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『朝日新聞』2006年3月6日付 

らうんじ 大学 1


 少子化や国立大学の法人化で、大学が激変の波にもまれている。入試方法を
変えたり、就職活動をサポートしたりと、存亡をかけて学生集めに必死だ。財
政面での大学間格差や、学生の学力低下問題なども深刻化している。大学入試
センター試験を手始めに、大学の現状と課題を4回シリーズで報告する。

 ◆全入時代、薄れる理念 

 転換期のセンター試験 肥大化で公正な運営に限界

 センター試験は90年、11年続いた共通一次試験の後を継いで始まった。
各大学の選抜試験の一部を共同で実施するのが共通一次の目的。原則つぃて国
公立大学が対象で、5教科5科目の受験を義務づけた。しかし、「偏差値を偏
重する傾向を強める」「大学の序列化を進める」などの批判を受けた。

 センター試験はその反省をもとに、「偏差値による輪切り」から抜け出し、
画一化を改める方法として、各大学がどの教科をどのように利用するかを選べ
る「アラカルト方式」をとった。

 そのため私大も年々増え、当初の16校から06年度は440校に達した。
試験会場も、336カ所から721カ所になった。

 会場と受験者数が大幅に増える一方、試験内容や運営はどこでも同じにしな
ければならない。肥大化とその条件の平等。これを両立するのが限界にきてい
ることを表しているのが、最近の相次ぐトラブルだ。出題ミスや、リスニング
など運営の不手際などがある。

 河合塾教育研究部の神戸悟チーフは、「問題自体はよく練られているが、運
営面でトラブルが多すぎる」と語る。チェック機能を強化するため問題作成の
チームの人数を増やしたり、センターの管理が行き届くように会場数を減らし
たりする方法を提案する。

 ◆特色作りへ「使い方」も多様

 06年度入試から、センター試験の結果だけで合否を決める50人の枠を設
けた国際基督教大学(ICU)。志願者は1090人に達した。

 独特の「リベラルアーツ教育」(教養重視の教育)への評価が高く、これま
で判断力や読解力に重点を置いた独自の入試を続けてきた。ところが、「セン
ター試験とICU入試の両立は難しい。ICUに絞って失敗したときがこわくて、受
験しづらい」といった受験生の声もあり、独自入試を続けるだけでは学生の質
を維持することは難しいと判断したのだ。

 M・ウィリアム・スティール教養学部長は「東大や京大に合格する学生はどの
大学でも通用する。国立大志望者を呼び込みたい」と話す。

 一方、早稲田大学法学部は06年度から、上位50人をセンター試験の成績
だけで選ぶ方式を導入。明治大や関西大などもセンター試験を利用する学部を
増やした。

 国立大も一時、受験科目を減らす動きが広がった。しかし、大学生の学力低
下が社会問題となったため、5教科7科目が原則とされ、06年度は9割近く
の国立大がこれに従っている。

 しかし、国立大学の法人化で各大学が特色づくりを迫られるなか、これに逆
らう動きもある。静岡大は06年度から、人文など3学部の前期日程で課すセ
ンター試験の科目数を減らした。3科目に減らした人文学部法学科は、前年度
2・5倍だった前期の志願倍率が06年度4・4倍に跳ね上がった。入試担当
の寺下栄教授は「多くの志願者を集めることが、学生の質の確保につながる」。
科目減の動きは、山口大や東京外国語大などにも広がる。

 九州大は01年度入試で、国立大で最初にセンター試験を課さず同大独自の
基準で合否を判断するAO(アドミッション・オフィス)入試を導入した。「セ
ンター験を突破した学生の多くは受け身で消極的。自ら積極的に学ぼうとする
学生がほしかった」と、武谷峻一教授は話す。センター試験なしのAO入試は東
北大や岡山大など他の国立大にも広がる。

