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『高知新聞』社説 2006年4月14日付

【教基法改正】荒廃は解決できない


 自民、公明両党が教育基本法の改正案を正式決定した。

 これを受けて、政府は改正案の作成、国会提出へと進むことになる。だが、
現行法のどこに問題があり、なぜ改正が必要なのか。その検証も不十分なまま
の「はじめに改正ありき」の姿勢は極めて問題だ。

 改正を主張する人たちは、いじめや不登校などの教育荒廃、少年による凶悪
犯罪などと基本法を絡める。「個人の尊厳が行きすぎた結果」という認識だ。
そこで、与党改正案は「公共の精神」「道徳心の涵養(かんよう)」を盛り込
もうとする。

 だが、それらの問題と基本法を結び付けるのは筋違いだ。基本法をきちんと
読めば分かる。

 「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真
理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に
充(み)ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」

 第一条は教育の目的をこううたっている。「人格の完成」、言い換えれば
「人間的な成長」に目的を置いているのであり、教育の使命としてこれ以上の
ものがどこにあるというのだろう。

 教育をめぐるさまざまな問題は、基本法の施行から59年間、目的実現への
努力が十分ではなかったために起きているのではないか。「公共の精神」など
を新たに加えたからといって、教育の荒廃が解決するわけではない。

 十分な論拠がないにもかかわらず、与党協議に先立つ中央教育審議会への政
府の諮問段階から、「公共の精神」は「伝統・文化の尊重」などとともに方向
付けがされていた。その狙いは何なのか。解き明かす鍵は「愛国心」にあるだ
ろう。

 内心の自由

 「愛国心」の記述をめぐっては、自民党と公明党が対立してきたが、最終的
に「我が国と郷土を愛する態度」で決着した。だが、問題の本質はそうした表
現、言葉の使い方にあるのではない。

 多くの国民は生まれ育った古里、そして国に対し何らかの愛情を抱いている
だろう。一方では、国を愛するが故に、現状の国の姿には愛情を持てないとい
う人もいよう。それはあくまでも心の問題だ。

 どういう表現であれ、「愛国心」を法律に書き込めば、強制力を伴って心の
領域にまで踏み込み、内心の自由を侵すことにつながりかねない。その危うさ
は日の丸・君が代にみることができる。

 国旗・国歌法の施行後、東京都などでは教員処分を背景にした強制が進んで
いる。「愛国心」の基本法への明記によってその動きが加速し、さらに「愛国
心」の強制へと突き進む可能性は否定できない。

 戦前の教育は教育勅語に代表されるように、家族間のモラルを忠君愛国的な
モラルに結び付け、国家への犠牲的協力を要求した。その反省に立ち、国家主
義的な方向を排したのが教育基本法だ。

 ところが、改正案には国家重視の志向が色濃く出ている。自民党の新憲法草
案とも相通ずる。むろん、戦前のような国家主義体制に戻ることはあり得ない
にしても、国家を個人の上に置こうとする流れには十分に注意する必要がある。

 教育基本法の改正は子どもたちの未来を左右する。だが、国民の関心はまだ
まだ低い。苦しんでいる子どもたちを救い、将来を展望するために、いま何を
すべきなのか。その視点を持ちながら、今後の論議を注視していかなければな
らない。