『東京新聞』2006年6月11日付 教育基本法改正 インタビュー(上) 憲法改正と並んで、自民党の"悲願"とされる教育基本法改正。今国会に与野 党の改正案が提出されたが、継続審議となる見通しだ。なぜ改正が必要なのか。 改正によって何がどう変わるのか。長く改正を主張してきた中曽根康弘元首相 (88)と、改正に批判的な歴史社会学者(慶応大学総合政策学部助教授)小 熊英二氏(43)の二人に話を聞いた。最初は、中曽根元首相の意見を紹介す る。 (聞き手 社会部・片山夏子、加古陽治) 教育基本法は、戦後の占領政策そのものが反映されたものだ。戦前の国家的 で視野の狭い教育体系の欠陥を是正し、世界的な視野に立つものに変えようと した。その点は評価できる。 しかし内容を見ると、個性とか個人主義が強烈で、日本の歴史や文化、伝統 は無視されている。国という概念も公の概念もないと言ってよい。道徳性につ いても欠けているなど、教育上の重大欠陥を内包していた。 そうした占領政策からの脱却は、自民党結党(一九五五年)以来の悲願だ。 鳩山一郎内閣のころから歴代文相が改正を試みたが実現せず、私の首相時代の 臨時教育審議会でも手をつけられなかった。実際は、愛国心や道徳教育を学習 指導要領で認めるなどして、事実上、基本法を是正してきたんだが。 ■世論 ソビエト崩壊後、今まで支配してきた米ソの両支配体系が崩れ、世界はナショ ナリズムの時代に入った。日本は九〇年代の十年間、自民党分裂、政治の腐敗 や不況が続き漂流していたが、十年たって憲法や教育基本法の改正が国民の中 から鬱然(うつぜん)と出てきた。今、盛り上がった大きな力が動いている。 まさに国民的ナショナリズムの力であり、政治主導ではできないことだ。 世論調査を見ると憲法改正の賛成は六割、基本法はもっと高い。この動きを、 正しい政治の道筋でものにしていくのは政治家の責任だ。 政府と民主党の改正案は重なる面が多いが、違う面もある。「愛国心」は、 政府案は「態度を養う」で、民主党案は「日本を愛する心を涵養(かんよう) し」とある。政府案は、公明党との妥協で「態度を養う」となったが、格好が 大事で心が抜けている感じだね。 ■自然 憲法一九条(思想・良心の自由)との関係で議論があるが、自分たちが生ま れて生活している祖国に愛情を持つのは世界的趨勢(すうせい)で、日本だけ 特別にやっているわけじゃない。「国家」という概念に対し、われわれは「祖 国」という概念で考える。国というと権力的行政機構を連想するが、われわれ のは歴史的伝統的、文化的共同体という思想だ。 教えられたから愛せるものではないという考えは、ある程度正しい。しかし、 自分の家庭を愛するように、生まれた国や文化、歴史を尊重する。それから、 愛情が生まれるのは自然なことだ。そういう自然的作用を法律に書くことは、 強制的に教えるということ、教え込むことではない。政府案は「態度」という 表現をしているが、適当でないと思っている。 ■10年 (通知表の評価は)あんなのなくたっていい。私は賛成しないね。 与党案は「不当な支配に服することなく」という文言を残している。不当な 支配を排除することは、教育の中立性を維持する意味では重要なポイントだと 思う。 基本法を変えることはまだスタートライン。後に出てくる教育関係法、学習 指導要領の改革が大事だが、基本法を変えなければ学習指導要領なども変えら れない。やっぱり十年ぐらいかかるだろうね、いろいろな問題を解決していく のに。 ■悲願 今度の議会は大事なチャンスだった。会期延長をしないというのは、小泉君 (純一郎首相)の関心の少なさを示している。小泉君はえり好みが強くてね。 道路や郵政も大事だけれど、どっちかというと脇道の問題だ。政治の本道は憲 法、教育基本法とか財政再建、社会保障、外交問題だが、そこは手を抜いてき たね。 こういうものは歴史が判断する。政治家は歴史法廷の被告席にある。 改正案は、新内閣の最初の国会か来年の通常国会には成立させないといけな い。新首相の最初の仕事としてやってもらいたい。自民党結党以来の悲願が、 ようやく実ろうとしているのだ。 なかそね・やすひろ 東京帝大法学部卒業後、内務省入省。戦時中は海軍主 計士官となる。1947年に群馬3区から衆院初当選、科学技術庁長官、防衛 庁長官、通産相などを歴任した。82年、首相に就任。「戦後政治の総決算」 を掲げた。97年に大勲位菊花大綬章を受章。2003年に政界を引退した。 著書に「自省録−歴史法廷の被告として」など。 |