 ◆目的忘れ、学生集めの道具に

 センター試験の現実は、少子化で定員を満たせなくなった私大を中心に、受
験機会を増やす手段として使われている。さまざまな自校の試験とセンター試
験を組み合わせ、まんべんなく点数を取れる学生と個性的な学生の両方を獲得
するのもねらいだ。

 しかし、大学の特色や使命をもとにどんな学生がほしいのか、そのために試
験をどう使うのか、センター試験を利用する意味を明示できない大学も少なく
ない。自前で独自の試験の作成や運営もできずにセンター試験に頼る一方で、
減少が止まらない受験生を少しでも増やす手段という程度にしか考えていない
面もうかがえる。先に動いたライバル大学に合わせて始めたり、受験料の収入
を当て込んだりする大学も多い。

 発足した当初は「高校の学習の達成度を測る」というのがセンター試験の目
的だった。それが忘れ去られ、いまは少子化で生き残りに必死な大学側にとっ
て「学生集めの道具」としての機能が強くなってきた。それは、大学自身も目
先のことにとらわれて、未来像を示せないことを意味する。

 センター試験を本格的に見直すことは、大学の意味や役割を問い直すことに
つながる。

 ◆「序列化から到達度判断へ 難度そろえデータ活用を」

 天野郁夫・国立大学財務・経営センター研究部長

 最近、明治以来の日本の入試システムがうまく機能しなくなってきた。これ
までの入試は、ある意味「教育の質の保証装置」の役割を果たしてきた。入試
の競争が激しいときには、中学、高校できちんと勉強してこなければ、合格で
きなかったからだ。

 しかし、少子化で受験生が減ったため、状況が変わった。中学や高校で勉強
をしなくても、えり好みしなければほとんどの生徒が大学に入れる「全入時代」
が到来したのだ。志願者が定員に達しなくなれば当然、どんな学力の生徒でも
合格できるようになる。上位2、3割の大学にはまだ厳しい受験競争があるが、
その他の大学は競争的ではなくなってきている。

 本来センター試験で学力を測るつもりならば、最低でも英数国だけは課すこ
とを義務づけるべきだ。しかし、実際には、大学の中には1、2教科しか要求
しない所もある。そんな入試をしておいて、学力低下を嘆くのはおかしい。定
員を満たすには仕方ないと言うなら、入学後にきちんと補完する教育を課すべ
きだ。

 また、大学入試センターにある共通一次試験から28回分の試験の膨大なデー
タの利用も考えるべきだ。学力が伸びた、落ちたと議論になったとき、今はそ
れを客観的に示すデータがない。センター試験を、大学受験者や高卒者の学力
をモニターする手段として使うことを提案したい。

 それには、毎年の平均点のばらつきを減らす「標準化」が必要だ。大学の先
生を集めて問題を作るのではなく、米国のようにプロ集団が作る方式を考えて
もいい。その際には、現場を知る高校の先生、現役が無理なら引退した先生の
参加を求めたい。「標準化」が実現して難度が一定になれば、1年に複数回受
験することも可能になる。

 センター試験でリスニングテストを行うことにも疑問を感じる。今回、文部
科学省が導入した真の目的は、受験生のリスニングの力を測ることより、中学、
高校の英語教育を変えることにあったのではないか。大学入試で高校までの教
育のあり方を変えようという時代ではない。

 また、日本の高校生全員が英語を聞き取り話せるようになるのは望ましいが、
その前に将来のエリート層の英語能力を上げる方式が先だろう。超一流大学で
も、学生に徹底的に生きた英語の勉強を課していないのが現状だ。そんな中で
突然50万人にリスニングテストを課すのは、順番が逆だろう。平等主義を取
り違えてはいないだろうか。

 「全入時代」を迎えた今、センター試験のあり方を真正面から問うべき時期
にきた。早急に受験生を序列化するための入学試験から、高校の学習の到達度
を客観的に判断できる試験へと転換をはかるべきた。

 ◇次回は13日、産学連携や補助金の重点配分によって広がっている大学間、
研究室間の格差について。

 文・増谷 文生