて、排他的なイメージがあることだ。
それぞれの国がよくなることこそ重要で、バランス感覚が必要だ。自国のこと
をすべて是としてしまうようではいけない。真の愛国心とは、客観性を持ち批
判的なものである。戦時中の愛国心に国民が拒否反応を示すのは、排他的で自
国の非にモノがいえなかったからで、これは致命的欠陥だ。非国民などといわ
れ、自浄作用がなかった。

 最近の企業不祥事は、目先の愛社精神にとらわれて会社の信用を守ろうと事
故を隠したために、かえって大きな損害を被っている。それと同じことが国に
ついても言える。

 愛国心が論議される背景には、終戦後にできた制度の点検やリフォームをし
てみようということだろう。靖国問題や自虐史観の是正、占領下でできた憲法
の改正の動きもその一つで、ただの“復古”ではない。これまで有形無形に抑
圧されていた日本の伝統的なものや国を大事に思うことを、日本人が今日的視
点で自由に考え直しませんか、ということ。たまたま、イラク戦争や北朝鮮問
題などと時期的に重なっただけだ。その意味で、愛国心規定も憲法改正も、検
討自体は賛成だ。【聞き手・松本杏】
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 ■人物略歴
 ◇かたやま・よしひろ
 岡山県生まれ。74年に旧自治省入省。出向した鳥取県で地方課長や財政課
長を務め、自治省で大臣秘書官、国際交流企画官などを経た後、再び県で92〜
95年に総務部長。99年に県知事に初当選し、2期目。