『神奈川新聞』社説 2006年5月1日付

教育基本法改正


 政府は教育基本法改正案をまとめ閣議決定、国会に提出した。連休明けに新
設される特別委員会で審議される。改正案は前文と一八条。焦点は愛国心とそ
の表現だった。自民党は「国を愛する心」を主張、公明党の「国を大切にする
心」と対立が続いたが「我が国と郷土を愛する態度」で決着した。足して二で
割ったような表記である。字句にこだわり、教育とは何か、の本質的な哲学が
見えてこないのは残念である。

 現行の教育基本法が施行されたのは一九四七年三月。戦前の軍国教育、戦時
体制下の皇民化教育も敗戦で瓦解、それに代わる新しい民主主義教育の"憲法"
として制定された。六三制、教育の機会均等、平和主義、男女共学、教育の自
由、義務教育の無償などが骨子となっている。

 前文と一一条。GHQ(連合国軍総司令部)の指令に基づいたのは事実とし
ても簡潔であり、国家に忠実な戦前の教師像、児童・生徒像のくびきから解放
された表現に満ちている。確かに現行条文には愛国心や家庭教育、学校生活の
規律などについての規定はない。しかし、五十九年たった今、読み返しても特
段の違和感はない。改正する必要があるのかどうか、疑問である。

 与党二党がこだわった愛国心の表現について自民党の言う愛国心に「戦前の
国家主義を連想させる」と公明党は反発した。戦前に受けた宗教弾圧を想起し
たはずである。果たして愛国心、郷土愛は法律に明記しなければ生まれないも
のなのか。強制されなければ身につかないというのだろうか。

 国民が戦後六十年、営々として築いてきた民主主義はそれほどもろいものと
は思えない。あの敗戦で強制こそ怖いものはない、と私たちは心底から知った
はずである。教育基本法に書いたから教育現場がよくなるというのなら、教育
とは何と楽なものであろう。

 公明党は愛国心に慎重だった。改正検討委員会が六十八回も開催されたのは
そのためである。公明党が国家主義を連想させると言ったのは、正しい。その
公明党も大島理森(ただもり)座長(自民)の折衷案で妥協している。

 自民党は早くから法改正を求めていた。「国への忠誠、家族愛などが書かれ
ていない」というのである。二〇〇〇年十二月、森喜朗首相(当時)の私的諮
問機関・教育改革国民会議が見直しを提言。中央教育審議会が〇三年三月、文
部科学相に基本法の改正を答申している。自民党はよほど現行の基本法が気に
入らないとみえる。

 「およそ、人は命令では働かない」。経済学の祖アダム・スミスが「国富論」
で言いたかったのは、このことだった。愛国心、郷土愛も同様である。国民の
自由な意思に任せればいいではないか。法律で強制されるいわれはない。