『秋田魁新報』2006年5月26日付

コラム 北斗星(5月26日付)


 車を引いた男がぬかるみにはまった。どうしても車は動かない。様子を見て
いた仏様が指でそっと触ると、車はすっと抜け出た。男は助けられたことに気
づかぬまま元気に歩んでいった

▼「授業の神様」と呼ばれた国語教育の故大村はまさんは、よくこの例え話を
引いた。子どもがさせられていると感じることなく、ついつい勉強に夢中にな
る。個々で異なるつまずきや心の動きを見極める一方導いた「先生の指」には
気づかせない。そんな教師像を胸に生涯にわたって実践した

▼「愛国心」を盛り込んだ教育基本法改正案が国会で審議されている。改正さ
れたとして教師たちはどう教えるのか。ふと疑問が頭をよぎる。中でも子ども
一人一人の興味や内面に寄り添う大村さんだったら、どうするだろうと考え込
んでしまう

▼人の愛し方がさまざまなように、国の愛し方もいろいろだからである。何よ
り心の中におのずとわき起こる感情だからだ。教師にしても子どもにしても多
種多様な感情をどう導いていけばいいのか。大村さんでなくても学校は戸惑う
に違いない

▼あまたの愛する思いを一定の方向にもっていこうとしても、なかなか根付か
ないかもしれない。根付かなければ「教育効果」を上げようと、強制的になる
可能性も出てくる。国を愛せと言うのなら、自然に愛がにじみ出るような政治
なり教育なりを施すのが筋であろう

▼千差万別の人の心を法でくくろうとすることには、やはり無理があるのでは
ないか。