新首都圏ネットワーク
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JanJan 2006年3月22日付

行政改革推進法案からの素朴な疑問


 行政改革推進法案が国会に提出された。その骨子は政府系金融機関の一元化
及び天下りの禁止、公務員の削減、特別会計の統廃合、独立行政法人の見直し、
国の資産債務の圧縮などである。いずれも重要な課題には違いないが、若干の
素朴な疑問も浮かんでくる。

 06年度からの5年間で、新規採用抑制や業務委託、配置転換などによる国
家公務員5%・地方公務員4.6%の定員純減を目標にするとのことだが、例
えばライブドア事件や耐震設計偽装といった問題が起こると行政の管理の不手
際がクローズアップされ、マスコミも国民も国や自治体の管理責任を追及する。
そこでは、政府の監視や検査機能の拡充が求められる。この事と、「小さな政
府」との関係に獏とした疑問は生じないか。

 現に、政府の口出しが少ないという意味での「小さな政府」であるアメリカ
では、SEC(米証券取引委員会)、FTC(米連邦取引委員会)は、検査、監視部
門が大きく、全体としての公務員の数で見ると「大きな政府」になっている。
管理を厳格にするには、それを運用する人手の確保が不可欠であり、監視や検
査の民間委託が十分な機能を発揮しない場合には、必然的に公務員の数を増や
す必要が生じるだろう。

 このように、見えない様々な矛盾を抱えているのに、それを見ようとせず、
或いは矛盾に気づきながらもその整理には手を付けないまま、「小さな政府」
のスローガンは総論賛成で推移しているようだ。

 この国会で問題になると言われていた、耐震設計偽装、米国産牛肉解禁、ラ
イブドア事件、官製談合の4点セットの不祥事も、小さな政府へとつながる規
制の緩和や民間委託、マーケット主義などの流れに関連して発生したという見
方も成り立ち、国会での議論を通じて今後の方向性が整理されることも期待さ
れていた筈である。欧米に比べて、自己責任意識が必ずしも成熟しているとは
いえない日本において、急激な自己責任社会に突入することは、それだけでも
社会不安を助長する側面があるかもしれない。

 個々の政策は正論であっても、その総体として目指す社会像がどれほど国民
に共有されているのか、にも疑問がある。そこに至る経過を、どのようなシナ
リオで描くのか、政策担当者にとって何より重要となる。

 日本が進むべき未来への明確な理念どころか、18年度予算さえ本質的な議
論がないまま、成立しようとしている。その現実こそが、日本の問題を象徴し
ているように思う。
(大内隆美)