教育基本法「改正」法案に反対し、廃案を求めるアピール

 奈良県にお住まいのみなさん。奈良県におつとめのみなさん。
 いま、教育基本法「改正」法案が提出され、政府・与党は今国会で可決成立をさせ
ようとしています。
 教育基本法は、子どもたちのすこやかに育む日本の教育と日本の将来にとって教育
の「憲法」ともいわれる非常に重みのある法律です。
 私たちは、教育基本法「改正」法案が、国民的な討論を経ないままに、短期間の審
議を経るだけで多数決により採択されることは絶対に認めるわけにはゆきません。私
たちは、今国会に提出されている教育基本法「改正」法案について、次の諸点で疑問
を呈するとともに、廃案を求めるものです。
 第一の疑問は、教育基本法の位置づけが逆転し、戦前の教育勅語のような性格を持っ
ている点です。そもそも現行の教育基本法は、過去の過ちを反省して、新しい憲法の
もとで国が国民に対して行う教育の基本的な原則を定めたものです。これに対して、
今回の「改正」法案では、現行法の基本的な原則を曖昧にするとともに、国民の側に
責任を求める意味合いが随所に表れ、道徳的な性格を帯びています。
たとえば、「第六 学校教育」において「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必
要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めること」と勉学
に取り組む姿勢が問われています。「第十 家庭教育」では「父母その他の保護者」
の責任、さらに「第十三 学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」では関係住
民の「役割と責任を自覚する」ことなどが説かれています。
 第二の疑問は、一人ひとりの個人が大切にされるというよりは、国や郷土などの
「公共への奉仕の精神」がくりかえし強調されていることです。現行法の前文では
「普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造」がうたわれ、個性の多様性と自発性が
強調されていますが、「改正」案では、しきりに「態度を養う」という表現が登場し
ています。そして、「道徳心を培う」ことを強調し、一定の行動スタイルや枠にはめ
こもうとする意図さえ感じさせられます。その延長線上にあるのが、「第二 教育の
目標」の「伝統と文化を尊重し」に見られる、いわゆる「我が国と郷土を愛する」
「愛国心」の強調です。
 第三の疑問は、教育行政が本来、積極的に行うべき教育条件整備への言及がなくなっ
たことです。「改正」案の「第十六 教育行政」では、教育は「この法律及び他の法
律の定めるところにより行われるべきもの」とすることで、行政機関が教育内容に関
する様々なことがらにこれまで以上に口出しできる枠組みを作ろうとしています。重
大な問題は、教育基本法第十条に定める「教育は不当な支配に服することなく、国民
全体に対して直接に責任を負って行われるべきものである」「2 教育行政は、この
自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われ
なければならない」という教育の自立性、教育行政のありかたを根本から変えようと
していることです。
 第四の疑問は、項目が増えたことで教育基本法というよりは、下位の法律の寄せ集
め的な性格が強まっている点です。改正法案では「生涯学習の理念」「大学」「私立
学校」「教員」「家庭教育」「幼児期の教育」「学校、家庭及び地域住民等の相互の
連携協力」「教育振興基本計画」が新しい項目として入り、「男女共学」が削除され
ました。新設された項目を見ると、政府・与党が近年、関心をもって推進してきた施
策が中心になっていると思われます。つまり、今回の改正法案は、長期的に21世紀の
教育のあり方を展望するというよりは、児童虐待、いじめ、学級崩壊、学ぶ意欲の低
下など、現在の子どもたちや日本社会が置かれている問題状況への「処方箋」として
の位置づけを、教育基本法の改正に期待しているものといえます。
 以上のような疑問の根本には、第一点目で述べたように、教育基本法の発想の逆転
があると考えられます。国の教育行政の基本を明らかにした現行法の理念をないがし
ろにし、現在の目先の問題状況に対応するために、国民に一定の価値観、行動様式を
とるように強いる「責めたてる教育」観が中心になっています。このことは、民主的
な国家・社会の形成者としての個人の人格形成、主権者の教育といった、戦後、大切
にしてきた教育の基本を葬り去り、戦前への回帰をめざすものといえます。
 「公共の精神」「伝統と文化を尊重」「豊かな情操と道徳心を培う」「規律を重ん
じ」などといった文言は、最近の問題状況を受けてあらためて登場してきた言葉です
が、現行の教育基本法ではより具体的に、「実際生活に即し、自発的精神を養い、自
他の敬愛と協力によって」(教育の方針)、「個人の価値をたっとび、勤労と責任を
重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」(教育の目的)という方
針が規定されています。現行法の表現は、より主体的、自主的に、実際生活を切り開
いていく能力を育成しようという意図が込められています。現行教育基本法の精神こ
そが、時代の変化に柔軟に対応できるとともに、多文化化し、多様化する時代に沿っ
た方向性を先取りしていると考えることができます。
 今回提出の「改正」法案は、個人の力の発現に期待するというよりは、それに枠を
はめる危険性さえ伴った法案であり、廃案をつよく求めるとともに、現行の教育基本
法を生かした教育改革の推進を求めるものです。

2006年5月31日

生田周二(奈良教育大学教授)
岩井宏實(帝塚山大学名誉教授・前学長)
梅村佳代(奈良教育大学教授)
大久保哲夫(奈良教育大学名誉教授・前学長)
佐伯快勝(真言律宗総本山西大寺宗務長)
高見敏雄(日本キリスト教団牧師)
中塚 明(奈良女子大学名誉教授)
藤田 滋(弁護士)
溝江玲子(児童文学者・作家)
山田 昇(奈良女子大学名誉教授)