『琉球新報』社説 2006年4月29日付

教育基本法・改正急ぐ状況ではない/理念を生かす施策こそ必要


 政府は教育基本法の改正案を28日、閣議決定した。政府は法案を国会へ提
出し、与党は衆院に特別委員会を設置し、今国会での成立を目指す方針だ。
「教育の憲法」ともいわれ、戦後の教育制度の根幹となってきた同法の改正に
向けての国会審議が近く始まることになった。

 同法の全面改正が国会の議論の場に上るのは、1947年の制定以来初めて
だ。約60年ぶりの改正に向けて、大きく動きだしたことになる。

 決定された政府案は自民、公明の与党で合意された折衷案そのままだ。教育
の将来的なビジョンを政府内で十分に検討したのか、はなはだ疑問が残る。

なぜ改正が必要か

 教育基本法の改正は、2003年3月に中央教育審議会が遠山敦子文部科学
大臣(当時)に対して改正を答申して以来、自民、公明の与党内で議論が続け
られてきた。

 自民党内には、もともとGHQ(連合国軍総司令部)によって制定された憲
法と教育基本法の改定を求める声は強く、今回の改正案は自民党内での基本法
への批判を大筋で取り込んだものだろう。

 基本法改正について与党は「モラル低下に伴う少年犯罪の増加など教育の危
機的状況」や「個の重視で低下した公の意識の修正」などを改正の理由に挙げ
る。戦後教育の弊害としてこれらの問題をとらえている。

 確かに少年犯罪の増加や学級崩壊など、子供たちを取り巻く環境は憂慮すべ
きものがある。しかし、これらの問題を戦後教育の弊害としてだけとらえるの
は無理があるのではないか。現在の学校教育の中で果たして「個」が過度に尊
重されているのだろうか。「個」を尊重する理念は、教育基本法が制定された
当時よりも後退しつつあるのではないか。

 社会や学校で起こっている問題の原因を教育基本法だけに押し付けているの
ではないか。問題は、社会のありようにかかっているはずで、基本法を改正し
ただけでこれらの問題が解決するとは思えない。なぜ改正が必要なのか。政府
は国民に説明すべきだ。

 今回の改正案では、愛国心について「国と郷土を愛する態度」としたほか、
教育目標に「公共の精神」「伝統と文化の尊重」など、徳目的色彩の強い理念
が盛り込まれている。

 「個人」より「国家」により重きを置いた形の改正であり、「愛国心」を法
律で規定し、心の問題を法律で規定することを危ぶみ、警戒する国民は多い。
憲法の保障する思想、信条の自由を侵害することになるという懸念だ。

 法律で「心」を縛るといった批判に対して、改正案では「心」といった言葉
を避け、「態度」に表現を変えている。しかし、表現を変えたからといっても
基本的な精神は変わらない。

改憲の動きと連動

 自民党の憲法改正案も、国や社会を愛情と責任を持って支える責務を持つこ
とが強調されている。個人よりも国家に重きを置いており、教育基本法の改正
と改憲の動きは連動している。改正案では、家庭教育の項目も盛り込み、「家
庭は子育てに一義的に責任を有する」と規定している。家庭の中にまで国家が
入り込むようなものだ。

 中教審が改正答申を行って以来、3年。議論は非公開の中で行われてきた。
広く国民の意見を反映させるといった形にはなっていないし、改正に対する異
論や懸念の声に耳を傾けて、その疑問、疑念に応える姿勢はとっていない。

 「教育をどうするのか」。現在のわたしたち社会の重要な課題であることは
間違いないが、教育基本法を改正することで問題が解決するものではない。教
育をどうするのか、具体的なビジョンを国民に提示すべきではないか。

 政府、与党は残り2カ月余りに迫った今国会の会期中に成立を目指すという
が、これだけ異論のある法案を2カ月で成立させようとするのは拙速だ。

 教育基本法は、戦前の国家主義の反省の上に立って「個人の尊厳」「個人の
価値」を尊重することをうたっている。憲法に基づいたものだ。その基本的な
理念は、国民に受け入れられており、その理念を生かすことこそが必要だ。改
正を急がなければならない状況にあるとは思えない。