『信濃毎日新聞』2006年6月2日付

今日の視角 教育基本法作成過程の重み


 今、国会に上程されている政府の教育基本法改正案も民主党による改正案も、
改正案ではなく、教育基本法を廃止し、かつて基本法が作成されたとき否定さ
れた考えを盛り込もうとしている。教育基本法の柱は2本あり、第一は前文に
書かれた、平和憲法の理想の実現はまず教育によって行うという主張である。
第二は、個人の確立である。前文では「個人の尊厳を重んじ」「個性ゆたかな
文化」と述べ、第一条(教育の目的)では「個人の価値をたつとび」「自主的
精神に充ちた」と述べ、その上さらに第二条(教育の方針)では「自発的精神
を養い」と繰り返し強調している。

 ここまで個人の確立が謳(うた)われたのは、基本法を作成した教育刷新委
員会での深い反省の議論を経た上でのことである。刷新委員会の全討議が公表
されており、「教育刷新委員会・教育刷新審議会会議録」(日本近代教育史料
研究会編、全13巻、岩波書店刊)で読むことができる。例えば哲学者の務台
理作は、「ただ精神的の公けに仕うということだけじゃいけない。もっと具体
的に、近代的な意味で公けに仕えるということでなければならぬと思うのです
が、本当に公けに仕える人間を作るには、やっぱり個人というものを一度確立
出来るような段階を経なければならない…(中略)…個人意識というものを確
立するという順序を経て、公けに行かないと、又(また)すぐ反動化する。公
けに仕えるということで、非常に個人が縛られてしまう」と言っている。

 当時の日本を代表する学者、教育者のこれほどの議論を経て作られた教育基
本法であることを知っているだろうか。そもそも教育基本法の作成過程は記録
公表されているのに、今の政府案も民主党案も誰が、どのような主張したのか、
はっきり見えなくして当然としている。改正案に貫かれているのは粘土をこね
るように国民を製造する教育観であり、個人の可能性を十分に開花させる責務
が国家にあるという国家への規定ではない。・改訂案は教育基本法の改正案で
はなく、基本が異なる上からの革命案、正確には上からの反革命案であるとい
える。

(野田 正彰)