新首都圏ネットワーク
  トップへ戻る 以前の記事は、こちらの更新記事履歴

『熊本日日新聞』社説 2006年4月15日付

教育基本法改正 「愛国」命じれば心育つのか


 自民党と公明党でつくる教育基本法改正協議会は、前文と十八条からなる法
律の改正案を決定した。焦点だった「愛国心」の表現は、「我が国と郷土を愛
する態度」とし、「公共の精神を尊ぶ」を盛り込むことなどで合意した。改正
案がまとまったのは一九四七年の制定以来初めて。五月にも閣議決定の方針だ。

 改正の背景に社会の変容や教育の混迷の影響があることは容易に推測できる。
戦後の日本は、「平和憲法」を掲げ、国民が一丸となって高度経済成長を成し
遂げた。共通の目標を持ち得た時代であった。しかし、産業構造の変化もあっ
て、日本は「改革の時代」を迎え、国民の間の「格差」拡大も指摘されている。
合わせて、家庭や地域の教育力も低下して少年犯罪も目立ち、学校現場は児童
生徒の学力低下や無気力化に悩んでいる。フリーターやニートなど社会への帰
属感が薄い若者も増加中だ。国民共通の目標を持ちにくい時代となったと言え
よう。

 このため、政治家が愛国心の育成などを目標として定めようとする心情も理
解できる。「国や郷土を愛する」ことも一般的には望ましいことだ。ただし、
教育基本法は、国や自治体など教育する側を主な対象に目指すべき理念を定め
たもので、国民の権利を制限したり義務を命じたものではない。ところが、与
党案は愛国心、公共心、家庭教育の責任などを国から国民に注文するような内
容に変化している。法律で強制する効果も不明で、憲法が保障する思想信条の
自由に抵触する恐れもある。

 これからの日本に生きる若者たちが自分の国を愛するためには、安心して暮
らせる雇用の場を増やし、医療福祉などの社会保障を整備することも必要だ。
国は若者が評価するような具体的な政策を打ち出すべきで、このままでは愛国
という目標の押しつけと受け取られかねまい。

 教育は、教師と児童生徒の人間的なふれ合いの中で行われるもので、その質
について第三者が評価することが難しい部分もある。あえて行おうとすれば、
外面的に画一化を求めることになりがちだ。その一例だが、北海道美唄市の小
学校では、今春の入学式で、学校側は教職員用のいすを用意しなかった。校長
は「君が代斉唱の時に起立しない教職員が出ることを防ぎたかった」と説明し
た、と地元紙は報じている。君が代を国歌に制定する際、政府は強制を否定し
たはずだが、結局はこのような現象が起き、斉唱に協力しなかった教職員の処
分も行った地方教育委員会もある。

 今、教師は、教育の混迷の中で全体的に疲れている。日々の授業を成立させ、
家庭との連携を深めるためには、少人数学級の推進や専門的な人材の加配など
を望んでいる。具体的な教育プログラムの改善策も示されないまま、愛国心を
深める教育だけが求められれば、学校現場の疲労感がさらに深まることになる。

 自民党は、教育基本法の改正を足掛かりにして憲法改正も行いたい意向のよ
うだが、拙速は避けるべきだ。国民の間の論議を十分に聞いてからでも、法案
を出すのは遅くない。また、「戦前の国家主義を連想させる」として反発して
いた公明党が賛成した。その理由については、さらに分かりやすい説明が必要
だ。