『山陰中央新報』2006年8月29日付

談論風発 : 教育基本法改定論者への助言 「愛国心」の意味再定義すべし

 島根大学法文学部助教授 植松 健一


 教育基本法の改定案が国会での継続審議となった。与党案が「国と郷土を愛
する」態度の養成を、他方、民主党案が「日本を愛する心の涵養(かんよう)」
を、教育目標に盛り込もうとして対立している。しかし両案の違いは正直のと
ころ国民にはわかりにくい。やはり真の対立軸は、これら「愛国心(またはそ
の態度)」を法律に書き込むことの是非であろう。

 この論争についていえば、基本法改定反対派の主張に分があるように思われ
る。「国旗・国歌法と同じく、学校現場での愛国心の強制につながる」という
反対派の危惧(きぐ)も、通信簿の評価項目に愛国心の有無を含める小学校す
らある現状では、説得力をもって耳に響く。さらに、「『愛』を法律で押し付
けるのはナンセンスではないか」、「日本は法律に定めなければ愛されないよ
うな国家なのか」と問われれば、反論のしようがない。

 これに対して改定派は「愛国心の欠如が戦後の教育を荒廃させた」などと指
摘する。愛国心の育成が少年犯罪や「引きこもり」を減らすというこの手の主
張は俗耳には入りやすいが、合理的な因果関係に乏しい「風が吹けばおけ屋が
もうかる」の議論であろう。(もっとも私個人としては好都合な議論ではある。
親や教師に反抗的だった私の幼年期を、「悪いのは教育基本法です」と責任転
嫁できるのだから)。

 愛国心を法律に書き込むことについては石破茂衆院議員や作家の上坂冬子氏
などからも懐疑の声が挙がっている(「論座」〇六年七月号の両者のコメン
ト)。タカ派・保守派にあっても理性的な発想の持ち主であれば、そう考える
のが普通なのであろう。

 では、劣勢の基本法改定派に起死回生の論拠はないだろうか?

 次のようにアドバイスしてみたい。改定派は、「愛国心」の意味を「日本国
憲法とその精神の尊重擁護の姿勢」と再定義する戦略を採ってはどうか。これ
はドイツなどでは「憲法愛国主義」と呼ばれ、リベラル派や左派に好まれるス
タンスであるから、(リベラル派・左派の多い)改正反対派からの宗旨変えを
期待できるかもしれない。もっとも、この戦略には大きな難点がある。それは、
残念ながら改定派の多くが日本国憲法を愛していない(その意味で「愛国心」
を欠いている)という点だ。考えてみれば現行の教育基本法前文こそ「日本国
憲法の精神に則」る旨が強調されているのだから、この意味での「愛国心」育
成のためにあえて法改正をする理由が見つからない。

 それでは、「愛国心」を「大義のために、為政者に異を唱える心」と読み替
えてみるのはどうか。主君をいさめ刑死する臣たちを繰り返し描く史記や十八
史略は、「反逆による愛国心」の意義を説く古典としても読める。この「反逆
による愛国心」から儒教的なものを除去した現代バージョンといえそうなのが、
「市民的不服従」という発想だ。現代を代表する社会学者J・ハーバーマスは、
社会的な不公正を感じながら有効な是正手段を持たない市民たちの異議申立行
動は、仮にそれが違法であっても(非暴力であることが前提だが)正当な場合
があると説く。民主的な法治国家においても、「法律に定められている」(l
egal)ことが常に「正当である」(legitim)とは限らないからで
ある(『近代−未完のプロジェクト』岩波現代文庫)。これを市民的不服従と
呼ぶ。

 市民的不服従をどう処遇するかは、その社会の寛容さを測る「ものさし」と
なる。最近の日本では、反戦や政府批判を説くチラシの配布は、住居侵入、威
力業務妨害、国家公務員法違反などの罪で逮捕され有罪となってしまう。被告
たちの政治的異議申立はハーバーマスの言う市民的不服従であり、法律とそれ
を適用する側こその正当性が疑われる場面であるというのにだ。

 職務命令違反による処分覚悟で「君が代」斉唱の指導を拒む都立高校の教員
たちもまた、「良心の自由」を守るために市民的不服従を貫いている。この五
月に逝去された箕輪登・元防衛政務次官の手による自衛隊イラク派兵違憲確認
訴訟も、首相の靖国参拝の違憲判断を求めて各地で争われている訴訟も「反逆
による愛国心」の発露といえるのかもしれない。

 結論をまとめよう。教育基本法改定派は、愛国心教育の内容を「市民的不服
従の基盤をなす批判的精神と異端者に寛大な心をはぐくむこと」と読み替える
ことで、劣勢な論議を仕切り直すことが賢明である。(この点を認めなければ
中国共産党の「愛国教育」を非難する論理を放棄することになるが、それは改
定派の望むところではないはずだ)。

 この私のアドバイスに対して改定派の友人は声を荒らげて反論した。

 「いや、われわれが考える『愛国心』はそんな国への反抗を唱道するわけが
ない。われわれが教育基本法の改定に期待するのは、ただただ国家や企業に服
従してくれる者たちの育成なのだ!」

 …これが教育基本法改定派の本音なのであろう。