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『文部科学教育通信』2006年3月27日号 No.144 教育ななめ読み 91 「研究者はコストか」 教育評論家 梨戸 茂史 大学にも「リストラ」の嵐か。 もとはと言えば、経済財政諮問会議の「方針」いわゆる「骨太の方針」だ。 昨年の十一月十四日に総人件費改革の基本方針が示され「・・・独立行政法人 (国立大学法人等を含む)・・・についても、公務員に準じた人件費削減の取 り組みを行うように求める。これを踏まえて、・・・独立行政法人等に対する 補助金や運営費交付金を抑制するよう見直す」とされた。 これを受けた政府の実行計画が十二月二十四日の閣議決定となる。つまり、 国立大学法人について「主務大臣は、国家公務員の定員の純減目標(今後五年 間で五%以上の純減)・・・を踏まえ、・・・各法人ごとに、国家公務員に準 じた人件費削減の取組を行うことを中期目標に示す」とし、次に「各法人は、 中期目標に従い、今後五年間で五%以上の人件費の削減を行う」よう中期計画 を書き換えなければならないのだ。主務大臣が各法人の中期計画の削減目標の 設定状況や削減の進捗状況を把握して運営費交付金の抑制を行う。その上、評 価委員会は「人件費削減の取組状況や国家公務員の水準を上回る法人の給与水 準の適切性等に関し厳格な事後評価を実施する」と追い討ち。 問題なのは、国家公務員の場合は「定員」だが、大学の場合は「人件費」。 つまり国家公務員のケースでは人数が減れば良いのであって、単価が安い(若 い)方を削れば済むから、削減総額は必ずしも「五%」の金額に達しなくとも お咎めはない。ところが、大学の場合はまさに金額が勝負。きっちり五%を削 る必要がある。社会保険庁のでたらめや防衛施設庁の談合を見れば、公務員な んていらないとも思える。でも例えば、社会の安全のためには警察官や自衛隊 は必要だろう。 人件費は企業会計の観点からコストとみなされている。でも、亡くなったピー ター・ドラッカーは「従業員はコストではなく資源だ」と唱えた。不況だった 繊維産業だって、今や高分子・有機合成、バイオ化学、先端材料開発にも参入 し、自動車や半導体産業の一翼を担っているほど変化してきた。それも優秀な 人材があったればこそ。 翻って大学を見てみよう。そもそも大学の使命は研究であり、未来の研究者 の養成だ。教授などはそれらを行う「資源」と見るべきではないか。いつどこ で花が開くか分からない研究を黙々と行っている研究者を、今成果を生まない 鶏として絞め殺すのは、実は「未来」の自殺行為になるのではないか。もちろ ん有用性が学問の発展の原動力であることは否定しない。占星術は古代インド で数学の発展を生んだし、パスカルの確率論は賭けの公平な分配方法を相談さ れたからできたそうだ。金儲けを夢見た錬金術が化学の出発点でもあった。し かし、複素数と非ユークリッド幾何学などそれ自身の面白さを追求する中で生 まれ育ち、後から世の中の役に立ったものもある。もっとも、大学で何の貢献 もなく、悪い見本のセンセイもいるかもしれない。それとて「反面教師」とし て役立つ(?)はずだ。 企業で人件費を削減してコストを少なくすることは、製品の原価を安くし競 争力を高める。しかし、大学でコストとして人員を削減することは、研究と研 究者を養成するための有用な資源を失い、結局は縮小再生産に陥り、大学の滅 亡につながる。ドラッカーの考えには、企業を含むあらゆる組織は、社会的な 貢献がその存在意義だとする考えがある。そして企業においては、利潤動機で はなく企業の倫理性、価値観の重要性を指摘し、組織の価値観と個人の価値観 が一致したとき、人は働く喜び、生きる喜びを覚える、と主張した。まさに大 学も同じではないか。 |