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『北海道新聞』社説 2006年4月14日付

教育基本法*「愛国心」強制を恐れる


 与党は、教育基本法改正協議会で改正案を決めた。

 最大の焦点だった「愛国心」の表記については「伝統と文化を尊重し、それ
らをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会
の平和と発展に寄与する態度を養う」とすることで決着した。

 私たちはかねて、「愛国心」という心の領域にかかわる事柄は、国が強制す
るものではないと主張してきた。

 改正案は、両党の意見を取り込んだため、あいまいな部分があるとはいえ、
国が改正法を根拠にして「愛国心」を押し付けてくる恐れがある。とくに一九
九九年に成立した国旗・国歌法が、半ば強制になりつつある現実をみると、危
惧(きぐ)はいっそう強まる。

 教育基本法は四七年の制定以来、「教育の憲法」として位置付けられてきた。
約六十年ぶりの改正は、戦後教育に大きな転機をもたらすのに、国民的な議論
もないまま、ことを進めようとする姿勢も疑問である。

 基本法の改正は、憲法改正の露払いと言われている。これらを考え合わせる
と、改正案は到底、認め難い。

 「愛国心」の表現は、政治的な妥協の産物と言える。

 自民党が「国を愛する」を主張したのに対し、公明党は戦前の全体主義を思
い起こさせるとして「国を大切にする」を唱え、意見が対立してきた。

 合意が成ったのは、昨年の衆院選大勝を背景に、結党以来の懸案を実現しよ
うとする自民党と、与党に踏みとどまろうとする公明党の思惑が、一致したか
らに違いない。

 だが、愛国心の表現は、寄せ木細工のような危うさをはらんでいる。

 与党は、文中の「国」は統治機構を含まないことを互いに確認したと言う。
だが、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国」という表現だ
けでは、その意思が明確に伝わってこない。これでは、いずれ確認自体が忘れ
去られてしまいかねない。

 案には「他国を尊重し」との文言も入ってはいる。しかし、時の政権が法律
の条文から都合の良い部分を取り出して、恣意(しい)的に運用することは、
いまに始まったことではないのである。

 国旗・国歌法では、当時の首相が「強制するものではない」と国会で答弁し
ていたのに、実際には卒業式や入学式などで君が代斉唱時に起立を強制する動
きが広がっている。道内でも、美唄で教職員を起立させるため、いすを置かな
い小学校も出ている。

 「愛国心」教育も、同じ道をたどらないという保証は、どこにもない。

 基本法は憲法と同様、平和主義、民主主義とともに個人の尊厳をうたってい
る。「愛国心」教育で個人の内心にまで踏み込んでは、思想・良心の自由とも
齟齬(そご)をきたそう。憲法、基本法の理念が骨抜きになってはならない。